市区町村の際にある学校は大抵ダメ学生の坩堝。
なぜそうなるのかワカリマセンが、明らかにそうなっています。
たぶん例外は有名進学校くらいでしょうか。
有名私立の進学校の評判は決して良くないものです。
勉強しかできない歪な生徒の溜まり場でもあります。
つまりドチラも駄目人間の集まりな訳です。
こんな事を平気で書けてしまうのも、私が独身だからでしょう。
世の中の親の贔屓目は、宇宙の果てまで高いもの。
そう思っていても、感じても、理解しても言いません。
もしくは見て見ぬフリか、関心が無いかのどちらでしょう。
どうしてそんなことが言えるのか。
それは登下校を視ればワカリマス。
一事が万事なのが子供です。
よそ行きの姿は取り繕えても、普段の行ないに錆が出る。
特に質の高い子供と接してしまうと、その差が一瞬で判断できる。
室の良し悪しは学校の成績には現れません。
だから教師や親は見誤るのです。
世の中の事は平時にわかる。
未来の事は子供を見れば判るのです。
簡単な事ですが、簡単ではないのです。
世の大人も子供も、純粋培養されて生き永らえている。
歳を重ねる程に、世の中が見え難くなるのです。
それは世の中をブラブラしないからですね。
夜の街に出て非行指導しても意味ないのです。
すでに日暮れ前から始まっています。
昼過ぎから兆候がわかる。
そこを見ないから、補導や生活指導なんかしても意味が薄いのです。
賢明に働いても子供のためにはならない。
有給使って郊外を散策して見ればいいのです。
始まりは何時も何気ないところに落ちているのです。