蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

「カルメンの唄」 中山晋平 (1919.2)

2024年07月04日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

      

 カルメンノ唄
  
  謹んで松井須磨子氏の靈に捧ぐ
            大正八年一月
                編者
  
 カルメンの唄 
   北原白秋 作歌
   中山晋平 作譜 
   萱間三平
  
 ▢煙草のめのめ

   其の一
  
 煙草のめのめ、空まで煙 けぶ せ、
 どうせ、この世が癪のたね、
   煙よ、煙よ、たゞ煙、
   一切合切、 みな煙。
 
 煙草のめのめ、照る日も曇れ、
 どうせ、一度は涙雨。
   煙よ、煙よ、たゞ煙、
   一切合切、 みな煙。
 
 煙草のめのめ、忘れて暮らせ、
 どうせ、昔はかへりやせぬ。
   煙よ、煙よ、たゞ煙、
   一切合切、 みな煙。  
 
 煙草のめのめ、あの世も煙 けぶ れ、
 どうせ、亡くなりや野の煙 けぶり 。
   煙よ、煙よ、たゞ煙、
   一切合切、 みな煙。
 
   其の二 
  
 煙草よくよく、横目で見たら、
 好きなお方も、また煙草。
   煙よ、煙よ、たゞ煙、
   一切合切、 みな煙。
 
 煙草つけよか、紅 べに つけませうか、
 紅ぢゃあるまい、脂 やに である。
   煙よ、煙よ、たゞ煙、
   一切合切、 みな煙。
  
 煙草ぷかぷか、キッスしてゐたら、
 鼻のパイプに、火をつけた。
   煙よ、煙よ、たゞ煙、
   一切合切、 みな煙。
 
 ▢酒塲の歌

   1
 ダンスしませうか、
 骨牌 カルタ 切りませうか、
  ララッララ、ララッラ ラララ。
 赤い酒でも飲みませうか。
   2
 ピアノ彈きませうか、
 笛吹きませうか。
  ララッララ、ララッラ ラララ。
 赤い月でも待ちませうか。
   3
 闘牛見ませうか、
 花投げませうか、
  ララッララ、ララッラ ラララ。 
 赤い槍でも振りませうか。
   4
 女賭けませうか、
 玉突きませうか、
  ララッララ、ララッラ ラララ。
 赤い心臓でもあげませうか。
   5
 さあさ退散 ひ けませうか、
 まァだ飲みませうか、
  ララッララ、ララッラ ラララ。
 赤い橇 そり にでも乗りませうか。

 ▢戀の鳥

   カルメンのうたふ小曲
  
 捕らへて見ればその手から、 
 小鳥は空へ飛んでゆく、
 泣いても泣いても泣ききれぬ、 
 可愛いい、可愛い恋の鳥。
 
 たづねさがせばよう見えず、
 氣にもかけねばすぐ見えて、
 夜も日も知らず、氣儘鳥、
 來たり、住 い んだり、風の鳥。
 
 捕 と らよとすれば飛んでゆき、
 逃げよとすれば飛びすがり、
 好 す いた惚れたと追っかける、
 翼 つばさ 火の鳥、戀の鳥。  
 
 若しも、翼を擦 す り寄せて、
 離 はな しやせぬぞとなったなら、
 それこそ、あぶない魔法鳥 
 戀ひしおそろし、戀の鳥。

 ▢解題
 
 カルメンの唄解説
  
 「カルメンの唄」はメリメエ原作、川村花菱氏脚色の「カルメン」劇中に用ひられる小唄である。
 松井須磨子氏は大正八年一月五日有樂座に此の劇の女主人公として出勤中、愛人にして恩師なる島村抱月先生のあとを追って自殺を遂げた。  
 次に川村氏から請ひ得た個々の解題を揭げる。
  大正八年一月十五日   編者
  
  〇   河村花菱 
  
 ▢煙草のめのめ
   
  セビリヤの町の煙草工塲には、多くのうら若い女達が働いて居て、正午の鐘が鳴り出すと、柔かい肌に風を入れながらなまめかしい風俗で町へ食事を取りに行く。その行きに歸りに彼れ等のうたふ唄である。町の若者共は歌が聞こえ出すと、四辻に待ち受けて煙のやふなはかない戀を投げかけるのを一日中の樂しみとして居る。口にアケシアの花を啣へたジプシー女のカルメンも工女の一人に交って居る。  
  
 ▢酒塲の歌
  
  リラスの酒塲には多くの醉客が夜毎夜毎に集つて酒と歌、カルタと女に時の過ぎるのも知らずに居る。其間を右に左に、ましらのやふなジプシー女は、差されるまゝに五色の酒のコップを擧げて、生命と、自由と戀の爲に、節面白く合唱する。一人美しいカルメンはホセの踊るのを待ちわびて居る
 
 ▢戀の鳥
  
  ホセは牢を出るなり一月ぶりでカルメンの顔を見た。語らふ間もなく時は流れて點呼のラッパの鳴る時が來た。つきぬ名殘をホセは再び兵營に歸らふとすると「やがて二人が離れ離れになった時何處かで同じ歌の節を聞いたら必ず妾の事を思ひ出すして呉れるやうに」とカルメンは無理に引き止めてやる瀨ない胸の思ひを唄ふホセはうっとりと聞き惚れる。歌が終るとカルメンは續いて四ツ竹の踊を踊ってホセをもてなした。よもや一生の運命が恁うした間に定まらふとは神ならぬ身のホセに怎うして思はれやふ‥‥‥。
 
      裝幀  岡本歸一


「國性爺合戰」に就いて (道頓堀 浪花座) (1918.1)

2024年01月27日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

        
 近松巣林子作 「國性爺合戰」に就て 大當り二百年の記念 
  
 近松門左衛門翁が畢生の大傑作「國性爺合戰 こくせんやかつせん 」が書卸 かきおろ されて今の浪花座なる筑後の芝居へ初めて上演せられたは正徳五年十一月朔日 ついたち であつた、古今未曾有の大當りを取つて三年越しに十七ヶ月間打續け衣裳を新調すること三度にまで及んだのである。
 此素晴らしき勢 いきほひ は忽ち歌舞伎界に及び、翌享保元年秋京都の都萬大夫座にて柴崎林左衛門(甘輝 かんき )山本かもん(錦祥女)榊山小四郎(和唐内)芳澤あやめ(母磯埜)等らが之れを演じ、其翌享保二年三月十五日初日で大阪道頓堀嵐大三郎座で中川佐十郎(甘輝)佐野川花妻(錦祥女)竹島幸左衛門(和唐内)嵐三十郎(老一官)萩野八重桐(母磯埜)等が上場した此時は櫻山四郎三郎、姉川新四郎等が他二座で開演し三座大競爭となつた。同年の五月には國性爺熱が江戸の三座に迄及ぼされ中村座では二代目市川團十郎、市村座では大谷廣次、森田座では初代松本幸四郎が此狂言を出して大競爭を遣 や つたさうして各座共に大成功を収めたといふ。
 斯 か く京、大阪、江戸と一時に競演せられたといふ事は我が演劇史上無比の偉觀で、如何に此狂言が觀迎せられたか想像するに餘りがある、それで此狂言が筑後の芝居で三年越しの大當りを取つてから恰度 てうど 二百年になる、それを記念すべく今日當浪花座に上演せられるは深かき由來と面白き因緣とを持つものと言はねばならぬ。


「実演 狂恋のサロメ」 新京極 松竹座 (1926.1.15-21)

2023年03月12日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

 

實演 狂戀のサロメ 一幕 アンナ・スラヴィナ作 太郎冠者

    役割 
サロメ                ‥‥‥‥ キチイ・スラヴィナ嬢
ヘロドイアス(サロメ姫の母、猶太國王妃) ‥‥‥‥ アンナ・スラヴィナ夫人
ニイラ(姫の侍女)           ‥‥‥‥ ニイナ・スラヴィナ嬢
奴隷ラメッド               ‥‥‥‥ イゴリセーニン氏 
侍女                 ‥‥‥‥ オリガペトロガ嬢
同                  ‥‥‥‥ イラ・ジミナ嬢

 立竝ぶ埃及模樣の柱一高き階段ー松明の灯影ゆらぐ宮殿の夜は靜やかに、香爐の煙、ほのかに立昇る。 
 侍女ニ一ラとアーザを始め男女の奴隷は、やがて舞を終えて出御する姫を迎ふる暫く間にも其噂を咡き合ってゐた。
 最早此の世に足らぬものなき筈の姫サロメが舞の引出物として何を父君に望まれるであらふかは彼等の噂を高めさせた。そして必ず何事か無理難題を云ひ出して、獨り喜ばれることを恐れた。
 妖艶たぐいなき其姿ーその人の心を魅る樣な舞の力は、姫の爲めには強い武器であった。過ぐる日の宴の折にも若き羅馬の客人は、姫の舞に心も狂ふた樣に立ち上り、花咲く美しい國も、幾百萬の寶石も、情を知らぬ姫の兩手に捧げやうとしたが、姫は其寶石を芥の如く事もなげに蹴り去って「目下の戀は妾を辱めるものぢや」と云った。
 そうした姫にも大きな戀の悶えがあった。然かも人もあらふにそれは己を淫亂の女と呼び、母を亂倫の者、夫殺しと芥の如く罵った乞食にも等しい先驅者ヨカナーンであった。 
 薔薇の花のやうに赤い唇ー燃ゆる樣な眼ー、それは姫の心を狂ほしいまでかき亂した。然しサロメは母の奸計の爲めに、己の戀する者と知らずして舞の引出物として彼の首を望むのであった。
 淺間敷き己の戀に怒った母から、父に首を求めた其人が戀する男ヨカナーンであった事を始めて知った姫は驚愕の余り色を失った。 
ヨカナーン‥‥‥ヨカナーン、サロメが授くる報いは死ではない、ヨカナーンよ!妾が戀の勝利者よ、妾は其方を接吻で燃やして見せる、兩の腕で絡まいて其方が今日まで見た事もない夢を見せて遣るー。狂亂の如く悶え狂ふサロメの前に銀盆の上に載せられたヨカナーンの首が運ばれた。戀する者の變り果てた姿に流石のサロメも今は狂亂の姿にてヨカナーンの首をひしと抱きしめ、その冷たき口に接吻して打倒れ遂に階段より轉落して悶絶する。  

