今日の徳島新聞に、この4/29に阿南市情報文化センターで「おくりびと」が上映予定というチラシが入っていた。
私は気に入った映画を何度も観るのも悪くなかろうとは思うのだが、(例えば好きな俳優の顔を見たさにというような場合は十分許される)
どちらかと言えば、食べ物が胃袋に納まり、消化されて、いずれ血となり肉となる醸造期間的時間をそうした映画に関しては持たせてやりたいと思うのだ。
観るなら少し時間を置きたい。
ところで、本日の写真、何だか分かるかな?
ただの石である。出来たら、近いうちに「石絵」に挑戦しようと思っている。
ものになったら、変身した石をまた見ていただこう。
そうなのだ。ブログを始めて、やはり常にネタ探しをする自分がいるのだな。
悪くない、いいことだ。何故今、石か?「おくりびと」で「石文」なるものが出現したからだ。
そのときの気持ちを石に託して贈り合う・・・そんな話は初耳である。
ひょっとして映画のテーマに合わせた創作?と思ったが、私が知らなかっただけかもしれない。
映画の中で石は、人間が無意識に抱いている差別の意識への「優しい揺さ振り」の小道具に使われている。
勝手な思い込みで人を蔑む視線への奥ゆかしい警鐘。「博士の愛した数式」も同じだ。
ハッとさせられる。足元が宙に浮いてる自分に気付いて。
謙虚さや思いやりをどこかに忘れてきちゃってるから、その分自分が軽くなってんのね。
普通に見る。普通に対する。そして、その普通に感謝の気持ちが添えられていなければ心は通わない。
ありきたりの言葉だけど、当たり前のことが実はとても大切で、当たり前でいられることがありがたいことなんだ
と気づかされる、そんな映画だったな。
私は気に入った映画を何度も観るのも悪くなかろうとは思うのだが、(例えば好きな俳優の顔を見たさにというような場合は十分許される)
どちらかと言えば、食べ物が胃袋に納まり、消化されて、いずれ血となり肉となる醸造期間的時間をそうした映画に関しては持たせてやりたいと思うのだ。
観るなら少し時間を置きたい。
ところで、本日の写真、何だか分かるかな?
ただの石である。出来たら、近いうちに「石絵」に挑戦しようと思っている。
ものになったら、変身した石をまた見ていただこう。
そうなのだ。ブログを始めて、やはり常にネタ探しをする自分がいるのだな。
悪くない、いいことだ。何故今、石か?「おくりびと」で「石文」なるものが出現したからだ。
そのときの気持ちを石に託して贈り合う・・・そんな話は初耳である。
ひょっとして映画のテーマに合わせた創作?と思ったが、私が知らなかっただけかもしれない。
映画の中で石は、人間が無意識に抱いている差別の意識への「優しい揺さ振り」の小道具に使われている。
勝手な思い込みで人を蔑む視線への奥ゆかしい警鐘。「博士の愛した数式」も同じだ。
ハッとさせられる。足元が宙に浮いてる自分に気付いて。
謙虚さや思いやりをどこかに忘れてきちゃってるから、その分自分が軽くなってんのね。
普通に見る。普通に対する。そして、その普通に感謝の気持ちが添えられていなければ心は通わない。
ありきたりの言葉だけど、当たり前のことが実はとても大切で、当たり前でいられることがありがたいことなんだ
と気づかされる、そんな映画だったな。
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