蔵書目録

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『支那小説集 阿Q正傳』 魯迅著 林守仁(山上正義)訳 (1931.10)

2024年03月10日 | 翻訳・翻案 小説、詩歌、映画

  

    阿Q正傳
 支那小説集
   阿Q正傳
         35SEN

       

  偉森氏 宗暉氏  殷夫氏 馮鏗氏
  
  國民黨の『血の政策』の犠牲となつた
         同志李・徐・馮・胡・謝の靈に。
  白色テロ下に果敢な鬪爭を續くる
         中國左翼作家聯盟に捧ぐ。
 
    國際プロレタリア叢書
       魯迅 著
       林守仁譯 
       支那小説集
      阿Q正伝
  
       東京
      四六書院刊
  
    中國左翼文藝戰線の現狀を語る
  
 中國に於けるソヴェート政權の伸張に伴つて、南京蔣介石政府の彈壓政策は、一九三〇年春以來その兇暴の度を加へた。中國無産階級文藝運動が受けつゝある迫害は、中國四千年の封建專制の歷史においてすら未だ甞て見ざるところである。坑儒焚書は、秦の始皇の昔語りではなく、現に中國において日々行はれつゝある事實だ。
 表面のみを見れば、左翼文藝の分野は暗雲低迷して居り、甞ての創造社を中心とせる華やかなる時代を偲ぶよすがはいづくにもないであらう。社會科學聯盟・左翼作家聯盟・左翼劇團聯盟・左翼美術家聯盟等、左翼團體はもとより、あらゆる自由主義的團體は存在を否定せられ、新思潮・文藝講座・萌芽・拓荒者・大衆文藝・巴爾底山等のあらゆる左翼刊行物は、發行を禁止された。相次ぐ反動の強襲によつて多くの有力なる闘士を失ひ、かゝる狀勢に際して、鬪爭精神の缼乏せるものは陣列の外に去り、王獨淸等の如きトロッキストをも生じた。反動の擁護のもとに、所謂民族主義文學が、所得顔にのさばり出した。朱應鵬を編輯者とする前鋒週刊・前鋒月刊が上海にあるほか、南京には文藝月刊・流露月刊・橄欖月刊等が存在してゐる。しかし彼等の主張は、國民黨御用たる以外、何等の内容をも示し得ない。從つて、讀書階級の支持を殆ど有せず、わづかに國民黨の財政的支援によつて、存立を維持してゐるのみである。四月にいたり、かつて輝かしい拓荒者・大衆文藝を出してゐた現代書局から現代文學評論・現代文藝があらはれた。それらは一見『新興藝術派』の如き外觀を呈してゐるが、明かに民族主義一派の別動隊である。それらの中には、かつての左翼作家、葉靈風・張子平の名をも見出す。こゝにも彈壓のはげしさによる、陣營の曲歪を伺ふことが出來る。民族主義文藝派は、今や表面的に沈默を餘儀なくされた左翼に向つて『中國プロ文藝の歿落』を云々する、まことに憎むべきである。
 しかしながら、この跳梁する反動の暴風の中に、一九三〇年三月、左翼的作家の團體として組織された左翼作家聯盟は、動搖せる分子を容赦なく振り飛ばしつゝ、確乎たる鬪爭的革命團體として苦難のうちに、その任務を遂行しつゝある。我々は、中國の左翼文藝戰線の鬪ひつゝある困難なる鬪爭の記錄として、最近犠牲作家の記念のために發せられた左聯の宣告を引用しよう。それは革命的文學文化團體、作家藝術家・思想家・科學者等世界のあらゆる人類進歩のために働くものへあてられてゐる。
          〔中略〕
 我々はこれらの犠牲者の代表的作品の他に、魯迅の『阿Q正傳』と戴平萬の『村中的早晨』を選んだ。魯迅は夙に聲名ある作家であつたが、自由大同盟の主唱者として立つてより以後の、彼の活動は驚嘆に値する。彼が左聯の大御所として、今なほ果敢に戰つてゐることは人の知る如くである。  
 彼の阿Q正傳については、譯者たる林守仁が詳しく紹介してゐる。この原稿は、原作者魯迅の嚴密なる校閲を經てゐる。
 戴平萬の村の黎明は、輝ける左聯の機關誌たりし拓荒者(第四冊を出して國民黨のために絞殺された)の數ある作品中、最もすぐれた作と稱せられたものである。
 この短篇集出版の計劃は、最初、左聯の闘士沈瑞先が單獨であたる筈であつたが、極度に忙しい仕事のため、我々が協力した。共同者は沈瑞先・林守仁・田澤淸・水木兩作・白川次郎である。
 魯迅の阿Q正傳は、林守仁が翻譯した。柔石の偉大なる印象と戴平萬の村の黎明は、田佐夫が翻譯し胡也頻の黑骨頭は白何畏が翻訳した。それらを沈瑞先が校閲した。 
 尚最後に、我々は苦心の結果、犠牲者の一人、女流作家馮鏗の『女同志馬英の日記』の原稿を得て、之を追加し得たことを喜ぶ。翻訳は主として田佐夫が擔任した。なほ、我々のこの小さな仕事に與へられた中國左翼作家聯盟諸氏の、 絕大な助力に感謝する。
    一九三一、五、二十三          白川次郎
  
