初老男のノンビリしたブログ

近所や周辺の事柄に対して、書き記して行きます。

小ネズミのように

2012年04月15日 19時05分29秒 | コラム、ぼやき
心根の部分にモノ凄く弱い、痛々しい部分があるのです。
繊細を言えばそうかも知れませんが、当たっているとも言えない。
タイトルよ様なイメージです。



別段に、小ネズミがプルプルと震えている様を見て、怯えていると判断するなら間違いは無いでしょう。
しかし此方はネズミでも無いし、当事者でも無い。
一般論でそう見えるから合意してと提示しているだけです。



動物の無意識の行動には、心情より生体の特徴の方が間違いが無いかと思うのです。
怯えて震えているのではなく、体温を上昇する為に小刻みに震えている。
希求の場面で迅速な行動をする為に、心臓の動きを高めて血流を増やし、内臓を活発に動かす。
命の燃焼が震えであるかも知れないのです。
怖がるのだろうとは、観察者の心情を現す鏡の効果だけなのだと断定する。
見た目と、心根や気構えは差があり、合致もしない可能性が高い訳です。





しかし、自分の気持ちを見た目に転換すると震える小ネズミであった。
それも間違いないことで、比喩の一種か擬人化の亜種か。
そんなイメージを受け取って貰えれば、タイトルの意味が伝わるのです。





訓練しても、勉強しても、経験積んでも、アドバイス貰っても消えない心根。
これは性格や特徴と断定して肯定するしか無い。
直せない、治せない、変化しない、入れ替えも出来ない。
これが個性である訳です。




理性で社会運営は出来て、人格形成して見せて了承して貰っても、緊急時には核の部分が表に現れる。
両面性の発現です。
当人が認識していれば整合性があるので驚かない。
他人は表面しか知らないから驚く。
自己管理上は取り繕うだけの事案ですが、自己が一致してしないと・・・。
分裂症の初期発現になるでしょうね。
知らない誰かが自分の中に居たと思う訳ですから。



知っていても、忘れるように蓋をしていた場合は、深層心理上に有った案件になります。
自己一致が深い部分まで成されていれば、全く問題が無いから支障が無いのです。
普段から自分の特性を学んでいたなら、悩まないで済むのです。
今、心理カウンセリングの勉強していて、効能を実感しています。
適材が適時に訪れた。
自分にとって奇跡の遭遇だったのです。




震える小ネズミなのだと確認していれば、怖かったり不安に思ったら震えていれば善い。
自己一致しているから外面的には弱くても、内面的には屈強な構造である訳ですから。
思い悩んで苦しんで鬱屈する必要もないし必然も無いのです。
心持は楽ですね。

周りからの視線や評価を完全排除し無視を決めれば良い結果を生みますからね。
全ての悩みを排除したりは出来ないから、優先するのは自分からです。
他者は次点に置く事が、生きる悩みを軽減するからですね。
悩みは永遠に消えない解決しないのです。
妥協点を見つける、放置し認証するのみです。






かつて自分探しと証して旅に出たり、怪しげな修行積んだり、自己啓発したり。
無意味な流行があったようにおもいます。
その終着点が各種精神疾患を大量発生させ、成果主義が後押ししてくれました。
自分は常に自分の中にしか存在しなかったのです。
自分は何処にも行かなかったし、探しもしなかった。
面倒は避けて居ながら、この結論に何となく行き着いた。
青い鳥の寓話のようですね。




震える小ネズミであればイイ。
それが自分で、隠さなくてもイイ。
治せない、直せないならソノままですから。!