蔵書目録

明治・大正・昭和:来日舞踊家、音楽教育家、来日音楽家、音譜・楽器目録、士官教育、軍内対立、医学教育、林彪、北京之春 

『日本詩歌選』・『桜花国歌話』・『謡曲 盆樹記』 (1941-43)

2018年03月20日 | 日中翻訳文学
 日本詩歌選 銭稲孫譯

 目次

 萬葉集

 和歌
  
  花光看已改 閲歴我徒多           小野小町 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町
  白鳥能無蕭索 天海碧都不着 但漂泊     若山牧水 白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ      若山牧水
  堪嗟 没生命的泥沙 剛一握 屑屑都従指間瀉 石川啄木 いのちなき砂のかなしさらさらと握れば指の間より落つ      石川啄木
   
 俳句

  武士夢留夏草深    松尾芭蕉  夏草や兵 つはもの どもが夢のあと   松尾芭蕉
  春濤鎭日懶洋洋    與謝蕪村  春の海終日 ひねもす のたりのたりかな 與謝蕪村 
  孤雀毋哀 與我嬉來  小林一茶  我と来て遊べや親のない雀        小林一茶

 現代詩

     千曲川旅情歌  「落梅集」島崎藤村 

  此地小諸故壘  小諸なる古城のほとり
  白雲遊子興悲  雲白く遊子悲しむ
  滋草未回   緑なす繁縷 はこべ は萌えず
  欲籍乏芳菲   若草も藉 しく によしなし
  但山鋪銀錦被  しろがねの衾 ふすま の岡辺 をかべ
  溶雪淙淙淡日暉 日に溶けて淡雪 あはゆき 流る

   〔以下省略〕 

     雲的去向 「若菜集」島崎藤村

  

     北国農謡  宮沢賢治    

  不畏風兮     雨ニモマケズ
  不畏雨      風ニモマケズ
  耐得寒多     雪ニモ夏ノ暑サニモ
  耐得暑      マケヌ
  壮実身躯     丈夫ナカラダヲモチ
  澹無欲      慾ハナク
  嬉嬉鎭曰     決シテ嗔ラズ
  不瞋目      イツモシヅカニワラツテヰル

     〔以下省略〕 

 作者小考 北京近代科学図書館編輯部編
 跋    中華民国三十年一月十一日 周作人識
 跋    昭和十六年一月二十四日夜 山室三良

 昭和十六年 〔一九四一年〕 四月廿五日印刷 昭和十六年四月三十日発行 発賣所 文求堂書店

 

 桜花国歌話 銭稲孫

 桜花国歌話 銭稲孫 北京中国留日同学会叢書

 中華民国三十二年 〔一九四三年〕 三月十五日発行  定価二元三角 訳注者 銭稲孫 発行所 中国留日同学会 〔北京〕 18.3センチ、113頁。

 ・小序 

  銭稲孫訳日本愛国百人一首既成、易名桜花国歌話、将付印刷、命鄙人序其端。関於日本詩歌之鑒賞、解説、翻訳、為事択人、無過銭先生者、鄙人於此何能賛一辞。唯以私交論、重違銭先生之雅意、又不可以無言、則仍以不切題法出之、故雖似序而実不成其為序也。此選原名愛国百人一首、蓋処マ照通行的小倉百人一首之形式、而専取愛国的詩歌、作者百人、人各一首、故名。〔以下省略〕

     中華民国壬戌歳不尽五日、周作人識於北京。

 ・引

 ・百人一首

 ・跋 〔下は、最後の部分〕

  今茲此訳、実出一時興致、始事於十二月一日、稿竟於一月二十九日、不免草率。初題「日本愛国百人一首歌訳」、而中途改名曰「桜花国歌話」、題欲自勗於将来之続訳、以此為首章也。

 