支那小説集 阿Q正傳 目次 
  
 阿Q正傳 
  魯迅とその作に就て
  第一章 序
  第二章 勝利の記錄
  第三章 勝利の記錄(續)
  第四章 戀愛の悲劇
  第五章 生活問題
  第六章 中興から末路まで
  第七章 革命
  第八章 革命に参加せず
  第九章 その最期
 黒骨頭
  胡也頻小傳
 偉大なる印象
  柔石小傳
 村の黎明
  戴平萬小傳
 女同志馬英の日記
  馮鏗小傳
 
    魯迅とその作に就て 
  
 『阿Q正傳』の作者魯迅に就ては日本でも數回紹介されてゐる樣である。私も數年前『新潮』誌上に『魯迅を語る』と題して、その經歷や作品に就て簡單ながら紹介したことがある。再びその經歷等に就て繰返す必要はなからうと思ふ。
 彼は民國革命以來二十年、支那現代文學の主流を代表して來た唯一人者であるといつていゝと思ふ。その文壇的位置に就て云ふならば今日も依然として現文壇の大御所である。しかし乍ら、今日の魯迅は數年前の魯迅ではなく、魯迅は所謂左傾したのである。支那の現文壇が茲數年の間に急角度に左傾した樣に、魯迅もまた明かに左傾したのである。所謂左翼文藝以外には、文藝の存在しない今日の支那の文壇に於て、魯迅が依然としてその大御所たるの位置に變りはない。これは必ずしも私一個の見解だけではない。例へば『ニュー・マッセズ』の本年一月號には、魯迅を紹介して『支那最大の小説作者であり、全支那左翼作家聯盟のリーダーである』と云つてゐる。
 しかし、魯迅が二十年來、支那の文壇に盡くして來た功績に至つては、大御所などの言葉を以つて簡單に片づけることは出來ない。彼は特殊な發達形態をとり、今尚その發達途上にある支那の現文壇に在つて、極めて特殊な功績を示してゐる。まづ日本の文壇に比較を求むるならば彼は一身にして森鷗外と、田山花袋と、武者小路實篤と、菊池寛とを兼ね、最近の所謂左傾以後は叉一身にして、小林多喜二と村山知義と徳永直とを兼ねてゐると云はねばならない。日・獨・露等の外國文學を翻譯紹介した點は鷗外の功に比すべく、自然主義文學を移し人道主義を高調し、同時に平俗な言葉と方言俗語を使用せしむるに至つた功は花袋、實篤のそれに比すべく、寫實主義の文學を今日の支那文壇の基礎たらしめたまでの努力は寛のそれに較べてよいであらう。
 所謂左傾以後の彼の作品に至つては、まだこれと擧ぐ可きものを見ない。作品のない作家の功績、これは一寸をかしく聽えるが、しかしこれは彼自らをして答へしめよう。最近、私が彼にその近作の少いのを詰つた時、彼は云つたものである。『手で書くよりも足で逃げ廻る方が忙しいので』と。事實、彼は蔣介石政府から反革命(支那では反政府卽ち反革命だ)の逆徒として、その頸に賞を懸けて追跡されてゐる身である。その上に、たとへ『手で書く』寸暇を發見し得たとしても、今度はまたその發表する機關を蔣介石政府に一切奪はれてゐるのが、その原因でもある。この點だけはジャーナリズムの寵児である日本の左翼作家の書が、或は特殊な境地に置かれたとでも云へようか。
 
 彼の性行に就て語り出したら限りがない位に、彼は奇行に富んでゐる。中でも、特に目立つのは彼がユーモリストであること、非常な謙遜家であること等である。私が甞て、『支那文壇の代表作は何ですか?』と質したのに對して、彼は『支那には文學なんてありませんよ。小説なんて存在しませんよ』と、大眞面目になつて答へたものである。
 『貴方の代表作「阿Q正傳」が英・獨・佛等に譯されてゐるといふことですが?』と訊ねたのに對して、彼は『そんな話を聞いたことがありますが、まだ見たことはありませんよ』と答へた。一寸、ユーモアーを通り越して禪味さへ帶びてゐる感がある。
 魯迅の生活や奇行に就て書くことはやめよう、すぐその作品に就て語ることの方が緊要である。
 『阿Q正傳』は魯迅の作品數十篇中の代表作である。同時に支那現文壇の『唯一の』と冠しても差支ない位の代表作である。
 現代の支那の小説でまづ何を讀んだらよいかと問はれたら、私はこの『阿Q正傳』を措いて外に擧ぐべきものを知らない。支那現文壇の情勢に些かでも興味と關心を有する者にして、私と同一の質問を提出された場合、この『阿Q正傳』以外に、まづ代表作を擧げ得る人があらうとは私は信じ得ない。
 『阿Q正傳』は同時に、現文壇では一つのクラシックとなつてゐる。單に文壇だけでなく、一般讀者階級に在つては、『阿Q正傳』なる言葉は今や一つの固有名詞でなくして、あまりにポピュラーな一つの普通名詞となつてゐる。『阿Q』は張三・李四と共に日本の太郎・長松にも比すべき一つの普遍した名前になつてゐる。
    