〔蔵書目録注〕

 上の写真と文は、『SHOCHIKUZA    NEWS    Ⅲ・Ⅲ』にあるもの。  
奥付には、「自大正十五年一月十五日至大正十五年一月二十一日 新京極 松竹座」とある。


「國性爺後日合戰」 (明治座) (1911.11)

2022年01月14日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

 

明治座筋書  

  第一 北嵯峨闇挑 きたさがだんまり  一幕
  第二 辨天娘男白波  二幕
  第三 國性爺後日合戰 こくせんやごにちがつせん 二幕
  第四 遠山櫻天保日記 五幕 

中幕

(東寧國性爺本城の塲)
 
日本風に造りたる普請の結構にて爰 こヽ に北の方小睦 こむつ 一子錦舎太平記の素讀 すよみ をなし家來萬禮 ばんれい 之を説き楠金剛山の戰記に至り其軍略を語りて國性爺樣にも高樓 たかどの にて軍書を播 ひもと かれあり頓 やが て韃靼 だつたん を打亡すべしと勇む(萬禮)戰場に臨んでは水に渇 かつ せば血を啜 すヽ り腹空かば手負馬を咬 かじ つてもと腕を振 やく していふ爰へ物見の勇伸來たり小睦は鈴の綱を引き注進ありと呼ぶ國性爺日本の形 なり にて出て其仔細を問ふ(勇伸)されば暹羅口の離れ嶋へ韃靼の大將渡り邪法を以て萬民を惑はし金銀を與へ戰はずして亡す手段なりと告ぐる(國性爺)彼奴 きやつ ら風を喰 くら はぬ中 うち 搦 から め取れといふに萬禮逸散と馳せ向ふ爰へ再び英敢なる者注進に來たり惡黨大槪は縛 いまし めたると萬禮は老一官鬢髭黑く染めたる異人四五人引立て出て來たる見れば我父一官公なり城中金銀なく日本へ金 かね 調 とヽの へに渡らせ玉ひしが夫 それ となく邪法に入り金を請ひ受け送られし御慈悲なりしかと悟れども國禁の邪法に入りし罪ゆるしがたく爰に胸を痛む(一官)神仙不死の藥でも百年 さい 生 いき ぬ此體 からだ 國法に行はれよ(國)萬禮彼れは重罪人なれども神妙の白狀三日三夜 みはん 船底に首枷して暴 さら すべし死罪は後日に沙汰せんとて是 これ を引立て濵表 はまおもて へ引 ひか れ行く
 
(同濵表刑塲の塲)
  
爰に一官其外船の底をくりぬき首枷なして萬禮ら是を見張る物凄き此時北の方小睦 こむつ 密かに忍ひ出て垣を破り萬禮に乞ひ夫は我 わが 舅御 しうとご なり奪ひ去る見逃してといふ萬禮も其時初めて主君の親人 おやびと と知り驚ろく夜は明放れる小睦は一官を見て潜 さめ 〱と涙にくれ(小睦)父上とて助けては依估と成り今韃靼大明鉾先を爭ふ眞最中天下の大事を振捨て武勇の名を汚しては不忠不孝これ國性爺が一生の浮沈夫の爲に奪取 うばいとつ て日本へ越 おもむ く心得と泣叫ぶ爰へ國性爺錦舎を連れて來たり許すべき道なしと頓 やが て刑罪に行はんとする時俄かに雨降り一官の染たる鬢髭の墨流れ落ちて白髪と成る錦舎始めて祖父 ぢい 樣かと縋り付く小睦共々助かるすべもなき事かといふに國性爺は此張本を殺しては餘類詮義の手蔓 つる を失ふ道理と外罪人を斬つて暫し助け置くべしと命ずる囚人 めしうど は其不仁を 呌 さけ ぶ老一官是を聞き(一官)遉 さす が平戸の浦賤 うらまづ しき漁村に生れしとて大國の武將となる氣象は持たぬかサア速かに一官を切れされば延原王國性爺は政道に私 わたくし なしと招ずして人從はん九十に近き老 おい の命國の爲子の爲孫の爲めに死ぬるに何惜しからんと自ら首を刎ねて死する國性爺其首を伏拝 ふしをが み四百餘州に押渡る餞別 はなむけ なりと勇み立また愁ひに沈む 

 明治四十四年十一月廿一日發行


「川上演劇 日清士憤闘」 香朝楼 (1894.9)

2021年07月29日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

川上演劇 日清士憤闘

 陸軍中佐脇田亮  井伊蓉峰 
 陸軍少將植島嚴  水野久美
 清軍部長趙武慣  中野信近
 陸軍曹長加藤喜明 野田安太郎
 清軍副長阿茶弁  小西福一郎
 春田志げ     石田信夫 
 記者比良田鉄哉  川上音次郎
 牢番劉昌和    岩尾慶三郎
  実ハ秋山佳蔵

 香朝楼筆

〔蔵書目録注〕

香朝楼の錦絵「川上演劇 日清出士憤闘」 一組三枚続き (明治27年9月)。
明治ニ十七年九月,浅草座での川上演劇「日清戦争」の「大詰 日軍大進撃の塲」かと思われる。


「日清戦争」 浅草座 (1894.9)

2021年03月23日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

  

川上演劇筋書
  劇場雑誌 第一号 淺草座
           香朝樓筆 

日淸戰爭

 ●八幕目 李將軍面前比良田之痛論
 一將軍李鴻章   高田實
 一副官趙武慣   中野信近
 一同洪炳集    柴田善太郎 
 一獄吏袁酷烈   深澤恒造
 一袁同臭     寺島倉次郎
 一李氏の侍臣矯仙 河村昶
 一同汝愼     原澤新三
 一廷吏李燵    矢野勘二郎 
 一同聶羽     保田注一郎
 一同玄朴     佐野庫二郎
 一春田しげ    石田信夫
 一比良田鐵哉   川上音二郎 

日淸戰爭

   〇序幕  黄河口日軍軍營の塲

 本舞臺總て支那黄河口日軍々營の体 てい 奚 こヽ に、將官植島寛尉官山内進下手に砲兵四人居並び分捕の大砲二門小銃數十挺を検閲して居る是を風音演習ラッパの音にて幕明く
 (山内)一昨日の開戦に分捕 ぶんどり の銃器は悉く揃ひ升たか(兵)ハイ殘らず揃ひ升 まして 厶 ござ り升 ます る(山内)ハヽア左樣ですかト大砲其他を見る事あって(山)長官是等の銃器は悉く新式の者ですか近頃では支那にても製造には心を用ひて居ると見得升 みへます (植島)當今は日本の村田銃なども來てをるが仕用する人材がなくては無駄な事じゃ(山)今日等 あた りは天津沖に進軍の報が有り升 ましよう が我が陸軍も益々進んで海軍に先 さきだ つて北京に進撃仕度 したき もので厶る(植)ムヽ香港の旅團長から命令にせつしたらば今晩にも進軍仕樣が此黄河口は第一の塲所だから輕々敷引拂ふ事出來ぬト宜敷 よろしく せりふ渡り是 これ にて分捕物を片寄 かたよせ る所へ兵卒三人出て來り(兵一)日本婦人が見得升たゆへ誰とか尋ね升 まし たれば(兵二)日本赤十字社の婦人の總代慰問の爲に來たとの事 〔以下省略〕 

