蔵書目録

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「舞扇恨の刄」 (歌舞伎座)  2 (1891.7.15)

2022年01月20日 | 翻訳・翻案 小説、詩歌、映画

〇同 〔根岸詫間釆女住家の塲〕
   
此所は根岸御行 おぎやう の邊 ほとり なる上野の佛畵師詫間釆女が住家 すまゐ の体なり二重に澤田一角生田松江(是は今夜此處へ尋て來たる積なり)詫間釆女居並び松江は釆女に禮を云ふ釆女は今日安養寺にて有りし事どもを語り此所にて御かくまひ申す事成らねど上野の寒松院へ御落あれ左すれば町方なりとて手出しの成らぬ上野ゆえ書面を御認 おしたヽ め遊 あそば す間は氣遣ひ無し夫にしても松江どのヽ紙入れを何して落したかト云ふ(一角)夫が某 それがし が不念にて自分の紙入を深く懐中なせしゆゑ遂 つゐ 松江のには心附 つか ざりし(釆女)然らば松江どのは今夜の中に「昨夜何者とも知れず是々の品盗取られしと名主へ届を出し置かれよ(一角)然し夫ばかりでも氣遣ひなれば御出入の大名にて御役を勤むる方を賴み暫く身を𢖫び玉へト云ふ此所へ向ふより歌扇道成寺の形にて駕籠を飛せ出來り門 かど の戸を叩く釆女は驚きて一角松江を奥に𢖫ばせ此方 こなた へと歌扇を通す歌扇はキツト脱ぎたる松江の下駄に目を附け(歌扇)生田松江さんが來て居ませう(釆女)イヽヤ松江は居らぬ(歌扇)居ぬものが何で彼人 あのひと の下駄がありますえト聞れて釆女はギツクリ詰る歌扇は懐より伊兵衛に貰受し女紙入を出し(歌扇)此紙入は今日谷中の安養寺で拾ひましたがト釆女は是に驚きて(釆女)何して其紙入が手前の手に入た是は手先の伊兵衞が拾たのだト不審をする此内門 かど の外にて伊兵衛伺ひ居る斯 かく とも知らず歌扇は奥へゆかんとする此所へ一角松江出で來り實は斯々 かく〱 にて釆女殿にかくまわれ其紙入は云々 しか〲 にて取落したりト咄 はな す是にて歌扇は初めて伊兵衛のお先に遣はれしかト云ふ心附く(釆女)兎やかう申す内も心掛り已 はや 落られよト上野の御紋附の提灯を出して渡し一角に勸むる一角は實 げ にもと同じ松江に別れて奥へ這入る松江は二人に挨拶して表に出る手先共は待受て難無く松江に縄を掛けて引て這入る茲へ向ふより町方與力赤井三右衞門出て來る伊兵衞は咡いて門の外より(伊兵)歌扇の所から迎ひに來ましたから明 あけ て下さいト云ふ釆女は心得て明るドヤ〱と三右衛門を初めとして手先大勢内に這入り釆女を取圍み一角の詮議をする去 され ども釆女は白狀せぬゆゑ刀の鞘にてこぢ上 あぐ る歌扇は釆女の苦しむを見て何ぞ助けてくれろト賴む(赤井)然らば一角を落せし先を申せ助け得させんト是にて歌扇ハ上野の寒松院へト云ふ(赤井)ムヽ宜し〱然らば釆女を引立てよ歌扇には搆 かま ひ無いト指圖して釆女を引立往かうとする歌扇は赤井を睨附 にらみつけ て(歌扇)夫では私しを欺したのかト悔み泣く所にて幕 

〇三幕目〔評定所訴所の塲〕
  
舞臺は都て評定所訴所 うつたへしよ の体にて茲に改役入江新五郎書 かき 役大竹金之助其外書物 かきもの 方同心足輕など居並ぶ此時舞臺の後にて「上野佛畵師詫間釆女安養寺住職虚誕同く所化信念深川六間堀長右衛門店 だな 生田松江」ト呼ぶ聲聞ゆる(入江)モウ大鹽一件の御吟味が初まツたと相見えますなト是より一角の噂して居る所へ向ふより支 さヽ ゆる足輕を押退けて澤田一角麻上下 かみしも の形にて出來る皆々打驚き姓名を名乗り推參の次第申上よと云ふ(一角)拙者事は大坂の浪人澤田一角と申すものなるが拙者をかくまひたるが疑ひにより詫間釆女其外の者御吟味受 うく ると承 うけたまは り名乗り出て御座るト云ふ是を聞きて一同は俄に騒立ち怖々ながら大小を取上る是より同心足輕共少し心強くなる(一角)今日詫間釆女其外の者御吟味の由承れば直樣 すぐさま 大白洲 おしらす へ御廻し下されよト云ふ大竹は心得て内に這入る(入江)念の爲其方の住所生國其外申述べよ(一角)拙者儀は生國は甲州山梨郡 ごほり 府中住居 すまゐ の浪人なるが其後大坂に下り町奉行付與力に召抱られ其後二度び浪人致し天滿にて剣術の指南を仕 つかまつ り大鹽平八郎と懇意に相成り當年三十四歳で御座るト述 のぶ る同心は肩衣 かたぎぬ を外し縄掛れト云ふ(一角)一角は武士なれば一應の御吟味無き内縄打たるヽこと相成らぬ(入江)然らば其儘にて引立てよ(一角)武士道の御扱ひ忝 かたぢけな ふ存ずるト此 この 件 くだん にて道具廻る