 『阿Q正傳』は旣に、英・獨・佛・露の各國語に移されて居り、エス語にさへ翻譯されて居ると云はれる。露西亞語譯の如きは二種もあつて、最近版にはルナチャルスキーが序文を書いて激賞してゐるといふ。佛譯を讀んだロマン・ローランは『阿Qの運命が讀了後ニ三日も氣になつて仕樣がなかった』と云つたと傳へられてゐる。
 斯くの如き名作が、何故今日迄わが國に紹介されなかつたのか、私は不思議な氣がして仕樣がない。
 この作品が發表されてから旣に十年になるその間、英・獨・佛等の翻譯を通してでも、日本の文壇人の眼に觸れる機會はなかつたのであらうか。いかに燈臺下暗しといつても、餘りに暗すぎはせないだらうか。それとも、その間幾度か日本人の眼には觸れたが、形式が古いとして、或は低調だとして一顧も與へられなかつたのであらうか、私は、今この拙譯を日本の讀書子に捧げんとするに當つて、改めて今更ながら下されんとする評價に多大の興味をもつものである。
 
 『阿Q正傳』は何を書いたものか。阿Qは無智蒙昧な一個の農民である。筋は浙江省紹興附近(作者魯迅の郷里)の農村に於ける辛亥革命の一事實をモデルにしたものらしい。その阿Qなる農民を中心にして支那の農村を、農民を、傳統を、土豪を、劣紳を描いたものである。
 殊にこれ等のものと辛亥革命の關係を描寫し、畢意するに革命なるものの正體が何であるかを描破したものである。描かれたる革命は今日より二十年前の革命である。その革命の波が浙江省の一寒村にまで波及し、如何に經過し、如何に結果したかを語つてゐる。しかし乍らこれはまた、ある時代の日本の所謂プロ小説の如く(勿論初期のものを指す)ヒロイックな鬪爭記錄でもなければ、華やかなる爭議體驗記でもない。これは一寒村に於て『民國革命』なる一運動が、如何に傳統の力に打負され、如何に妥協され、欺瞞されて、結局實質上何等の變革をも齎し得ずに失敗したかを、そしてこの『革命』に於てさへも利する者は結局誰であるかを、その『革命』に於てさへ、失ふ者は、奪はれる者は眞に誰であるかを語つてゐるのである。
   
 この小説は十年前に創られたものである。魯迅は今日より二十年前の辛亥革命を見、その革命の失敗を見て此の作を爲したであらう。しかし乍ら、その辛亥革命より二十年、今や彭湃として支那全土を統一するやの貌ある三民主義革命の眞の姿を知る者にとつては、或はこの小説を目して、魯迅は十年前に於て今日あるを察し、豫め今日の三民主義革命の罪過を、失敗を、眞意義を描破し置いたものであると見えないであらうか。
 而して今や、また新たに、この三民主義革命の失敗と無意義とを乗り越えて、江西に湖南に、湖北に、福建に、廣東に、中國共産黨の指導する紅軍によつて、農村革命は進軍の眞最中である。 
 この革命もまた、辛亥のそれと、三民主義のそれと同日に斷ずべきものであらうか、これに就ては、今私は何も語る資格がない樣である。これは魯迅に第二の阿Q正傳が作らるゝを待つ外あるまい。勿論、第二の阿Q正傳の作者は必ずしも魯迅を待たないであらう。だが何人の手によつて作らるゝにしても、第二の阿Q正傳なるものは、その正傳が阿Qの蒙昧史でなく、失敗史でなくして、正しく阿Qの覺醒史であり、眞に革命の成功史であることだけは確かであらう。そして、その最後の章は『その最後』でなくして、その『新しき生活へのスタート』であらうことを信じて、この小紹介文を終らうと思ふ。
                (林守仁記)

  

  
  
   〔下は、奥付の一部〕
  
  昭和六年十月五日發行
    著者  魯迅
    譯者  林守仁
    發行所 四六書院
  
〔蔵書目録注〕  
  
  「白川次郎」は、尾崎秀美、「林守仁」は、山上正義、「沈瑞先」は、夏衍である。
  文中の赤字は、明らかな誤りで、季→ と訂正した。と訂正した。 
  なお、本書は、近代書誌・近代画像データベース(国文学研究資料館)で閲覧出来る。



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