お言葉をいただきました。

私の中にもう一人のお方がおられます。
色々な言葉をいただいております。
読まれていただけると光栄です。

神様に自分は愛されていないのではないだろうか?

2019-12-23 08:37:37 | 日記
神様に自分は愛されていないのではないだろうか?

神様に愛されている人が羨ましい。

神様に寄り添える人が羨ましい。

神様の声を聞ける人が羨ましい。

神様は何故自分の前には現れないのだろう。

そうすれば、
全てが上手くいくのに。
心が安らぐのに。

そう思うことがあります。

神様がいくら平等だといっても
神様の声を届ける人がいる限り
何か、何故か
やきもちのように愛されていない気分になります。

神様は
我々の心にいます。
そうは言っても中々納得できず
疑ってしまいます。

神様の声を聞くには
素直に耳を傾ける事が必要です。

声は
聞こえる。感じる。
涙がでる。ホッとする。温かくなる。

人により感じかたが違います。

必ずしも
見えたり、聞こえたりするものでは
ありません。

必ず、生きているからには
神様からの贈り物を受け取っています。
それが、
神様からの
贈り物と気がついていないだけです。

でも、何故
神様にお仕えする人と
神様に縁のない人がいるのでしょうか。

それは、自分で決めています。

嘘のような本当の話です。
生まれるときに
自分で決めました。

私は
どう決めたのでしょう。
人の役に少しでもたつ人間になりたい。
愛や友情全てを忘れ
希望を抱くために失望を望み。
愛を学ぶ為に寂しさを覚え
悔しさや虚しさ嫌な感情を知ることが
人と寄り添えるアイテムと気がつくために
全てを忘れてきました。

神様の役にたちたい。
神様に特別扱いをしてもらいたい
単なる
神様からの愛情不足です。

ですが、
神様は確実に愛情をくださっています。
が、
我々人間は目の前に現れ
あなたが大切なのよ。
声をかけてほしい。
望みます。

そこにつけこむのが魔です。
魔は望みのように
神様の形、龍の姿、天使になって
現れます。
私達人間には見分けがつきません。

なので、
神様は 見えない 
という贈り物を我々に授けました。
惑わされない為です。
この地球への旅行を
楽しめるように
わざわざ 魔 なんてものを見ないように
見えない わからない。
をくださりました。

見える人は見たくない!
と言い張ります。
感じる人は感じたくない!
と言います。
それは
経験してわかる苦労です。

見えない世界との繋がりは
決して楽ではありません。

それは
見える世界も同様で
結局どこにいても同じなのです。

神様から
愛されているから人間であり、
親の愛情に、中々気がつけない様に
愛情の表現に気がつかない事もあります。

もしも、それを感じとりたい!
願うなら
感情し続けることです。
我々が神様の一部であるように
地球や自然は神様そのものです。

地球への感謝をお忘れなく。






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