    〇二幕目  北京城外關門の塲
   〇三幕目  支那中央電信局の塲
   〇四幕目  北京城内軍獄の塲
   〇五幕目  李將軍面前痛論の塲

 本舞臺高足唐模樣の強物 はりもの にて都 すべ て北京城内の体奚に正面の左右に淸官趙武慣洪炳集抔 など 云へる支那官扣 ひか へ平舞臺の左右に支那小官夫 ふ 居並び唐模樣の靜成る合方 あいかた にて幕明く(武)如何に袁酷裂本日兼て其元より中達有りたる日本新聞記者と名乗る比良田鐵哉水澤恭二の兩人を將軍自ら取調べ有りとの旨 むね に附此儀申置 もふしおく ぞ(炳)殊に我が大淸國と日本との交戰最中油斷成らざる折抦 をりから 彼の新聞記者と呼ぶ者他の探偵に參りし者の由 よし 依て今日直 ぢき ゝの取調べ(酷)夫 それ に附彼の兩人の内水澤恭二と申者 もふすもの 先刻死を致しましたが比良田と云へる奴血氣おとろへず成れども飯 え を立 たち し爲か余程神心おとろへ居 を れば御心配には及びますまい(武)シテ又其時捕へたる少女は如何致した(酷)是 これ も獄家に繋ぎ置ましたが降伏の樣子は見得 みへ ませぬ(武)ヨシ是より呼び出し將軍の直裁 ぢきさい に委 くわしく せんト是を時計音鳴物 おとなりもの に成り正面より李將軍唐裳ぞくにて出て來り(李)兼て達し置きたる日本記者を呼び出 いだ せ(下官)ハアト下手へ這入り前幕の比良田鐵哉を引出し來る(李)ヲヽ日本人比良田鐵哉は汝が今度 このたび 倡と隣國朝鮮との關係から日本と戰に成つたが見受る所余程勞 つか れた様じやが汝じ我軍の秘密を探りに來たか樣子を白狀した上で降 こう を乞へば斗 はかろ ふべき事有るぞよ(比)貴官が聞及んだ李將軍ですか今聞ば日淸の交戰は朝鮮の關係上世の風潮の致す所抔 など と甘言を以て我を誘 いざな ふとも夫に乗るべき者と思ふかト是より兩人にて種々論のせりふに渡りトヽ李將軍立服のこなしあつて(李)益々募 つの る其暴言最 も う此上は用捨はせぬ各々彼れに笞杖を當てよト是にて下官二人袁酷裂立つて近寄る比良田急度 きつと 成る皆ゝたぢゝと成る又立つて春田しげを打つ是にてしげ子はウント気絶する(比)斯 か く迄云へど理非を知らざる獄卒どもモヲ此上は片つ端から怨みに倒れし我が同胞水澤恭二が仇を報 むく わんサア假令 たとへ 身体衰ふとも神洲男子の生命を絶 たゝ れる者成 な らたつて見よト是にて皆ゝ何をと掛 かヽろ ふとする此時ドンチャンを打ち込 こみ 砲撃聞 きこ へ下手より前の袁同臭出て來り(同)私報致します只今日軍北京城の周圍を一時に取りかこみました早速開戰の御用意傳へとの事で厶ります(武)然らば將軍今日の調べは是迄にして軍議の席へ(李)ムヽ犯人は急度 きつと 軍獄に繋ぎをけト云乍李趙洪三人奥へ這入る跡袁酷裂恐るゝ比良田の傍 そば に來り(酷)立てト云ふ比良田はウント立上るトタン繋ぎの鎖り切 きれ る是にて兩人驚き後ろへ倒れるを木の頭 かしら にてドンチャン砲撃烈しき鳴物にて幕

   〇六幕目   渤海灣海戰の塲

 本舞臺一面の海原上手に大き成る支那軍艦を見せ下手奥の方に日艦の先きを見せ都て渤海湾海戰の体清艦の上に支那兵大勢銃を持ち後ろ向きに日艦へ砲發して居る支那指揮官壹名指揮 さしづ して居る此模樣宜敷 よろしく はげしき浪の音にて幕明く〔以下省略〕

   〇大詰   日軍大進撃の塲

 本舞臺都て支那風の城門前に堀を見せ左右城壁下手より奥へ掛けて市家 まちや の遠見爰 こヽ に序幕の大島少將武田中佐日軍を指揮して居る日軍兵大勢附添 つきそへ 發砲の模樣始終砲丸を飛 とば し鳴物にて幕明く
 (大島)如何に諸隊の兵臺方 へいしかた 今日は斯く我軍全力を擧げ北京城迄攻寄せたれば大日本の勇氣を各國に見せ只一 たゞひと 揉みに攻め落す時節成るぞ(武)今日こそ我が國に報 むく ゆる好機會各々一擧に進み給へト此内城より發砲烈敷 はげしく 日軍是を除ける城内より淸兵替 かはる ゝ出て立廻り淸將の討死ありトヽ門を開き前の牢番劉昌和しげ子を後ろにかこひ出る是を日軍二人打て掛る留 とめ て(昌)日軍の將士に申す事あり暫く(武)ヤア此塲に臨んで無用だゝ(昌)イヤ死を退 の がるヽ者でない日本人だゝ(大)後ろに見ゆるは日本婦人樣子があらん暫く待たれよ(武)シテ其方は何者だ(昌)私は當淸軍に雇はれ軍獄の牢番を勤めます劉昌和と申者 もふすもの で厶りますが生れは日本相州小田原のもの今より廿余年の昔此淸國へ渡りました未た幼年父は病死して我は國人劉氏に養 やしなわ れ斯く生長は致しましたか今度の騒ぎがおこりまして我同胞の新聞記者比良田樣に水澤樣又此しげ子さんと云ふ三人私か預り獄へ繋れしをお助け申 もふし た夫 それ を功に日本軍にお供して生れた國へ御奉公を致し度嚴しい守りをしげ子樣を助け申ました(大)夫では汝じは日本人か(武)シテ比良田と申新聞記者は(昌)其お方は長の牢舎で厶りましたが今日日軍北京城へ進撃とお聞に成り日本へ便利の爲め城内の細圖をお引で厶りまして今にお出に成りませう(武)シテ水澤と云ふは(昌)獄中の苦しみにたへ兼御落命を被成 なされ ました(大)ナニ死んだと云ふか殘念なシテ其方の名前は何と(昌)私の本名は秋山桂藏と申 もうし ます(武)ムヽ疑ひもなき日本人ムヽしげ子と云ふは黄河口に屯在の時赤十字社の私員として保護を與へし婦人ダナ(しげ)お蔭さまで北京に入り比良田樣や水澤樣の御介抱に預りまして命を助りました此上の御奉公には及ばず乍御案内を申ますから從軍をおゆるし被成 なされ て下さりませ(大)ヲヽ早速從軍ゆるして遣 やろ ふ兎に角兩人を手當して下さいト是にて二人の兵士附添下手へ這入る是を又砲聲に成り内より前の比良田鐵哉支那兵と立ち廻り出て(大)ヤア君ハ比良田か(鉄)ヲヽ長官かト是にて武田は兵士を追ふて助ける(鉄)是は城内の略圖是を持つて南大門より右へ廻って攻め入らば敵の要路 ようじ を突き凱歌を擧 あげ る時だ早くゝ(大)ヲヽ直に進軍仕樣ト是にて武田ラッパを吹く上下かみしも にて一時の砲聲を揚げる此時仕掛けにて大門燒き倒れる同時に日軍の下士壹人來り(下士)兼て城内に入り居りましたが只今北京城の守領袁氏は大將軍李氏共に利無きを察しましてか北門より忍び出て落 お て失せました(大)スリヤ北京城を打 うち て捨 すて てか(武)夫 それ では全く落城したナ(大)ヲヽ大勝利の勝どき揚よ(皆々)日軍大勝利日軍萬歳ト是にて皆ゝ居並び凱歌を擧 あげ る模樣宜敷 よろしく 幕

(明治廿七年九月一日内務省許可)
 明治二十七年八月三十一日印刷
 明治ニ十七年九月一日出版發行 (定價六錢)
         淺草區黒船町十六番地
    編輯兼發行人 座馬斧太郎
         日本橋區上槇町十六番地
    印刷人 平島曠


「脚本「サロメ」の略筋」 鷗外漁史談 (1907.8)

2021年03月15日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

觀潮樓一夕話
 (エドモン・ロスタンが事) 〔省略〕
         鷗外漁史談 
 (脚本「サロメ」の略筋)