〇同 〔評定所大白洲の塲〕

舞臺は都て評定所白洲の体なり茲に町奉行筒井伊賀守御勘定奉行深江近江守其外御目附留役書役抔 など 大勢居並び直に澤田一角を呼出す筒井は此塲の實役にて深江は敵 かたき 役なり筒井は一角が差出せし書面を一讀なして(筒井)して詫間釆女其外の者は其方の隱れたる先を存じ居らぬよナ(一角)存じ居らぬに相違御座らぬ寒松院へとは存ぜしが人に迷惑を掛くるも不本意ゆゑ恐ながら大猷 だいゆう 院殿の御緣の下に隠れ居りました(筒井)其方始め大䀋一味の者は何の不滿あツて事を起せしかト尋ぬる是より(一角)去年以來の大飢饉を役人共は余所 よそ に見て私欲にのみに耽り山程 やまほど ある大坂の藏米一粒もお救 すくひ に出さず夫を見習ふ町人ばら其身は驕 おごり を極めながら救の米錢を出さず申 まうす も胸に餘て御座る(深江)イヤ其御藏米には御用途の定 さだめ あり殊に將軍宣下の御大禮行はる筈なれば滅多に救に出されぬ(一角)夫ぞ本末を誤まつたる御政事なりト是より幕府が天下を我物なりと思ふは大に了見違ひ鎌倉以來武家の永く續ぬは禁裏を蔑視 ないがしろ にするが爲め我々一味の者が事を起せしも幕府の夢を驚 おどろか し御改革催さん爲なりト述ぶる是にて深江はグツト詰る筒井は惜 おし い武士だと云ふ思入にて(筒井)猶追々呼出す吟味中入牢申付る(一角)畏 かしこまつ て御座るト肩衣 かたぎぬ を外し手を後に廻す此件宜しくあつて幕
 
〇四幕目〔山谷八百善待合の塲〕
 
舞臺は都て山谷八百善表待合の道具なり此所に俳諧の宗匠丸手俗齋幇間 たいこもち 櫻川善孝の二人居て菱刈の旦那は此間から詫間釆女さんを助て遣り度いと色々心配を被爲 なされ 今日も其事で八丁堀の赤井さんへ御出掛なすツたそうだがモー御出に成りそうなものだト咄 はな して居る所へ向ふより藝者おりゑ、おきみ、おいく、小まん、おつが出て來る(俗齋)やア是は揃て尚齒會でもあるのかト惡口を云ふ是より穿 うが ちの可笑味あツてドヾ藝者は打連れ八百善の中には入る此所へ又向ふより序幕の菱刈彌太夫坂東歌扇を連 つれ 出て來り俗齋善孝の二人を先に内へ遣り(菱刈)釆女さんの御仕置が愈々明日極 きま るとのことゆゑ今日赤井さんに遇て賴んだら歌扇を連て八百善まで出掛て來い咄しをしようとのことだから程能 ほどよ く機嫌を取て酒の相手をするが好い(歌扇)釆女さんが入牢してからは赤井さんが私しに怖 をどか し文句の無理口説 くど き私しや悔しう御座んす(菱刈)夫も尤 もつとも だが仇に枕を交し貞女を棄てヽ貞女を立た常盤御前が好い手本だト此筋の意見ある此所へ以前の俗齋出て來り(俗齋)赤井さまは先刻 さつき からお待被爲て御座いますト是にて二人は俗齋とも〲内に這入る此件にて道具廻る 

〇同 〔同く座敷の塲〕
 
舞臺は都て八百善の座敷にて酒宴の體なり此所に赤井三右衞門、靑山新藏、黑塚五八、伊兵衞、其他藝者おりゑ、おきみ、おいく抔 など 居並び惡口戯言 じやうだん 抔宜敷あツて下手より菱刈歌扇を連て出て來り(菱刈)大 おほき に遲なわりました(赤井)歌扇何時も繁昌だの(歌扇)菱刈さんから願ひました釆女さんの事を何分宜敷ト賴む(赤井)夫は己 おれ が胸にある後にゆツくり咄しを仕ようマー今日は安心をして大な猪口で飮が好いト是より歌扇は大酔 おほよゐ になる折から後 うしろ にて(是は隣座敷の心なり)は唄聞ゆる(おりゑ)オヤあれはお師匠の作た舞扇と知らず〱立て踊の振に成る歌扇も初めは敎ゆる心なりしが後は自分で舞ふと宜敷此唄の切にて道具廻る