 なお、『中華留日同学会季刊』 第三巻 第四号 〔一九四四年十一月〕に本書の広告がある。

 「桜花国歌話」

   中華留日同学会叢書第一種

     四六版一冊・価二元三角

   和歌為代表日本国民精神之文学、翻訳亦最難。本書為日本新選「愛国百人一首」之漢訳、所収皆扶桑家弦戸誦膾炙人工之作。全書漢和対照、前有引言、後有跋語、並附作者小伝、本事考拠及歌詞解釈。周作人先生謂…「関於日本詩歌之鑒賞解説翻訳、為事択人、無過銭先生者。」又謂「此訳根拠彼邦学者公選定本、古用古語、今従今体、達旨造詞、備極美善。」日本当代歌宗佐佐木信綱氏亦謂「作者小伝與詩歌批評皆極適切、蓋訳者深解和歌又洞日本国民精神、故能為此佳訳。」銭先生昔年翻伊太利但丁〔ダンテ〕神曲、論者以為騒体詩意逼肖原作、今則才華益老、下筆益慎、可謂擅信達雅三長、為外国詩歌漢訳樹一楷模。

 

 表紙には、「謡曲 盆樹記 銭稲孫訳」とある。奥付には、「昭和十七年 〔一九四二年〕 五月十五日発行 (非売品) 訳者 銭稲孫 発行者 北京近代科学図書館(代表 山村三良)」21センチ、30頁。
 「鉢木」の漢訳本で、最終頁の第30頁は、能舞台の簡略図である。
 なお、見返しに、「正誤表」1枚が貼付されている。
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『綿被』 田山花袋著 夏丐尊訳 (1929.4)

2013年11月20日 | 日中翻訳文学
 綿被 田山花袋著 夏丐尊訳

 ・愛欲(代序)方光(38頁)

 ・綿被(109頁)

  才要走下従小石川切支丹到極楽水去的那坦坡的時候、他想『従此自己與她的関係、已告了一段落了。年紀到了三十六歳、已有了三個子女、還有那様的念頭、自己也覚好笑起来但是‥‥但是‥‥這果是事実嗎?那様地把愛情注在自己身上、難道只是愛情不是恋愛嗎?』
  許多充満了感情的書信ー両人的関係、早已不是尋常。因為有子女、有社会、有姉弟的関係、雖不敢堕入強烈的恋愛、但対語時的心胸的動悸、相見時的眼光、其底裏確潜蓄着狂蕩的暴風。只要一遇到機会、覚得這底部的暴風、就会奪圍而出、把妻子、社会、道徳、姉弟的関係都一挙衝破的。〔以下省略〕
  
 ・奥付(1頁)

 ・文学研究会叢書の広告(2頁)

  
 
  綿被  一冊 四角五分

   夏丐尊訳 本書為日本自然派主将田山花袋的有名的小説田山氏是在煉獄中認真過活的人綿被也就是他的懺悔実録他於霊肉的衝突愛欲的争闘大膽地真摯地叙述露骨地厳粛地描写結構又復非常謹厳巻首有長序一篇対於本書詳加解釈

 中華民国十六年一月初版 十八年 〔一九二九年〕 四月再版 
 文学研究会叢書 著者 日本田山花袋 訳者 夏丐尊 
 発行者 商務印書館 〔20.2センチ、毛辺本〕

 なお、訳者の夏丐尊は、浙江の人で日本留学経験があり、教え子に豊子がいる。表紙は、その豊子〔『漫画阿Q正伝』などで有名〕の版画である。 
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『漢英文学因縁』 蘇曼殊編 (1920年代?)

2013年11月19日 | 日中翻訳文学
 漢英 文学因縁  蘇曼殊編  
    CHINESE-ENGLISH POETRY. COMPILED BY REV.MANDJU.
  上海求益書社印行

    

 ・曼殊訳の「阿輸迦王表彰仏誕生処碑」の写真
 ・曼殊の画9幅の写真 「海天空闊図」,「丙午初秋須磨海岸送水野氏南帰」等

 ・木蘭歌 
 ・春日酔起言志
 ・鳥夜啼
 ・李白の「怨情」、「独坐敬亭山」、李白の「夜思」
 ・李白の「月下独酌」
 ・「子夜呉歌」
 ・白居易の「長恨歌」
 ・「采茶詞」
 ・「葬花詩」
 ・バイロンの留別雅典女郎(「MAID OF ATHENS, ERE WE PART.  Byron」)