 今度は一幕物で、殊に短い、オスカア・ワイルドの作「サロメ」のことを話さう。
 脚本の材料は誰でも知って居る傳説だけれど、學者や基督敎徒の爲に話すのでは無いから、手近な西經中の數節を前置にしよう。路加 ルカ 傳第三章に左の記事がある。
  テベリオ・カイザル在位の十五年ポンテオ・ピラトはユダヤの方伯 つかさ となり、ヘロデはガリラヤの分封 わけもち の君と爲れり。其兄弟ピリポはイッリア及テラコニラの地の分封の君となり(中略)たりし時、ザカリアの子ヨハネ野に居て(中略)悔改 くいあらため のパブテスマ(洗禮又浸禮)を宣傳 のべつたへ たり。(中略)民懐望 まちをり し時なれば、衆人 ひとゞ みな心にヨハネをキリスト(救世者  くぜいしゃ )なるや否や忖度 かんがへ たりしに、ヨハネ之に答 こたへ いひけるは、我は水を以てパブテスマを爾曹 なんぢら に施 おこな へり、我より能力 ちから ある者(耶蘇基督)きたらん、我は其履帶 くつのひも を解 とく にも足 たら ず、彼は精靈の火を以てパブテスマを爾曹に施 おこな はん。(中略)扨 さて 分封の君なるヘロデ、その兄弟ピリポの妻ヘロデヤの事および行ふ所の凡 すべての惡事 あしきこと をヨハネに責 いさめ られければ、猶も惡事を加へ、ヨハネを獄 ひとや に囚 いれ たり。民みなパブテスマを受けるに、イエスも亦パブテスマを受けて祈るとき天ひらけ、聖靈鳩の如き狀 かたち にて其上に降りぬ。又天より聲あり、云 いはく なんぢは我愛子 あいし 、わが喜ぶ所の者なり。
 又第四章に左の記事がある。
  ヨハネ二人の弟子を招 よび て(イエスに)言遣 いひつかは しけるは、來るべき者(救世者)は爾なるか、亦われら他 た に俟つべき乎。(中略)イエス彼等に答曰 こたへいひ けるは、爾曹が見 みる ところ聞 きく ところ(跛者 あしなへ は行 あゆ み癩者 らいびやう は潔 きよま り聾 つんぼ はき〻死 しに し者は復活 いきかへ され貧 まづしき 者は福音を聞 きか せらる)をヨハネに往 ゆき て告 つげ よ。
 又第九章に左の記事がある。
  分封の君ヘロデ、イエスの行 なし し諸 すべての 事を聞て惑 まどへ り。或人は之をヨハネの甦 よみがへ れるなりと言、ある人はエリヤの現れたる也といひ、又ある人は古 いにしへ の預言者の一人甦れる也と言 いへ ばなり。ヘロデ曰 いひ けるは、我ヨハネの首を斬 きれ り、斯 か〻 る事の聞ゆる者は誰なるか、ヘロデ之を見んと欲 おも ふ。
 右の末段では、ヘロデ即ちヘロオデス・アグリッパ第一世が已にパブテスマのヨハネを殺して了 しま って居る。ヨハネが殺される處は、馬太 マタイ 傳第十四章に書いてある。
  其ころ分封の君ヘロデ、イエスの聲色 うはさ を聞 き〻 て、其僕 しもべ に曰けるは、是 これ パブテスマのヨハネなり、彼死より甦りたり、故に異 ふしぎ なる能 わざ を行ふなり。前にヘロデその兄弟ピリポの妻ヘロデヤの事に由 より てヨハネを捕へ、縛 いましめ て獄に入 いれ たり。此はヨハネ、ヘロデに此婦 をんな を娶 めと るは宜しからずと云 いひ しに因 よる 。彼ヨハネを殺さんと欲 おもへ ど民これを預言者とするにより、彼等を懼 おそれ たりしが、ヘロデ誕生の日を祝へる時、ヘロデの女 むすめ その座上に舞 まひ をなし、ヘロデを悦 よろこ ばせければ、何 いか なる物にても求 もとめ に任せて與 あた んとヘロデ之に誓 ちかひ たり。女その母の勸 す〻め ありしに因 より 、プパテスマのヨハネの首を盆に載せて此に賜れと曰 いふ 。王憂 うれひ けれども已に誓たると席に列 つらな れる者の爲に與ることを命じ、即ち人を遣し、獄に於てヨハネの首を斬せ、その首を盆に載て女に與ければ、女は之をその母に捧げたり。
 以上の記事で、傳説の大略 あらまし は解るだらう。脚本に出る人物は、
  ヘロデス      即ちユダヤの分封の君ヘロデ。 
  ヨハナアン     即ち預言者ヨハネ
  若きシリア人    ヘロデスの護衞兵の大尉。名はナルラボオト
  チゲルリヌス    年若き羅馬人。當時の羅馬の役人がユダヤの宮廷に行って居る樣子は、さういっては惡いか知らぬが、マア日本の幅の利いた役人が韓廷に行って居る樣なものだと想像したら好からう。
  カポドシャ人 
  ヌビヤ人
  第一の兵卒。
  第二の兵卒。
  ヘロヂアスの小姓。 ヘロヂアスの事は次に出で居る。 
  奴隷。
  ユダヤ人大勢。
  ナザレ人大勢。   ナザレは耶蘇の故郷。
  ナアマン。     首切り役。
  ヘロヂアス。    此人 このひと はヘロデス大王と呼ばれた前代 せんだい の王の孫娘で、初はヘロデス・アグリッパ第一世の同胞フィリッポスの妻であったのを、ヘロデスが同胞を殺して娶たのだ。上 かみ に引いた新約全書の文には、フィリッポスをピリポとし、このヘロヂアスをヘロデヤとしてある。路加傳の惡事といふのは、同胞を殺して、同胞の妻を横奪 よこど りしたのをいふのだ。
  サロメ       ヘロヂアスの娘。これは先夫の娘で、連子の樣な譯だ。
  サロメの腰元大勢。
 舞臺はヘロデス王の宮殿の石の階段 きざはし になって居る。時は月夜。ヘロヂアス夫人の小姓と二人の兵卒とが、奥の宴會塲を覗いて見ながら話をして居る。護衞兵の大尉、シリア産 うまれ のナルラボオトが繰返してサロメ姫の美しい事を賞讃する。此時舞臺面より下、地の底の土窟 つちむろ に成居 なせお る牢屋から預言者ヨハナアンの聲が聞える。預言者は耶蘇出世の事を語るのだ。兵卒二人は今の夫人ヘロヂアスの先夫で、今の夫 おう のヘロデスの兄フィリッポスが牢に入れられて、遂に縊殺 しめころ された噂をする。
 此時姫君サロメが奥から出る。姫はヘロデス王が鼹鼠 むぐらもち の樣な眼をして引切りなしに私を見て居るので、堪 こら へられぬと嘆息して、月夜の美しいのを賞 ほ め、大尉と詞 ことば を交す。牢屋よりは又預言者の聲が聞える。姫大尉に向って、王が太 ひど くあの預言者を怖れて居ると話し、又あの預言者は自分の母の事に就 つい て、恐ろしい事をいふと話す。奴隷出で〻、姫に王樣が召し升と傳へる。姫、私は預言者に逢って話したい事がある、王の處へは行かれぬと斷る。奴隷入る。姫、兵卒に預言者を此處へ呼んで呉れといふ。兵卒は怖れて聽かぬ故、改めて大尉に言付ける。大尉も初 はじめ は斷って居るが、遂に承諾して兵卒に命令する。其處で預言者ヨハナアン、牢の中より姫の前に引出される。襤褸 つ〻゛れ を纏ひ髪を亂して居るが、眩 まばゆ い程の美少年だ。姫の前で、王ヘロデスと妃ヘロヂアスとを罵って、姫サロメに、頭に灰を冠 かむ って耶蘇の所へ尋ねて行って、悔い改めるが好いと勸める。姫は只ヨハナアンの美しいのに見惚れて、其姿を褒めそやし、逼 せま って接吻を求める。大尉は姫に戀慕して居た故、囚人を牢屋から出すといふ樣な、容易ならぬ事をも斷行したのであるが、その樣子を見るより憤 いきどほり に堪へず、姫の面前で自盡して、姫と預言者との間に倒れる。姫顧みずして、愈々預言者に逼る。預言者はみづから牢屋の内に下りて行く、傍に居る兵卒が、大尉の死骸を匿さうとする時、王と妃とが奥から出る。王は姫を尋ねて出るのを、妃が妨げようとして跟 つ いて出るのだ。王、此階段の上に宴會の席を移せと言付ける。大尉の死骸は其儘になり居るを王見て、どうしたのかと尋ね、自殺と聞いて、後から出て來た羅馬の客チゲルリウスに向ひ、ストア派(希臘哲學の一派)の學者などが、自殺といふ事をするのが可笑しいといひ、又その自殺した大尉は自分の滅 つぶ した國の太子であったのだと話す。王は酒と果 くだもの とを言付けて、姫に馳走する。牢の中より預言者が、死の時は到れりと叫ぶ。ユダヤ人大勢出で、宗論をして、預言者ヨハナアンは邪道の者ゆゑ、引渡して貰ひたいといふのを、王は聽かぬといふ。牢屋よりは預言者、耶蘇出世の事を叫ぶ。ナザレ人(耶蘇の郷人) 大勢出で、ユダヤ人と爭論をする。預言者ヨハナアンは、昔の預言者エリヤスの再來だとか、再來でないとか、耶蘇は昔から待たれて居る救世者メシアスだとか、さうでないとかいふ爭 あらそひ なのだ。爭論の間に耶蘇といふ男が、此頃死んだ者を生かしたといふ話がある。王はぎっくりして、死んだ者を生かすのは好くない事だ、そんな事をする人は、尋ねて伴れて來させねばならぬといふ。牢屋より預言者、淫婦を石責 いしぜめ にせいと叫ぶ。妃ヘロヂアス、あの叫ぶ者を殺して呉れといへど、王は聽かぬといふ。王盃を上げて一同に、羅馬のカイザルの萬歳を唱へさせ、姫サロメに舞を舞へと言付ける。妃は留める。サロメも辭退する。此時 そのとき 王はカイザルの徳を稱 た〻 へ、妃を罵って、預言者の詞 ことば が當って居るなど〻いふ。牢よりは預言者、王を罵って、滅亡を預言する。王又姫に舞を舞へと言付け、若し舞ふならば、何でも望みのものをやらうといふ。姫立上って、それは眞實 ほんと かと尋ねる。王、眞實ぢゃと答へる。此時王は物狂ほしき調子にて、頭の上で鳥が羽搏 はう つ、その風が寒い、イヤ暑い、頭に挿した花が燃えるといって、花を取って卓 つくゑ の上に躑 なげう つ。腰元膏 あぶら と七つの面紗とを持って來て、姫に渡し、跪いて姫の靴を脱がす。姫が舞ふ。舞が濟むと、姫は跪いて、約束の通、望みの品が御座り升、外でも無い、あの預言者ヨハナアンの首を銀の皿に盛ってお貰ひ申したいといふ。妃聞いて喜ぶ。王、それは出來ぬといふ。姫、私の首を望むのは、母樣の爲では無い、私が欲しいのぢゃといふ。王はどうかして別の褒美で濟ませようと思って、大きな綠柱玉をやらうといったり、大 おほき な孔雀を百羽やらうといったりする。此處に作者が得意の文才を發揮して、寶物の店卸しがしてある。どうしても姫は承知せぬ。王椅子の上に仰向に倒れ乍ら、姫のいふ品をやれ、實に母が母なら、子も子ぢゃといふ。妃王の指に嵌めて居る死罪の印 しるし の指輪を抜取って、兵卒に渡す。兵卒受取って首切り役に渡す。首切り役受取って、土の牢に下りて行く。姫上より牢の中を覗いて居て、待遠がり、母の小姓をやらうとしたり、又兵卒をやらうとしたりする。軈て牢の中から首切り役の黑い腕が、銀の盾に載せた預言者ヨハナアンの首を差出す。姫受取って首を摑む。此時王は面 おもて を掩 おほ ひ、妃は扇を手弄 まさぐ りて微笑する。ナザレ人等は跪いて祈祷をする。姫手に持った首を熟 じっ と見て、首になっても可哀いと、戀の白 せりふ がある。王怖れて、燈 ともしび を消せと指圖して、奥へ入らうとする。奴隷燈を消す。今まで照 さ して居た月を黑雲が隠す。姫、お前の否んだ接吻 キツス ぢゃけれど、かうなれば思ひの儘ぢゃといふ時、雲間を洩る月が、姫の預言者に接吻する姿を照す。階段を上り掛って居る王振向いて、サロメを見て聲を勵まし、あの女子 をなご を殺せと叫ぶ。兵卒等進み出で〻、姫を盾で押殺す。幕。
 作者オスカア・ワイルドは愛蘭土 アイルランド の貴族だ。父はサア・ヰリヤム・ワイルドといふ學者で、母はレヂイ・ワイルドは筆の立った人で、文壇の名をスペランザ夫人と呼ばれた。オスカアはオックスフォォド大學に居た時分に、詩集を出したのが初 はじめ で、千八百八十年代に書いた小説などから文壇で成功し始めた。當時倫敦の大い夜會といへば、此人の顔を見ぬ事は無かった。英國の樣な、社會の階級の嚴重な處では、さういふことは大成功の證據になる。作者の其頃の風采は花々しいものであったさうだ。併し餘り収入は無かったと見へて、結婚する爲に、一時新聞の主筆になって報酬を取った。それから千八百九十年代になってから脚本を多く書いたが、大體 たいてい 金の爲であった。この「サロメ」も時代は其頃のものだけれど、全 まる で外の作と違って居る。殊に妙な事には、この脚本は初英文で書かずに佛文で書いて、サロメエ・アン・アクト・パアル・オスカア・ワイルドとして、千八百九十三年に巴里で出版した。英譯はヅウグラス卿が筆を取って、千八百九十四年に倫敦で出版した。諄 くど く批評はせぬが、この作は樣式 スタイル を命にして居る脚本で、その事柄は如何にも幻像的 井ジオ子エヤ なので、文壇通の側では稱美して居るのだ。
 この作の出た年邊から後のワイルドの作品は、極端な風刺的なものになって了った。平生の本能的な生活の間に、最初は戯談 じやうだん らしくして居た男色好 なんしょくずき が次第に世評に上って居た〻まらなくなり、作者は亞弗利加のアルヂイルに逃げて行って、無賴の徒と交際して日を暮らして居た。其内何と思ったか、友人の諫 いさめ を聞かずに倫敦に歸って、反對者に對して、侮辱の廉 かど で訴訟を起したが、あべこべに自分が懲役二年に處せられた。滿期の後男色云々 しかゞ の噂の元になった少年の某卿と決して交際せぬといふ約束で、女房の親類に貢がれて居たが、遂にはその某卿と以太利のナポリを指して逃亡した。死んだのは巴里に歸っての事で、千九百年であった。死ぬる時は困窮して居たさうだ。ワイルドが作の小説と論文とに就いて、面白い話もあるが略する。
 現今の處では、ワイルドの流行は、本國よりは獨逸の方が盛 さかん な様に見える。英文學の脚本で、頻 しきり に獨逸の舞臺に上るのは、バアナアド・シヨオのものとオスカア・ワイルドのものとを主として居るらしい。
 同じサロメの事を書いた獨逸のズウデルマンの脚本がある。題號は「ヨハンネス」で、豫言者の方を主人公にしてはあるが、サロメにも隨分重みが附けて書いてある。五幕物で、初に序幕が別に添へてあるから、都合六幕になる。ワイルドのから見ると、容積からいへば大いには相違ないが、どうもワイルドの一幕物ほどの感じが起らない。昔讀んだ時書いて置いた粗筋 あらすぢ があるから、因 ちなみ に次に載せる。
 ガリレアの王ヘロデス・アンチパス、同胞を殺して奪ひ得たる妻ヘロヂアスと共に、エルザルムの寺院に詣づるとき、金鎧を着て來べきメシアスを信ずるヨハンネス石を抛 なげう ちて、人民の暴動の合圖とする筈なりしが、ガリレアより來りし旅人 りよじん に耶蘇の言 ことば を聞きしより、心がはりして、手より石を取り落す。ヘロヂアスのつれ子サロメ牢屋にヨハンネスをおとづれて挑 いど み、斥 しりぞ けられて怒る。シリアの使者ヰテルリウス等の前に舞ひしサロメ、舞の報 むくい にヨハンネスの首を求む。ヨハンネス死に臨みて、耶蘇の許 もと に遣りし弟子の歸れるを見て、耶蘇の敎を聞く。ヘロヂアス娘の金盤に盛りたるヨハンネスの首を掲げて舞ふを望見す。ヘロデス酒杯を手にして、人民に歡迎せらる〻耶蘇に戯 たはむ れんとして、忽ち驚懼し、手より杯を墜して面を掩ふ。ホジアンナアの聲城外に湧く。序幕の外、五幕。