〇同 〔今戸赤井別莊の塲〕
 
舞臺は都て赤井三右衞門が今戸の別莊の体なり此所へ赤井は歸て來て小間遣を呼び(赤井)何時 いつ もの連中が見えたら己 おれ に知らせいト言附る間も無く小間遣ひ出て靑山黑塚伊兵衞が連て來たト云ふ夫では伊兵衞を呼でくれよトの事に小間遣いは入る直に伊兵衞出て來る(赤井)常に思 おもひ を掛たアノ歌扇今夜は手に入れる積 つもり だが邪魔な釆女は明日の朝片附て仕舞ふから貴公能く含で居て呉よト云ふ伊兵衛は承知をして歌扇を連て出て來る(歌扇)釆女さんは愈々明日御仕置が極 きま るそうで御座いますが何分宜敷ト賴む(赤井)其お仕置も並々の中逐放なら好いが御手當になる釆女(歌扇)其お手當とは(伊兵)御手當と云ふのは牢を出る前に藥だと云ッて貝に入ッた毒を飮ますスルト其囚人 めしうど が牢を出て二足三足往くとバッタリ倒るヽ直ぐに醫者を呼び頓死の積にして事濟 ことずみ だト聞きて歌扇は驚き(歌扇)何ぞ釆女さんの命を助て下さいト泣て賴む(赤井)助てくれなら助でも遣らうが其代り己が云ふ事を聞くかト是にて歌扇は詮方無く得心する(歌扇)シテ其助て下さる工夫は(赤井)夫は靑山新藏に命じおき兼て毒に成らぬ藥を入れた貝を用意して其毒とすりかへる又釆女にも言含め牢を出たら唇でも噛 かん で血を出し死だ振をスルト手前が駕籠を以て迎へに來て死骸を引取る振をして連還れト是より死骸引取の願と道中切手とを書認めて歌扇に遣り靑山新藏を呼びて云々なりト言含め一寸考へて(赤井)先年京都一件で松野治部 ちぶ を取扱ッた樣に釆女を取扱ふのだト云ふ新藏も心得ては入る伊兵衛も次 つヾ いては入る跡二人に成り一寸もたつきあふ振あッてトヾ歌扇は赤井の側に寄り其不意を伺ひ短刀を抜取りて赤井が脇腹を刺す是より両人鬪爭 たちまわり あッて遂に赤井を刺殺し手洗鉢 ちやうづばち の水を一ト口飮みてほッと息をつく件宜敷あつて幕

〇五幕目〔牢屋敷門前の塲〕

舞臺は都て小傳馬町牢屋敷門前 もんそと の道具なり此所に黑塚五八、伊兵衛其他手先非人見物大勢居る(伊兵)今日は澤田一角一件の者は皆お仕置に成まするう(五八)一角は大坂へ送られ同地にて磔 はりつけ に成る積だが熱病ゆゑ今日の送りは六ヶしい又詫間釆女は中逐放 ちうつゐほう 夫から安養寺住職所化其外は屹度叱りで事濟み琴引の松江だけが少し重いゆゑ江戸搆 がま ひだト云ふ所へ門の内より靑山新藏詫間釆女手先附 つゐ て出て來り釆女は中逐放になると云ふ申渡しを受て下手の方に往掛 ゆきかヽ りしが俄に血を嘔 は いて其所 そこ へ仆れる直ぐに醫者を呼出す醫者は頓死なりと云ふ此時歌扇見物人の後より出て死骸引取の願を出し(歌扇)是なる釆女の身寄の者なりト云ふ然らば苦しう無 ない 死骸連還れト是にて歌扇は兼て用意の駕籠に釆女を載せて附添ひは入る伊兵衞新藏と顔見合せ甘 うま くいッたト咡く件宜敷此道具廻る

〇大詰〔左衞門河岸捕物の塲〕
 
舞臺都て左衞門河岸夜明の体なり此所へ歌扇は駕籠を舁 かヽ せて出來り垂 たれ を上げて(歌扇)モウ誰も居無いから死ンだ振をするに及ばぬト云ひつヽ釆女が實に死してあるを見て打驚き居る所へ靑山伊兵衞兩人出來り(伊兵)死人が死ンで居るのは當然 あたりまへ だ(靑山)先年松野治部を取扱ッた時の樣にしろト赤井さんが云ッたから仕たのだ(歌扇)能 よく も釆女さんを殺さしやんした御禮は屹度ト懐中したる短刀を抜くより早く靑山を切り伊兵衞は驚き取て押へる是より兩人の立廻り宜敷トヾ伊兵衞に一刀 ひとかたな あびせる此内に吊 とむら ひの人數出て來り棺桶 はやをけ を捨てヽ逃ては入る歌扇は其棺桶に腰を掛け咽 のんど を突く此所へ手先大勢出て來たる事あッて宜敷幕

 明治廿四年七月十四日印刷
 仝   年七月十五日出版



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