   

 総発行所 上海求益書社 
 印刷者  求益書社 
 発行者  求益書社 
 編著者  蘇曼殊 元瑛 
 定価   大洋四角五分 
 (漢英文学因縁)全一冊

 出版年代は不明〔1920年代?〕。横22センチ、左紐綴じ、本文68頁、奥付、広告3頁。
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『近代日本小説集』 東方文庫第79種 (1924.10)

2013年10月08日 | 日中翻訳文学
 近代日本小説集  東方文庫第七十九種

    東方雑誌社編印 商務印書館発行  東方雑誌二十週年記念刊物

 ・夫婦 … 国木田独歩著 丐尊訳
 ・金魚 … 鈴木三重吉著 周作人訳
 ・両條的血痕 … 石川啄木著 周作人訳
 ・久米仙人 … 武者小路実篤著 韞玉訳 
 ・潮霧 … 有島武郎著 周作人訳嚝
 ・投票 … 菊池寛著 仲持訳

 作家伝略(附録)

 国木田独歩

 国木田独歩(Kunikida Doppo, 1871-1908)是日本自然派小説家的先駆、他的傑作独歩集在一九〇四年出板、但当時社会上没有人理会他、等到田山花袋等出来竪起自然主義的旗幟、這纔漸漸有人知道他的価値、但是他已経患肺病不久死了。独歩集裏的正直者(Shojikimono)與女難(Nyonan)等数篇、那種厳粛的性欲描写為以前的小説所未有、的確可以算是自然派的嚝野上的喊声;但他的興味並不限於這一方面、他的意見也並非従曹拉一派来的;他的思想很受威志威斯的影響、他的芸術是以都涅夫為師的、所以他的派別很難断定、説是写実派固然確当、説是理想派也無所不可。

 鈴木三重吉
 石川啄木

 石川一(Ishikawa Hajime, 1886-1912)別号啄木(Takuboku)、初在故郷渋民村当小学教師、月薪八元、当苦不足、流転各地為新聞記者、後東京、與森鴎外(Mori Ogai)与謝野寛(Yosano Hiroshi)諸人相識、在雑誌昴(Subaru)上発表詩歌小説、稍稍為有識者所知。但是生活仍然非常窘苦、夫婦均患肺病、母亦老病、不特没有医薬之資、還至於時常断炊。他的友人土岐哀果(Toki Aika)給他編歌集悲哀的玩具(Kanashiki Omocha)售得二十円、他纔得買他平日所想服用的一種補剤、但半月之内他終於死了、補剤還賸下了半瓶。他死時年二十七、妻堀合節子(Horiai Setsuko)也於一年後死去了、遺下両個小女孩。他的著作経友人土岐等蒐集、編為啄木全集、分小説詩歌及書簡感想等三巻、於一九二〇年出板完成。
 両條的血痕(Ftasujii no Chi)原本収在全集第一巻(1919)裏、是一種幼時的回憶、混和『詩與真実』而成、很有感人的力量。

 武者小路実篤
 有島武郎

 菊池寛

 菊池寛是日本的一個著名新進文学家。歴史小説多種。以精於心理分析見称。

 東方文庫目録

  
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『啼笑因縁』 上・下 生活社 (1943.8-11)

2012年12月08日 | 日中翻訳文学
 啼笑因縁 上・下 張恨水著 飯塚朗訳 生活社  装幀 太田三郎

       
  上 :昭和十八年 〔一九四三年〕 八月 五日発行(三〇〇〇) 〔18.8センチ〕

  口絵

   ・啼笑因縁の原稿の一頁

    

   ・唱太鼓一景(民国三十一年秋 北京天橋にて著者撮影)

  目次     2頁
  自序 張恨水 5頁
  訳者まへがき 33頁
  本文 362頁

  下 :   同          十一月廿五日発行(三〇〇〇) 〔18.4センチ〕

  本文 383頁

 この上下二冊は、訳者のまえがきによると、「この翻訳は、民国十九年 〔一九二〇年〕 十二月初版の、三友書社から出た三冊本に拠った。」ものである。

 

