初老男のノンビリしたブログ

近所や周辺の事柄に対して、書き記して行きます。

勉強の友

2014年05月23日 22時37分47秒 | 道すがら思う

市区町村の際にある学校は大抵ダメ学生の坩堝。
なぜそうなるのかワカリマセンが、明らかにそうなっています。
たぶん例外は有名進学校くらいでしょうか。

有名私立の進学校の評判は決して良くないものです。
勉強しかできない歪な生徒の溜まり場でもあります。


つまりドチラも駄目人間の集まりな訳です。



こんな事を平気で書けてしまうのも、私が独身だからでしょう。
世の中の親の贔屓目は、宇宙の果てまで高いもの。
そう思っていても、感じても、理解しても言いません。
もしくは見て見ぬフリか、関心が無いかのどちらでしょう。


どうしてそんなことが言えるのか。
それは登下校を視ればワカリマス。
一事が万事なのが子供です。
よそ行きの姿は取り繕えても、普段の行ないに錆が出る。
特に質の高い子供と接してしまうと、その差が一瞬で判断できる。
室の良し悪しは学校の成績には現れません。
だから教師や親は見誤るのです。



世の中の事は平時にわかる。
未来の事は子供を見れば判るのです。
簡単な事ですが、簡単ではないのです。
世の大人も子供も、純粋培養されて生き永らえている。
歳を重ねる程に、世の中が見え難くなるのです。
それは世の中をブラブラしないからですね。



夜の街に出て非行指導しても意味ないのです。
すでに日暮れ前から始まっています。
昼過ぎから兆候がわかる。
そこを見ないから、補導や生活指導なんかしても意味が薄いのです。
賢明に働いても子供のためにはならない。
有給使って郊外を散策して見ればいいのです。




始まりは何時も何気ないところに落ちているのです。