齢数十歳。
随分と長いこと『集中する』ということの価値を知らずに生きてきたものだ。
例えば、スポーツ。
バレーボールのネットよりも打点が高ければ高いほど有利。ならばスパイクを打つ時のジャンプは高いほうがいい。至極当然なこと。
だからとにかく高く跳ぶ。ミートする精度とか、ブロックの手の位置とか、狙う場所は二の次。全力で高く跳んだらば、あとは思い切り叩くだけ。
例えば、ゲーム。
長考が許されるものであれば、あらゆる可能性を可能な限り多くシミュレーションする。選択候補の中で最適解に最も近い候補を厳選する。
『少し考えてみればわかるのに』。
いったい何度その後悔をすれば気が済むのか。
「集中したところで自分の実力は自分が一番分かっている。だから考えてもしょうがない。成るようにしか成らない。」
そんなことはなかった。
つい最近のことだった。
集中した結果なにが起きたかといえば、掲げた目標を見事に達成できたのだ。それも立て続けに。
ネガティヴで強情な自分もこれには屈するほかなかった。
「どうせまぐれだ。偶然だ。運が良かっただけだ。」
そんな定番の決まり文句が出る余裕もなかった。
勉強・スポーツ・遊び...etc。自分は努力しても、気張っても、頑張っても、強く望んでも、"障害"に対して勝利を得られない人生だと思っていたのに、そんなことはなかった。
なによりうれしいのは、その得た結果が偶然の産物ではなかったという事実だ。
俺のモットーは『ラッキーは認めない』。
運要素は嫌いだ。アンフェアも嫌いだ。
公平な競争でこそ勝利に価値がある。
どんな時も、勝利と敗北には努力値の証明であり続けてほしい。
どんな成果物も情を伝達する道具でしかない。