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お 元気 だより

「お知らせだヨ~!」・「 楽しかったヨ~!」
「 面白かったぞ ~ !」 など
なんでも ・  どうぞ!!

 ツアー (*^_^*) エィー!! )^o^( (*^_^*)

2015年07月08日 | 日記
海外旅行情報で~す     

学友 I さんが珍しい所 「バルト三国ツアー」
行かれたお話 ・ 旅物語で~す 
(今回のツアーメンバーは38名)(珍しがるのは私だけ?)

メンバー最終合流地の関西空港から
直行便で13時間のフライトでフィンランドの首都「ヘルシンキ空港」へ

13時間もの長時間フライトで少々   
フンィンランドの首都「ヘルシンキ」から大型クルーズ船の港まで
バスで移動、こ れ が ~ 船! な ん と そりゃー おっけな 船
ビルディングみたいな船 豪華 大型 クルーズ船 
2時間の船旅へ出発 ~!!  
船内免税店はたぶん日本の半額くらいかな 
スーパーマーケットの半分はお酒売り場で、フィンランドよりも
安いからか箱買いしている人も、船内見学など、どうこうしていたら
あっという間の船旅2時間 「エストニア共和国」へ 到 着  

港に上陸、「三国 ツアー」 の はじまり! はじまり ~!!
今! ワク ワク! ルン ルンね!!     
またバスに乗車して約20分で首都の「タリン」へ、

当地を訪れた時は、
菜の花が、旬でとっても きれいな 時季でした   

   ねっ! 今 が 旬  
    どこま~でも  

「I さん」今回も「ネット情報と重複部分」は「恣意的」
「割 愛」を、させて頂きました。  お許しを!! 

ネットより
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
バルト三国とは、
エストニア・リトアニア・ラトビアの3つの共和国のことです。
この3国は1940年に旧ソビエト連邦に編入されていましたが、
1991年に独立を果たしました。
現在は、いずれの国も大西洋条約機構(NATO)と欧州連合(EU)へ
加盟しています。
また、この3国で4~5年毎に開催の「歌と踊りの祭典」はユネスコの
無形遺産に登録をされています。

* エストニア共和国
首都は「タリン」
ヨーロッパ北部、バルト海の北東部、にあります。
日本の9分の1の大きさです
バルト海を北に行くとフィンランド、西に行くとスウェーデンがあり、
東はロシア、南はラトビアと国境を接しています。

* リトアニア共和国
首都は「ヴィリニュス」は、同国最大の都市である。
バルト三国で唯一海に面していない首都で、
バルト海に面したリトアニア主要港のクライペダからは
312 km 離れている。
1994年に旧市街は世界文化遺産に登録された。
14世紀にはリトアニア公国として東ヨーロッパ最大の
国家であったそうです。

* ラトビア共和国
首都は「リーガ」
旧市内は電線が埋設してあります
実は 美女大国で有名でもあります
街全体がさながら巨大な建築博物館のようになっており

大聖堂のパイプオルガンも16世紀に起源する
歴史あるものです。
現在は教会としての活動の他、「コンサートホール」や
「博物館」としても利用をされています。

    パイプ オルガン(ご本人撮影)

  リーガ大聖堂
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

杉原千畝氏(すぎはら ちうね 日本の官僚、外交官)
第二次世界大戦中、リトアニアの「カウナス領事館」に赴任していた時
約6,000人がナチス・ドイツ の迫害で欧州各地から逃れてきた
ユダヤ系難民たちを大量のビザ(通過査証)を発給して
救ったことで有名    

     一日 外交官 
   杉原 千畝氏 「チョット だ け よ!」 

その「カウナスの元領事館」では
日本地図があり日本からの来客がピン止めするようになっていて
私の、近地のピン止めがなく、地元に「ピン止め」を
した時は「胸にキュート」来るものを感じました
  

ヘルシンキの人達は道を聞いても私達のことを何とか
「分かろう」とし、「分かるように」説明に、努力をして
貰っていることをヒシヒシと感じ取れました
時には、近い所だと連れて行ってもくれました  
北欧の皆さんは 「純 粋!!」 

ほとんどの、教会に「パイプオルガン」
置いてある事にも驚きましたね。 

3国とも土・日は農休日らしくて、ひろい・ひろーい
広大農園に人の姿は勿論 トラクター等農業機械が
全く見当たりませんでした。 

7日振りの日本は、関西空港に無事に着地、笑顔の帰国でした  
ロビーで7日間の「旅の友」「お別れを惜しみつつ」各自の地元・
ふるさとへと、散 会をしました   

旅行中の「天 気」はラッキー!ラッキー!!で   
雨天で傘を必要とする日がなかった気がします  

「 I さん」
海外情報を有難うございました 
これからも宜しくお願い致します 

では、この辺で「バルト三国」旅物語は、おわりま~す    

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 シルバー講座 (*^_^*)

2015年07月08日 | 日記
6月29日(月)シルバー講座に参加してきました。
(参加7年目ですが設定曜日が月曜日は初めてでは?)

今回は、
広瀬藩参勤の道「清水街道」と母里藩「一万石の城下町」を、
ウォーキングしました   

母里(もり)とは → 安来市伯太町母里です(〒692範囲)

天気は、今日もなーんと!タイミングがよくてね!!梅雨の「中休み」も
曇天ではなくて、快晴青空でした。雨の心配どころか暑かったですね  
(今のこの時期なら雨降りよりはヨカッタ!!ですね)
 
通称「清水街道」は松江松平藩の分家広瀬藩が参勤交代や、清水寺参詣に通った道です。
(広瀬藩の参勤交代は、士族20~30人・足軽10~15人と人足で、総勢70人前後で
あったそうです)

で、今回は一部の「JA南支所」から樹齢約300年の椎木がある宇賀神社に参拝して
神社裏の山道?古来の清水街道を宇賀荘の・「弁慶坂入り口」を経て、現在の
道路・清水交差点からはまた古道 清水街道を歩き駐車場横の「食事処 ゆうしん」
まで歩きました

     
   時間の関係で上りませんでした

 宇賀荘は大昔?は「おかのしょう」と、言っていたそうです(ガイドさん)

食事処「ゆうしん」で、昼食・休憩が終わり13:20にバスに乗り午後の
目的地に移動。

午後は、伯太支所の先「亀遊山」(きゆうざん)麓までバスで行って
旧家の柴田家御三家から歩き始めました

松江松平藩初代松平直政公の三男隆政に一万石を与えて立藩の母里城。
母里の城下町を柴田家から奥野家まで昔からの水路街並みを説明して頂きながら
ウォーキングしました
(実際は、母里は陣屋があり城主は江戸住まいだったそうです)
(江戸に殿様をはじめ約60人 地元に士族が約260人)

     
   昔は、ここが起点であったそうです(日本橋みたいかな ~??)

今回、奥野家の中の一番奥の茶室もご拝見させて頂きました。
この後、また
バスに乗り最終見学地で今は当主亡き「母里窯」迄バスで移動
登り窯・素焼き作品を見て、最後にガイドさんに「誰かこの窯を、継承して
下さる方をおられませんか?募集をしています!」と言うことで
本日の伯太めぐりは終了、伯太支所でトイレ休憩と「ガイドさんにお別れ」して
一路・安来の各自の乗車場所に  

シルバーウォーキングのお話でした   

では、またね ~     
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