 上の文は、明治四十年八月一日発行の雑誌 『歌舞伎』 第八十八號 に掲載されたものである。


『東京歌劇舞踊団公演 パンフレット』 常盤座 (1925.4)

2021年03月12日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

東京歌劇舞踊團公演
         パンフレット
                常盤座   


  面白い歌劇

  佐々紅華氏作並に曲
 第一 オペレット  一幕
  ジャコモ・プッチーニ氏作曲
  徳永政太郎氏翻譯
 第二 歌劇 お蝶夫人 マダム・バターフラー 二幕 
  奥山昌平氏編曲 
  ジャツ・ルボーフ振附
 第三 舞踊 サロメ 一幕
  佐々紅華氏作
 第四 オペレット カフェーの夜 一幕
 第五 小品 六種 

  大正十四年四月二十九日初日 
  午前十時開場 
     晝夜通し二回
   御入場料
  特等     ‥‥‥ 金壹圓參拾錢
  一等     ‥‥‥ 金九拾錢
  二等(椅子席) ‥‥‥ 金五拾錢 
  自由席    ‥‥‥ 金三拾錢

 淺草公園 常盤座

東京歌劇舞踊團

  田谷力三
  大津賀八郎
  柳田貞一
  黑木憲三
  澤マセロ
  宇津美淸
  糸井光彌
  福井茂
  川田和夫
  相島誠
   〇
  淸水金太郎
   ー
  淸水靜子
  天野喜久代
  澤モリノ
   〇
  木村時子
  相良愛子
   〇
  園鶴子
  逗子靖子
  松山浪子
  富士野登久子
  三井好子
  小野メリ子
  花園綾子
  吉野八重子
  竹内麗子
  藤本咲子   

  ヘロド王の宮殿

 ヘロド・アンチバス(ユダヤ王)        黑木憲三
 ヨカナアン    (豫言者)        澤マセロ
 若きシリア人   (近衛の大尉)      桐島誠
 ヘロデアス    (王妃)         竹内マリ子
 ヘロデアスの小姓             逗子靖子
 ナアマン     (首斬役人)       河村博
 サロメ      (ヘロデアスと前王との娘) 相良愛子
 その他舞姫奴隷               多勢

