最近思い付いたのが、執筆の優先順位です。
脚本や小説の作り方とか、技法の書籍ばかり読んでいます。
どの本にも書かれている内容を、読み返しているようなモノです。
どの本にも書かれてあるのですから、重要点なのでしょう。
この処まったく執筆意欲が湧きません。
過去作品を読み返しては、修正を加えるばかりでした。
創作は作りたいモノが無くなってからが、本当の出発点だとか。
昨晩も某国営放送の再放送を見て思い付きました。
何を書くかではなくて、如何に書かないかだと、有名人はいうのです。
そのまま描くのではなくて、足りないくらいに削ぐといいます。
その上で大衆に認められてからが、芸術活動の始まりだとか。
成る程なと思ったのです。
自分も心の底から湧き上がるような、創作意欲は皆無になっています。
でも課題や目標、目的、テーマがあると、不思議と書けます。
もう自発的ではなくて、他発的でしか掛けません。
昔の作品を手直しをして、推敲するのも他発的な動機です。
過去の自分が、今の自分に向けて、依頼して来るのです。
耳を澄ませると、未来の自分から、声が聞こえてくるみたい。
もう書きたい物を書かなくていい。
書いた作品の、登場人物を見つめなさいと言っています。
彼方の子供たちは、紙面の中で生きているのだと。
観察して記録を残せばよいのです。
空想のドキュメント、報告書を作れば良い。
脳内の宇宙空間に、自分の宇宙が広がっているのです。
後はその人達に、何かの課題を与えて、演じて貰えば良いのです。
見た様を、演出して脚色するだけです。
何を書くかは、課題次第なのです。
そう思い当ったら、妙に心が澄み渡って、気が楽になりました。
創作する必要性と、苦悩を捨てる事ができたのです。
生みの苦しみは、もういらない。
観察記録を淡々とするだけ。
もはや余生なのです。