 啼笑因縁 張恨水著 新文藝書店出版 〔18.3センチ〕

           中華民国十九年十二月初版 中華民国二十年二月三版 全一冊
           著作者 張恨水 校訂者 厳独鶴 出版者 文藝書社

 李浩然先生題詞 2頁
 厳独鶴先生序  7頁
 作者自序    4頁
 本文     430頁

  第一回 豪語感風塵傾嚢買酔 哀音動絃索満座悲秋 

 相伝幾百年下来的北京。而今改了北平。已失去那首善之区四個字的尊称。但是這裏留下許多偉大的建築。和很久的文化成績。依然値得留恋。尤其是気候之佳。是別的都市。花銭所買不到的。這裏不像塞外那様苦寒。也不像江南那様苦熱。三百六十日。除了少数日子刮風刮土而外。都是晴朗的天気。論到下雨。街道泥濘。房屋毒湿。日久不能出門一歩。是南方人最苦悩的一件。北平人遇到下雨。到是一喜。這是因為一二十天。遇不到一場雨。一雨之後。馬上就晴。雲浄天空。塵土不揚。満城的空気。格外新鮮。北平人家。和南方人是反比例。屋子尽管小。院子必定大。天井二字。是不通用的。因為家家院子大。就到処有樹木。你在雨霽之後。到西山去向下一看旧京。楼台宮闕。都半藏半隠。夾在緑樹叢裏。就覚得北方下雨。是可歓迎的了。南方怕雨。又是怕的是黄梅天気。由旧暦四月初以至五月中幾乎天天是雨。可是北平呢。依然是天晴。〔以下省略〕

 做完啼笑因縁後的説話 8頁

一 対読者一個総答覆

 在啼笑因縁作完以後。除了作一篇序面外。我以為可以不必作関於此書的文字了。不料承読者的推愛。対於書中的情節。還不断的写信到新聞報館去問。尤其是対於書中主人翁的収場。嫌其不円満。甚至還有要求我作続集的。這種信扎。拠独鶴先生告訴我。毎日収到很多。一一答覆。勢所難弁。就叫我在本書後而作一個総答覆。一来呢。感謝諸公的盛意。二来呢。也発表我一点意見。
 〔以下省略〕

  二 是否要做続集
  三 幾個重要問題的解答?

 

 啼笑因縁続集 張恨水著 李浩然題 文藝書社出版 〔18.3センチ〕

  作者自序 中華民国二十二年一月二日張恨水序 2頁
  本文  130頁

   第一回 雪地忍衣単熱衷送客 山楼苦境寂小病留蹤

 却説西山的何氏別墅中、紫色的窗幔上、照着一雙人影、窗外冰天雪地中的一輪涼月、也未免対了這旖旎的風先、発生微笑、這両個人影、一個是樊家樹、一個是何麗娜影子、是那様倚傍一処、両個人也就站着不遠。〔以下省略〕
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『日語文芸読本』『再和我接個吻』『祖蘭俳存』 葛祖蘭 (1924、1936、1979)

2011年07月07日 | 日中翻訳文学
 ○ 表紙には、「自修適用 日語文芸読本 葛祖蘭訳注」とある。22.8センチ、自序4頁、目次2頁、370頁。奥付には、「中華民国二十年六月初版 中華民国二十三年 〔一九二四年〕 六月 十二月 本館 再版 三版」、「編訳者 葛祖蘭 発行人 王雲五 印刷所 商務印書館 発行所 商務印書館」などとある。
 自序には、「本編編訳之際、頗承松本 〔松本亀次郎〕 先生黄潔如氏山上氏酒匂氏匡助。又承銭君匋氏装幀。附誌於此以表謝忱。 民国二十年六月本書成書之日葛祖蘭序於母校澄衷中学校校長室。」などとある。
 下は その目次。