    奥山昌平氏編曲
    ジャツ・ルボーフ氏振附
 第三 舞踊 サロメ 一幕

       ヘロド王宮殿の一部

 ベロド王宮殿の一部 衛士等四五人が、猶太 ユダヤ 王ヘロドアンチバスが酒宴を催して居る内殿の見張をしながら、内殿から聞こえる響きを聞いて、何て騒 さわぎ だらう、あんなに吠えているのは一體何處の獸だい‥‥‥とか、あれァ猶太人だよ、彼奴 きやつ 等は何時 いつ でもあれだ、仲間同士で御宗旨の議論をやって居るのだ‥‥‥とか、王樣は陰氣な顔をしてゐらっしゃる‥‥‥等とか話して居ると、ヘロド王のやけ付く樣な淫 みだら な瞳を逃れて、王妃と先王との間に生れた王女サロメが、酒宴の席から露台 バルコン へ出て來て、ほんとうに此處は淸々して氣持がいゝ、やっと息がつけるとほっとして、酒宴の席に居る猶太人が希臘人、埃及人、羅馬人などの無作法に愛想をつかし、月を見て居るのが一番いゝなどと云ふ。 
 そして、空井戸に捕はれて居る豫言者ヨカナアンの聲を聞くと、井戸の鍵を若いシリア人が預って居るのを知り母上の身上に就いて恐しいことを言って居る豫言者を、此へ連れ出して呉れと賴むので、王女を戀して居るシリア人は、蠱惑的なサロメの瞳に魅せられて、ヘロド王からの固い命令を守り得られず、サロメが望みの儘に空井戸の錠を開けると、豫言者ヨカナアンをサロメの前へ連れ出した。
 生きながらの墳墓と云ふべき、井戸の中から姿を現はしたヨカナアンは、アッシリアの隊長に身を任せた女は何處に居る、埃及の若人等に身を任せた女は何處に居る、憎むべき淫亂の床から出て、主の道を準備するために來た人の聲を聞き、身の罪を悔ひあらためよ‥‥‥と、サロメの母ヘロヂアスの惡行を罵ってやまない。
 サロメは、其の言葉を恐 おそろし いと思ひながらも、ヨカナアンの漆黑な髪の毛、大理石のやうに光澤 つや ある肌、そして珊瑚のやうに眞紅な唇に情を動かすまゝに、王女の誇りをも捨てゝ放膽な言葉を發し、三度 みたび ヨカナアンに愛を求めたが、其の愛をこばまれた上、退 さが れバビロンの娘、主に選ばれた者に近づくなサロメ!汝 そち の母は罪の酒で地上を溢らせたのである‥‥‥と罵られるので、サロメの愛は復讐の戀と變る。
 と、兄を殺して嫂 あによめ を妃とし、其の娘サロメの美しさに囚はれたヘロド王が王妃ヘロヂアスと一緒に出て、此 こゝ で客人 まらうど たちと酒宴 さかもり をしやうと云ひ、サロメに種々 いろゝ と優しい言葉を投かけるが、サロメは其の言葉に耳を傾けない。 
 が、おしまひにヘロド王は、サロメが舞ひを舞ふなら何でも望みの物を與えやう、例 たと へ國の半 なかば でもわかたうと約束するので、サロメは漸くに納得して婢 はしため 達に支度を手傳はせ、やがて七面紗 セブンベール の舞を舞ひ終ると、其の褒美に豫言者ヨカナアンの首を望み、それだけは‥‥‥と流石のヘロド王も躊躇 ためら って、他の望みと變へるやうにと賴むけれど、サロメは頑として聞入れない。で、ヘロド王もやむを得ず、首斬人ナアマンに呍 いひ 付けてヨカナアンの首を斬らせる。 
 銀の皿に盛られたヨカナアンの首を手にしたサロメは、最後の勝利を誇った上、汝 おまへ の唇には苦味 にがみ がある、其 それ は血の味か戀の味か、戀は苦味を以て居ると云ふ事だから‥‥‥と云ひながら露 あらは な腕に首を取上げて、貪る如き接吻を與えたが、軈 やが    て武士達の楯に壓殺 おしころ される。

  日比谷公園某カフェー

 おてくさん(新しい女) 木村時子
 木佐野  (その夫)  柳田貞一
 伊太見  (舞踊家)  川田和夫
 大工    熊公   石川雍
 女房    おかん  園鶴子
 藝妓    八重吉  竹内マリ子
 半玉    おぼん  花岡鈴子
 女給    お光   富士野登久子
 畠山作左衛門     黑木憲三
 その他 女給、客    多勢

  佐々紅華氏作
 第四 オペレット カフェーの夜 一幕

 日比谷公園の中にある、或るカフェーである。
 夜の事で、華かな灯が輝いて居る。
 話しっぷり、姿なら、天晴れ新しい男の木佐野は、藝妓 げいしゃ 八重吉を連れて食事に來て、テーブルの一つを占領する。
 一方の食卓では、二人が入って來る前から、もう好い陰加減に醉って居た大工の熊公が、チビリゝと飲りながら所詮は酒が云はせる捲舌で、女給を相手にして盛んにメートルを上げて居たが、亭主の身を案じて尋ねて来た女房おかんに、散々油をしぼられてへこまされると、先の気焔は何處へやら、小さくなって女房に引張って行かれる。
 その後では木佐野が、八重吉を相手に気焔萬丈、好い気になって吹いて居ると、先刻 さつき の熊公の事は笑ひごとでなく、當代の新しい女を代表して居るかの如き、木佐野夫人てく子が此のカフェーへ不意に現はれ、木佐野が生意氣にも藝妓八重吉と差向ひ、盃をあげながら気焔を吐いて居るのを見ると、胸に据えかねて赫 かっ となり、先づ一ト言遣り込めたを導火線に、人の見る前をも恥ぢず、此に猛烈する夫婦喧嘩は始まったのである。
 罵る、罵しり返す、矢釜しいと云ったらない。
 が結局は、之れもカフェーの客たる畠山作左衛門が、粹にくだけた取做しで、此新しい男と新しい女とが結婚する迄の、いとも可笑しく熱烈する、恋のいきさつを一同に話すものだから、夫婦喧嘩も笑って納まるのである。

 第五 舞踊 小品 六種

   ハンガリヤン・ダンス
   若きラヂャー
   ベルソース・スラズ
   子守
   夜の精
   支那舞踊

 柔かき線と動きにて、右六種の小品に、感能的なる、また夢幻的なる、また象徴的なる、近代舞踊の面白さを御覽に入れ申し候。


「ゲイチイ座の『サロメ』」 佐佐木信綱 他(1912.12)

2021年03月11日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

   ゲイチイ座の『サロメ』
                           佐佐木信綱

 天井も壁も一樣にしづかなクリーム色にぬられたのが如何にも感じがよい。ボックスのうしろの廊下の廣やかなのも心地がよい。
 同行の廣瀬君が、ワイルドの著作集をもってゐられたので、大意を聞く事が出來た。フロオオンスの悲劇は、ギイトオとビアンカとの兩人が戀についてなす對話のところを面白く思った。シモンがギイトオを殺す所は、仕草が大瞻である。結末のギイトオと妻との對話も意味深さうにおもはれた。
 サロメは、背景や王の衣裳が粗末であった事に興味をそがれたが、王の不安の表情は印象が深かった。
 サロメが舞をまふ前のオオケストラは、感興がそ〻られるように覺えた。結末の暗くなってからの塲面の感じは、何とも云ひ樣がなかった。
 近頃しばゝ演ぜられて、幾種類か見るを得たイプセンの劇の深刻なとはちがって、如何にも豊かな詩歌的情調を吸ふ心地がした。
 自分は日本に於いて初めて演ぜられたサロメの看客の一人であった事を喜ぶ。

   ウイルキー一座の沙翁劇  〔下は、そのサロメを述べた部分〕  
             仲木貞一

 ウイルキー一座が沙翁劇と近代劇を一緒に持って來たと云ふ事は、隨分私達の興味を引付けた。今日(十四日)まで帝劇で演 や った沙翁劇は皆見たが、唯九日の一度横濱で見たサロメの方が、寧ろより多く私の頭に殘って居るやうに思ふ。
 先づ序 ついで だから『サロメ』から始めやう。その日『サロメ』の前に『フロレンテイン、トラヂデイ』を見たがこれにはウイルキーとかワットとか云ふ主だった役者が出ずに、その他の役者ばかりでやった。
 『サロメ』の幕が上った時光線の取り方は非常に好かった。舞臺は正面に金紙を張った戸が二本立って居てそれが入口になって居る。下手の所には大きな井戸があって、これには金紙が卷付けてある。上手の方には王の坐 すわ る椅子がある限 き りで、背景 バック は全體黑幕となって居る。そして正面の金の柱の所には松火 たいまつ が朦々と煙を立たせて居る。煙が漲 みなぎ った舞臺には、半裸體の兵隊が立って居る、先づ見るからにエキゾチックな感じを與へた。サロメに憧れるシリシア人の隊がサロメの美を稱へて居る所へ、サロメが這入って來て井戸の中の豫言者ヨカナンの聲を聽くと、奴隷に命じて井戸から豫言者を引擦 ひきず り出させる。豫言者は一寸生蕃人とでも云ったやうな風であった。この姿を見た見物はどッと笑ひ出した。寧ろその中には日本人の見物より外國人が多かった。日頃聖書に親しんで居る彼等 やつら が斯う云ふ豫言者の現れを見たからであらう。豫言者は盛んに豫言をする。サロメはそれにキッスをしようとして四五度 たび 鋭い聲ではねつけられる。その時のサロメの形が非常に好かった。豫言者が又井戸へ這入って行った後で、サロメは幾度も井戸を覗いて見るが、その度毎にサロメの姿が變って居る。この邊 あたり 一寸した事にも注意を怠たらなかったのは、流石に好 うま いと思はせられた。ウイルキーの扮したヘロドーは、自殺した大尉の顔を見ると玉座に着くが、恐怖に耐えないらしい。月の色が云々 うんゝ と、ワイルドの塗って塗って塗ったくッた白 せりふ をしゃべる具合や、その科 しぐさ などが大變うまかった。そして又サロメに對しては人の變ったやうな優しい聲を出して呼びかける。サロメは裸足 はだし でうすい布を被って舞ひ出す。その姿は如何にもなまめかしかった。それから又サロメがヨカナンの首にキッスを注ぐ時、丁度唇のあたる邊へ一直線の紫色の光線を射すが、非常に効果あるものであった事も事實である。一體にワッツと云ふ女優は近代的の物により多く成功しさうであるし、ウイルキーの方は白廻しが如何にも好かったので、これは沙翁物でも確かに成功しさうに思はせられた。

 上の文は、いずれも大正元年十二月一日發行の雜誌 『歌舞伎』 第百五十号 歌舞伎編輯所 に掲載されたものである。


「ハムレット」 (土肥春曙 山岸荷葉翻案)

2021年03月10日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

 

 ❝ HAMLET.

