蔵書目録

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「椿姫」  (袁美雲) (1938.9)

2021年03月26日 | 翻訳・翻案 小説、詩歌、映画

     

椿姫
 原名茶花女
  光明影業公司製作
  東寶映画提供

椿姫 はかなき命にともる戀のよろこび!!今の名作現代支那の裝もてこゝになる!!
 
 今年の珍しい収穫は支那映画の「椿姫」の封切です

  事變後の友邦支那の映画初の公開、幽艶ないろどりのなかに現代支那のさまざまの姿が浮び上ってくる。つやゝかなる支那風のロマンを乗せて送って來たのである。
  支那第一のスター袁美雲の明眸と演技、南の風によせて支那の現代の代表的映画のすがたを賞で給へ

 ☆支那第一の美貌のスター袁美雲・晴のデヴュウ☆
椿姫
   袁美雲(Yuan Mei-yuan)の横顔

 浙江省杭州人で一九一七年生。(日本流に數へて二十二才)父は袁樹徳と云って且つて日本に留學し、藝術に理解があった爲め、早くから舞臺に身を投じ、次に映画界に移った。最初天一公司に働いたが、藝華公司が創立されたので、そちらへ移り一作毎に有名になり、事變前までは藝華公司の弗箱スターと云はれてゐた。美貌ではあるが可憐と云った方が良く、支那人は彼女を病體美と云ってゐる。出演映画は「飛絮」「小女伶」「中國的怒潮」「人間仙子」「逃亡」「凱歌」「花燭之夜」「化身姑娘」「小柿妹」「斬輕堂」等に、最近は「茶花女」(椿姫)
 
 ・物語り・ 上海の社交界の花、茶花女(椿姫)と讚へられる馬莉々に、學生上りの靑年辯護士杜亞蒙が會ったのは、ある慈善舞踏會の夜であった。
 莉々は肺を病んで療養中に、同じ病で死んだ娘の事を諦められずにゐる金爺さんから、その娘の身代りのやうに可愛がられ、今はその保護の下に派手な生活を營んでゐた。
 病弱な體に惡いと知りつゝ莉々が繁々と社交界に出て華々しく振舞ふのも、さうした生活態度への自棄的な現れであったが、靑年亞蒙の純眞な熱意を知るに及んで、莉々の心も和げられ再び生きる望に若い心を燃えたゝせるやうになった。
 ある日の散歩の時、亞蒙と莉々は友人達と綠濃き郊外に出たが、莉々は社交界の煩はしさから離れ、かうした田舎に住む事を望んだので、莉々は金爺さんから出資を仰ぎ、亞蒙も旅行費と稱して父から金を貰って、上海に程近い郊外に愛の巢を營むことになった。
 幸福な月日が二人の上に流れていった。がかうした噂は社交界に擴がり、金爺さんは憤慨して出費を止めてしまった爲、二人の生活は忽ち經濟的苦難の上に立ってしまった。
 亞蒙の家では、丁度婚期にある妹の縁談にも差支へ、前途ある息子亞蒙の將來を心痛の餘り、父親自ら出向いて莉々に亞蒙と別れる事を懇願するのであった。子を思ふ親の眞實に、根が純眞な莉々は深く心を打たれ、別れる事を誓ふのであった。
 亞蒙は、自棄自暴も手傳って賭け事に手を出したが、運に拙なく負けに負けて隱れ家へ歸ると、莉の掌をかへしたやうな愛想づかしに、今は詮方なく出て行くのであった。つもる借財に、債鬼は容赦なく迫り、莉々の病床近くで家財家具から、邸宅まで競賣に附されるやうになった。
 父親からの手紙で、事情を知った亞蒙がかけつけ、無言の中に二人の手は固く握り合はされた。戀の歡喜は二人の上に再び立戻ったが、莉々の美しくはかない一生はその時閉ぢられたのであった。

    製作スタッフ

 演出       ‥‥‥ 李萍倩
 撮影       ‥‥‥ 姚士泉
     小デューマの「椿姫」より
 脚本       ‥‥‥ 陳煥文 陳麟書
 美術監督     ‥‥‥ 包天鳴
 裝置       ‥‥‥ 沈維善
 プロデューサー(製作)‥  李祖萊
 原名       ‥‥‥ 茶花女

    配役

 馬莉々  ‥‥‥ 袁美雲
 杜亞蒙  ‥‥‥ 劉瓊
 劉芝英  ‥‥‥ 英茵
 錢維泰  ‥‥‥ 尚冗武
  ダウのお父さん
 杜父   ‥‥‥ 王次龍
 朱世夫  ‥‥‥ 李英
 徐敏臣  ‥‥‥ 關宏達 



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