 一 人生 芥川龍之介 
 二 大道無門 芥川龍之介 
 三 人間の描ける作家 菊池寛 
 四 聞き取れぬ電話 菊池寛 
 五 天外氏の芸術 徳田秋声 
 六 「新珠」に就いて 菊池寛 
 七 有島氏の死 菊池寛 
 八 闊達で愉快な感じ 近松秋江 
 九 芥川の印象 菊池寛 
 十 大衆文学の流行に就いて 谷崎潤一郎 
 十一 清い情熱 久米正雄 
 十二 災後雑感 菊池寛 
 十三 蜘蛛の糸 芥川龍之介 
 十四 空想 武者小路実篤 
 十五 清兵衛と瓢箪 志賀直哉 
 十六 章炳麟氏 芥川龍之介 
 十七 魔術 芥川龍之介

 

  ○ 表紙には、「再和我接個吻 日本菊池寛原著 葛祖蘭訳 一九三六年 〔昭和十一年〕 一月校正三版」とあったと思われる。菊池寛の『第二の接吻(せっぷん)』の中国語訳本である。12.6センチ。
 所蔵本は、表紙の書名が一字欠け、保存状態が悪く、128頁以下が欠で、本文も128頁以下がない〔『唐弢蔵書目録』には、同じ書名で二冊あるが、いずれも「訳者自刊 32開」で、出版時間は「1928」と「1936 三版」とある。また、『実藤文庫目録』によれば、「民国17刊(25印)」は、「285p」である。
 内容は、開場白9頁、批評代序9頁、内容目次2頁、本文、尾声で、「封面画」は「銭君匋」である。

 下は、「開場白」の一部。

 我従民国六七八年間、著了一部自修適用日語漢訳読本以後、至今足足八九年、没有著過一本書、

 我現在所著的:是把日本文芸大家菊池寛氏所著的第二ノ接吻、-英文也可叫作Give me The Second kiss!訳成国語。読者不要笑我明明是訳書、美其名日著書!読者当很曉得訳小説的工作、有時実在此著書還要苦。因為一字不合、煞費推敲;一句不合、煞費推敲。要把牠訳得恰恰相配、如「天字第一号」、配「イノ一番」似的才好。巌幾道先生會説過訳書要做到信達雅、三個字才好的話。

 閑話休提、語帰正伝。我方才不是説訳第二ノ接吻麼?我翻開原著、対於書名如何訳法、就費斟酌起来了。我初訳作「第二度接吻。」和忍公一商量、他説:「原著的書名、不如英文来得好;而你的訳名、又不如原著的書名来得好。」於是我又想了一想、以為原著的書名、実従京子対村川所要求的「第二ノ接吻ヲシテ下サイ!」這句話出来的。似不応循着原名、直訳作「第二度接吻」応当把牠意訳作「再給我一吻!」忍公也賛道:「這就好多了!這是比原名来得顕豁了!」於是我就決用這個訳名。但後来又嫌這個訳名、容易和英文Give me kiss again 相混、乃又把牠改為「再和我接個吻!」一個書名、雖経三易、然還不敢説吻合無間。很希望読者為我斟酌一下!書名既定、其次就輪到節目。原著共分十四節。除一、三、四、五、六、八、九、十、十四、九個節目、都可直訳外、二、七、十一、十二、十三、五個節目、也就頗費斟酌。

 「批評代序(以見報先後為序)」は、次の5つである。

 (其一)介紹「再和我接個吻」  忍公   見十七年十一月三日時事新報学燈
 (其ニ)CHINA MARBLE  沈端先  見十七年十一月大江月刊
 (其三)介紹「再和我接個吻」  都良   見十七年十二月十日時事新報青光
 (其四)「再和我接個吻」的翻訳 子   見十七年十二月分一般
 (其五)「再和我接個吻」    痩柏   見十八年三月十日文学週報

 

  ○ 表紙には、「祖蘭俳存 葛祖蘭」とあり、奥付には、「祖蘭俳存ー私家愛蔵版 一九七九年 〔昭和五十四年〕 一月発行 著者 葛祖蘭 〔上海〕 発行人 山田桂梧」などとある。14.7センチ、48頁・後記2頁。

 ・序
 ・私の俳歴 (八十六歳の写真) 葛祖蘭      一九六五年一月二十五日上海にて。
 ・祖蘭俳存
 ・後記 山田桂梧 (葛祖蘭夫妻の写真)
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