   シェークスピヤ四大悲劇の内  興行権所有主
  ハムレット 六幕    川上音二郎
   土肥春曙 山岸荷葉翻案

  正劇川上派

      扮裝人名

   第一 葉村公爵圖書室

一 葉村年丸        山本嘉一
一 大學生  原庄次    岡本半之助
一 學習院生徒 丸瀨利祐  河本信之
一 同     榛名荒人  小林甲二郎
一 同     古靜幸   小林重三郎
一 侍女   照子     柴田桂太郎

   第二 堀尾家令橘出立

一 正五位 堀尾直之進   佐久間熊男
一 兵學校生徒 堀尾令橘  高部幸二郎
一 堀尾令嬢 折枝     丸山久雄
一 乳母 滿代       水野松三郎
一 侍女 雪野       片桐宜芳
一 家僕 鳴戸吾一     吉岡啓太郎

   第三 靑山墓地幽靈出現

一 故葉村公爵の靈     明石甚一
一 葉村年丸        山本嘉一
一 原庄次         岡本半之助
一 丸瀨利祐        河本信之

   第四 葉村公爵邸書院

   第五 同邸書院廊下

一 從二位公爵 葉村藏人  藤川岩之助
一 同 夫人 八重子    岡島吉雄  
一 正五位 堀尾直之進   佐久間熊男
一 令嬢 折枝       丸山宜芳
一 家令 呂瀨九郎     山田肇
一 家扶 桐田蔦之助    吉岡啓太郎
一 家扶 小杉六太郎    淸田徤吉
一 侍女 照子       柴田桂太郎
一 侍女 花子       立花秀雄
一 舊藩士 大洲主人    小野重三郎
一 原庄次         岡本半之助
一 葉村年丸        山本嘉一

   第六 葉村邸洋館演劇

一 從二位公爵 葉村藏人  藤川岩之助
一 同 夫人 八重子    岡島吉雄
一 葉村年丸        山本嘉一
一 伯爵 織津民部     小林甲二郎
一 子爵 長岡久美     小野重三郎    
一 海軍大尉 恒野仞一   河本信之
一 陸軍中將 太田原猛   福島秀
一 早川令嬢 千鶴子    柴田桂太郎
一 堀尾直之進       佐久間熊男
一 家令 呂瀨九郎     山田肇
一 家扶 桐田蔦之助    吉岡啓太郎
一 原庄次         岡本半之助
一 扇舞          立花秀雄
一 扇舞          片桐宜芳
一 式部官 丹羽忠近    明石甚一
一 堀尾折枝子       丸山宜芳
一 俳優ゴンザゴーの役   高部幸二郎
一 俳優王妃パフチストの役 水野松三郎
一 俳優皇甥ルジアナスの役 淸田徤吉

   第七 葉村公爵夫人寢室

一 葉村年丸        山本嘉一
一 堀尾直之進       佐久間熊男
一 令嬢 折枝       丸山宜芳
一 公爵夫人 八重子    岡島吉雄
一 公爵 葉村藏人     藤川岩之助

   第八 葉村邸高樓狂亂

一 公爵 葉村藏人     藤川岩之助
一 夫人 八重子      岡島吉雄
一 少尉候補生 堀尾令橘  高部幸二郎
一 令嬢 折枝       丸山宜芳
一 家令 呂瀨九郎     山田肇
一 家扶 小杉六太郎    淸田徤吉
一 家扶 桐田蔦之助    吉岡啓太郎
一 侍女 照子       柴田桂太郎
一 乳母 滿代       水野松三郎

   第九 葉村邸奥庭本懐

一 葉村年丸        山本嘉一
一 伯爵 織津民部     小林甲二郎
一 堀尾令橘        高部幸二郎
一 原庄次         岡本半之助
一 呂瀨九郎        山田肇
一 小杉六太郎       淸田徤吉
一 桐田蔦之助       吉岡啓太郎
一 侍女 花子       立花秀雄
一 侍女 照子       柴田桂太郎
一 劒士          大勢
一 夫人 八重子      岡島吉雄
一 公爵 葉村藏人     藤川岩之助


「ハムレット」(川上音二郎、貞奴)

2020年01月20日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他
  

 ハムレット(其一) 川上の葉村公爵亡霊、藤澤の年丸、福井の直の進
 ハムレット(其二) 葉村邸の悲劇 山本のルジアナス 津坂のゴンザゴオ王 兒島の王妃パフチスト、貞奴の織江、藤澤の年丸

 上の写真は、明治三十七年一月一日発行の『文藝倶楽部』第十巻 第一号 博文館 の 口絵である。

『須磨子號』 (1919.2)

2020年01月11日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他
 

女の世界 須磨子号 
      第五巻 第二号 大正八年二月号

 〔以下、須磨子に関係あるもののみ。他に多数の扮装写真あり〕

 口絵 

   

 ・思ひ出(須磨子の丸髷姿)
  大正八年一月五日、恩師にして愛人たる島村抱月氏の後を追うて逝ける故松井須磨子嬢の思ひ出多き丸髷姿。此写真は嬢が生前最も気に入ってゐたものだと云ひます。
 ・三態(扮せる須磨子)
  故松井須磨子の三態。(上図)朝鮮婦人に扮せる須磨子嬢(下図)昨年九月歌舞伎座に上場せる「沈鐘」の森姫。(同左)自殺の前夜まで有楽座に出演したるカルメン。

 ・須磨子号発刊の辞

 新劇界の女王 クイーン 松井須磨子の死は、有 あら ゆる意味に於て多くの人々の耳目を聳動させた。そして其死の是非を説き、死因の如何を語る声は紛々として決する處がない。本誌は嘗て現代婦人界に於て推賞すべき人として読者と共に彼女を推したことがある。其記憶未だ新たなるに、彼女は忽焉 こつえん として逝 ゆ いた。而かも其死が恋愛問題に関し、且つ女優界に於ける空前の出来事たるに於ては、本誌として、焉ぞまた彼女の為めにその異常なる死を記念すべく『須磨子号』なからんやである。説を為すもの、或 あるひ は彼女の死は抱月氏を恋ひ慕へるが為めではないと云ひ、或は萬事行詰つた挙句の死であると云ひ、或は性の悩みに堪へざるが為めの死であると云ひ、或は突然に決意し突然に決行したのであると云ふ。それ皆或は然らんである。然し乍らそれ等は據る處悉く想像と推察に非ざるはなく、説く處如何程までに合理的なるかを示すに過ぎない。事実は彼女が死せりといふ事と、死に際して抱月氏を慕ふの情を表明したといふ事の外はない、例令 たとひ 、その死の主因副因が何れにあるにせよ、兎に角彼女は死んだのである。そして死に際して抱月氏を慕ふの意を表明したのである。或は或者の云ふが如く其表明も芝居であるかも知れない、けれどもそれが例令芝居であってとしても、事実の示すが如く死にまで高潮した芝居であるならば、また其芝居は敬服に値すべきではないか。吾々は、現代人にとって死程力強きものを知らない。そしてその瞬間程人の心持を純にするものあるを知らない。此意味に於て吾々は、彼女の死に面せる瞬間の心鏡にまで、打算的な事物の影が映ってゐたとは信ずる事が出来ないのである。吾々は、彼女が今日まで日本の劇界に盡し来った偉大なる功績と、其死に依て残したる種々なる問題に対する暗示と、並びに異常なる死そのものに対して敬意を払ひ、以て彼女に対し深甚なる同情の念を捧ぐる者である。本号収むる所、或は彼女に取て非なるものもあるかも知れない。けれ共真の松井須磨子を知る事が、彼女に対する最も忠なる所以であると信ずる吾々は、敢へて彼女に対する毀誉褒貶一切を挙げて、以て賢明なる読者の正当なる評価を俟んとする次第である。(春光)

 ・松井須磨子の略歴

 松井須磨子は本名小林まさ子、信州松代在、埴科 はにしな 郡清野村大字越の生れである。家は代々真田領の藩士で、父は小林藤太と云ひ、恰もマグダの父を見るやうな、一面旋毛曲りと云はれる位の一徹者であった。まさ子は其人の血と気性をそのま々に享け継いだ。彼女が今日までの名声を恣まにしたのも、又彼女の周囲に幾度もの騒動が起ったのも同じく其血と気性に因を成したに外ならない。家廃るゝや彼女は上田の学校用品商長谷川友助の養女となり小学校を其家に卒へた。友助病死後、養母が他家に再嫁したので、まさ子は已むを得ず上京して長姉の嫁せる麻布飯倉の風月堂七澤方を頼り戸板女学校を其家に了へた。二十一歳の時望まれて千葉木更津の旅館鳥飼の花嫁となり。僅か二ヶ月にして飛び出し、再び上京して同郷の出身者前澤清助と同棲し、文藝協会の第一期生となり、協会解散後、島村抱月氏と共に藝術座を起し、日本内地は勿論新領地若くは海外に亘って百九十五の都邑を巡業し『モンナワ゛ンナ』『内部』『復活』以下三十有六種の翻訳劇、創作劇に出演し、好評嘖々名声女優界を圧したが、抱月氏没後、死を決し、大正八年一月五日の朝、氏の死と日と時を同じうして縊死以て華々しき一生を畢ったのである。

