「自己責任」政治 時代遅れ
安倍政権の「継承」を前面に押し出し、「自助、共助、公助」をスローガンに掲げた菅義偉新首相には、あきれるほかありません。
今までの新自由主義的な政策がさんざん社会を壊してきて、コロナ危機の中でその行き詰まりが明らかになりました。市民に自己責任を求める政治はもはや時代遅れであり、そこから転換できない政治家に未来を切り開くことなどできるはずがありません。
安倍政権は他者に対する共感や想像力を決定的に欠いていました。自分と自分の“お友だち”のことしか考えない。自分たちのためには憲法や民主主義の手続きさえも徹底的に無視して骨抜きにし、自由や民主主義、平和といった日本国憲法に明記されている価値を壊しました。
他方で、安倍政権が一番やりたかった明文改憲はできませんでした。市民の声・運動が安倍さんを追い込んだといえると思います。
2014年の特定秘密保護法以降、安保法制=戦争法、共謀罪、高度プロフェッショナル制度、検察庁法改定案など、出てきた法案がことごとくむちゃくちゃでした。自衛隊「日報」隠しや森友・加計問題、「桜を見る会」などのスキャンダルも相次ぎました。
それに対し、市民は一回、一回、異議を唱えて声を上げてきました。その積み重ねが、結果として「安倍改憲」の時間的な余裕を削ってきたのです。
声を上げることで“改憲より重要な課題がある”と、常に可視化してきたことも重要です。安倍さんは辞任表明の記者会見で、改憲への「国民的な世論が十分に盛り上がらなかった」と言いました。盛り上がらなかった背景には、市民運動の力があったと思います。
首相が代わっても、自由、民主主義、平和、個人の尊厳を守り、発展させるために運動することは変わりません。
立憲野党が新自由主義的な政治からの転換で一致しつつあることは大きな前進です。単に菅政権への対抗軸というだけでなく、何のため、誰のための政治なのかが問われています。現場や運動の声、市民の日常生活に根差した政治を絶対に忘れないでほしい。
― しんぶん赤旗より ―