奈良県での出来事日記

青息吐息の老人が、奈良行事も交えながら、日記を投稿しますね・・(^◇^)

欽明天皇陵の陪塚はだれの墓?・・(^_-)-☆

2024-05-14 12:08:24 | 奈良まほろばソムリエ
こんにちは‥(^_-)-☆



今日の奈良は雨は止んだが2℃と昨日より大分暖かいですね。

マリア猫はこの頃は一階の寝室の隣の仏間で、朝まではよく眠ります。

今朝も早くに起きて、餌を食べて、すぐに外に出て行きましたが早めに帰って、布団の上で眠っていますね。

マリア猫が後ろで眠っていて安心しているかも?・・

今日は腰が軽くなったが、転んで打った部分がまだあっちこっち少し痛いです。

少しづつ散歩を増やそうと思いますが増えませんね?・・

奈良まほろばソムリエ奈良通2級の11回目の問題です。

3 奈良県の遺跡や古墳に関する事柄について、最も適当なものを選びなさい

(22)平城宮建設にともなって前方部が削平された第二次大極殿北側の市庭古墳は、どの陵に治定さ れているか。

 ア.平城陵   イ.成務陵   ウ.日葉酢媛命陵   エ.神功皇后陵

(23)江戸時代に、崇峻陵とも考えられた桜井市の大型方墳はどれか。 

ア.茶臼山古墳   イ.天王山古墳   ウ.ホケノ山古墳   エ.メスリ山古墳

(24)明日香村平田にあって、猿石と呼ばれる4体の石像が置かれている墓はどれか。

 ア.吉備姫王墓   イ.鏡女王墓   ウ.大田皇女墓   エ.大伴夫人墓

(22)実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「楊梅陵」として第51代平城天皇の陵に治定されている。

佐紀盾列古墳群の東群に属し、その中でも西端に位置する。

前方後円墳であるが平城宮建設にともなって前方部が削平され消滅し、現在残っているのは後円部の一部のみである。

天皇の死んだ年代と一寸おかしいですよね?・・

これはもうヒントなしで分かりますね。

(23)多武峰から北西に延びる尾根の先端に築かれた大方墳。 

本古墳は、墳丘や石室・石棺の実測庁が行われているが、発掘調査が実施されていないために出土品は明らかでなく、石棺内部も盗掘によって遺物も残されていないが、石室構造や石棺の形式などから築造時期は6世紀末から7世紀初頭と見られている。

第32代崇峻天皇の真陵に比定する説がある。

赤坂天王山古墳群を構成する古墳の1つ。

もうこれで分かりますよね。

(24)欽明天皇陵(梅山古墳)に隣接し、墓は、8m程度の小円墳とされるが、考古学的な裏付けはない。

古墳ではないとの説もあるが、現在は欽明天皇陵の陪塚とされている。

この墓の西側の垣の中に猿石と呼ばれる花崗岩の石像が四体あることでも有名である。

四体の猿石は、左から、女・山王権現・僧・男と呼ばれている。

この人は、欽明天皇の孫で、天智天皇・天武天皇の祖母にあたる。

ヒントは姫王です。

明日もお楽しみに?・・(^_-)-☆

今日もいい日でありますように・・(^_-)-☆

(22) ア   (23) イ  (24) ア
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