初老男のノンビリしたブログ

近所や周辺の事柄に対して、書き記して行きます。

ハシボウ = 箸棒な原稿

2017年02月16日 18時38分54秒 | 本・執筆


箸にも棒にも掛からない。
そんな例えをハシボウと言うらしいです。
文芸に傾倒して始めた知った短語後でした。

この手の例え方は比喩的な表現ですよね。

私は脳味噌が筋肉系で、機械的工芸に関わる技術者でした。
肉体を使って頭も少し使って、血液循環を良くしていたのです。
基本的な考え方・思考法が順番・階段的です。
ロジック思考だったのです。
 
それを中年になって芸術に目覚めてしまったのです。
論理的に解釈しない芸術思考は、出発点と結論が点と点です。
途中が見えないから順序立てた説明が不可能です。

天才ならそれでも欠けたステップを補えるでしょう。
でも凡人の私には理解不能でした。
直観は単なる気まぐれだと、廃棄処理してきた人生でした。
芸術系の考え方に馴染めないのです。

でも経験を積んで、抜けた途中経過も予測できるようになりました。
予測であって確証はないのです。
そう思うことにするだけです。
 
出鱈目な思考が、今になって問題化しています。
文芸作品に思考の跳躍が見られます。
書いた小説が日本語になっていません。
読み返すと、本人も意味不明な文字が並んでいたりします。
考えた景色に指先が追い付かない。
だから途中経過が抜け落ちているのです。

主語が指し示す修飾語群が、突然に入れ替わっていたりします。
日本語なので、主語が誰なのかもわからなかったりします。
この文章を本当に私が書いたと思えない。
記憶の流れが一足飛びで辿れないのです。
 
困った事になっています。
苦心惨憺した作品を読み返すと、混沌が広がっているように見えます。
絵画で云う所のシュールレアリズムみたいな感じがします。
足りない部位を予測で埋めて行くしかありません。
手直しが大変です。
締め切り際まで執筆したら、ハシボウ原稿になるだけです。

人生半世紀も生きて、大きな難関にぶつかってしまいました。
さてこの先に制御可能かな?
やっぱり音声入力を導入した方が良いのかな?

逐語記録だって意味不明だったりします。
精神病の患者みたいな、統合失調かと思う程です。
何とかしないと駄目ですね~。