 ◇須磨子の思ひ出ひ◇

 ・初めて東京に来た頃 ‥ 須磨子の実姉 七澤峯子

 十六歳以前の正子 まさこ (須磨子)の事は、遠く離れてゐますので、良く存じませんが、子供の時分、家庭が不如意であったり養女となったりした事が、正子の精神に影響したと所はないかと思ひます。我儘 わがまゝ といふことも長谷川に行ってから大分募 つの った様ですし、神経的な感情もその頃からぼつゝ嵩じて来た様ですから少なくとその時の境遇が正子に影響した事は事実であったらうと思ひます。
 私共の所へ来たのが、東京に出た一番初めでありましたが、田舎丸出しの子娘で、子供の世話やら、三人の下女と一緒に掃除等手伝はせてゐました。正子も田舎出の時ではありますし、初めて東京に来たといふ珍らしい感じのために、我儘も何も忘れたと見えて、良くまめに働きました。『お正おばさん』 と姪や甥から呼ばれても平気なものでしたから、その時の正子はたゞ普通の田舎娘といふだけで取り立てて申し上げる程の事も厶 ござ いませんでした。

 ・戸板女学校時代の須磨子 ‥ 戸板女学校長 戸板せき子

 戸板がまだ芝公園にあった時、長谷川まさといって技藝科に通ってゐた生徒がゐました。田舎から出て来た許りといふ恰好で別に特徴といっても見当たりませんでしたけれども、何となく、感じの良い、ハキゝして、一見超越した気分を持ってゐた生徒と思ってゐました。技藝は相当に達者で仕事に熱心であった事は今も忘れられません
 学校を出てから幾年の後、松井須磨子といふ女優の名を耳にする様になりました。すると、誰とはなしに、それが学校に居た長谷川さんであるといふ事を聞きました。それが段々事実となって、長谷川まさと松井須磨子は同一人である事が判りましたがあの学校に毎日ゝ熱心に技藝を修めつつあった田舎出の長谷川さんが、名からして松井須磨子といふ兎も角も女優に早変りしやうとは、当時、手をとり、針をとって教授した妾 わたし としては全く意外な感に打たれずには居れませんでした。学生時代にはその前途を想像す可き特徴といふものは何一つとして持ってゐなかったやうに思ひます。
 それから、私の所へ度々訪ねて参りましたが、服装は相変らずのお粗末で、八丈の継ぎ剥ぎしたものに、下駄はいつも行儀悪く片ずれのしたもの、この女優が何時になったら、一人前の女優になれやうと、半ば淋しみを持って見てゐますうちに、今度は島村抱月先生と情事関係の噂さがパッと立ちました。その時は、私は全然誤聞として新聞も碌に注意して見やうとは思ひませんでした。あの黄八丈の継剥ぎの着物と、片ずれのした下駄とが、抱月先生との間に恋といふものを怎 ど うして成立 なりたヽ させ得やうと思ったからです。それが又も全くの事実と知れた時、私は自分の感想の欠点を直覚致しました。それは、女優に道徳を教ゆるのがそもゝの間違いであるといふ事でした。

 ・文藝協会時代の須磨子 ‥ 林千歳
 ・師としての須磨子 ‥ 澤みや子
 ・その夜の須磨子 ‥ 田邊若男

 ・須磨子の自殺は変態性欲 ‥ 大久保東圃
 ・須磨子の死は空前の記録 ‥伊原青々園 
 ・演劇史上に於ける須磨子の地位 ‥ 中村吉藏
 ・須摩子の死の責任者 ‥ 中村孤月
 ・須磨子の死と女優界 ‥ 森律子
 ・所謂新劇の最後 ‥ 楠山正雄
 ・松井須磨子を解剖す ‥ 村田榮子
 
   △名と実質
 一言 ごん にして云へば、お須磨さんは傲慢な女 をんな でした。お須磨さんを評する言葉としては、此一言で盡きると思ひます。お須磨さんは心が悪い女ではありませんでした。然し女としての最も大なる欠点の一つである傲慢な性質を持ってゐた為めに、折角の大きな活動の舞台を持ちながら、配下の心服を得る事が出来ず、抱月先生の庇護の外には常に孤立でゐなければならなかったのです。
 お須磨さんは女優としての成功者です。然しその成功は抱月先生あっての成功で、而もその成功はお須磨さんの実質に数倍するものでありました。それでゐてお須磨さんは傲慢な女 ひと であるだけに、松井須磨子といふ名が、自分の実質に数倍する程大きくなったといふこと気付かなかったのです。それが抱月先生が逝くなられて、急に自分が全くの孤立の位置に立つことになり、初めて自分一人では松井須磨子といふ名を背負って行けないといふことが解ったのです。かういふ立場に立ったお須磨さんとして、亡ぶるべく余儀なくされたことは当然と云はなければなりません。即ち云ひ換へると、お須磨さんは、傲慢といふ一つの性質に依て、女としての自分を亡ぼし、松井須磨子といふ背負 しよひ 切れない大きな名によって、女優としての自分を亡ぼした、と云へるのです
   △須磨子は恋してゐたか?
   △傲慢心の再起
   △肉の悩み
   △合葬せよ

 ・須磨子の舞台と稽古 ‥ 藝術座舞台監督 畑中蓼坡

  ▼藝に対する熱と力
 舞台が熱心である事は、松井君の生命であった。松井君の如く真面目熱心な人は、私の知ってゐる舞台の人の中に見出す事は困難である。あらゆる賛辞を浴 あび せてもこの美点を推賞するには足りないと思ふのである。或は極端に発するこの熱心のため、松井君に相対して動く俳優は寧ろ困る様な事も度々あった。舞台稽古の時の熱心な態度と舞台の上の熱のある動きは、観る人の目から見れば稽古と本物との差異はあれ、松井君にとっては、寸分の差異もなかった様に思はれる。稽古の時も本舞台同様であった。
 熱心であったといふ事を解剖して見れば、更に松井君が動的であったといふ事を発見し得るのである。舞台で良く跳ね、良く泣き良く動くのは、松井君の特徴であったが、静の中にも強い動きがあったのか十分窺う事が出来た。それが非常に強かった。例令 たとへ ば、舞台に相手役と二人、黙して、口を開かず、高潮に達した心理状態をもって、芝居をする時、舞台を緊張させるのはこの女 ひと の得意な所であった。相手役は度々その熱に飲まれて、沈黙が形の上の沈黙のみになり、呼吸が合はずに本意ない芝居をする事もあった。松井君に言はせると、自分の方がより以上に困ったといふ。或はさうかも知れぬ、それ程松井君は高潮な熱の所有者であったのである。
  ▼天才の自覚
  ▼水も漏らさぬ指導
  ▼死後の心遣ひ

 ・須磨子の死に就ては道徳的批判を排す ‥ 秋田雨雀
 ・須磨子の死の暗示 ‥ 安成二郎
 ・誤解の中に生きた須磨子 ‥ 倉若梅二郎
 ・地獄で金が通用したら =須磨子は金庫を持って行った筈= 曾我廼家五九郎 武智故平
 ・英雄的の死 ‥ 侯爵 小村欣一  
 ・島村家に残された須磨子の手紙 ‥ 縫之助 

  △市子未亡人の追懐

 新劇壇のクヰーン松井須磨子が、愛人抱月氏逝いて二ヶ月、日も同じ時も同じく、その跡を追うたのを耳にして、直ちに牛込東大久保四百廿二番地の抱月氏未亡人いち子さんの宅を訪づれると、須磨子の自殺を始めて耳にした未亡人は、驚愕の余り『マア何と云ふ事でせう‥‥実際 ほんとう ですか』と反問して信疑を判じかねる面持であったが、軈 やが て昼食 ちうじき を攝 と るべく次室に居た君子さんを大声で『君子一寸おいで、松井さんが死んだんですと、首を吊って今朝 けさ 歿 な くなられたさうな』と呼び招いた。すると是も又驚きの眼を見張った君子さんが、我々の居る部屋に姿を現はして『マアどうしてゞせう?』と暫時 しばし は言葉も出ない有様であった。そこで自分は未亡人と君子さんに須磨子に関しての印象をお訊ねすると、未亡人は君子さんと共に徐に語り始めたのであった 未『お尋ねではありますが、松井さんには島村が藝術座を起しました少し以前から島村が不始末をして宅を出ました迄の、二ヶ月間位しか接して居ませんので‥‥夫れももう彼是五六年前の事ですから、印象と申す程の物は御座いません。而し島村が宅を出ます迄の二ヶ月間は、松井さんは毎日必ず島村を訪ねて来ましたので、私や君子は島村が不在の時でも、いつでも二階の島村の書斎に案内して居ました。無論夫れは以前の宅に居りました時分の事で、当時松井さんは島村との話が済みますと直ぐ帰って行かれましたので従って是と申す印象はありませんが、確か島村が松井さんとの事で、宅を出ましてからの事だと思ひます。一日其の事に付きまして、私は松井さんを戸山ヶ原の傍の、二階借をして居た時分のお宅にお訪ねしましたが、生憎お留守で空しく戻りました。

  △涙の目で

 其の次の日の晩であったと思ひます、島村と二人で私共へ松井さんが訪ねて来られました。ソシテ奥の部屋で松井さんは火鉢を仲に、島村と相対し、私は二人の側面に座って、種々 いろゝ お話をしました。松井さんはどうしたのですか、一言も発しませんで、たゞ声を立てゝ啜り込む様に、丁度子供が泣く様な工合に、泣いて計り居ましたので、私は松井さんと云ふ人は随分妙な方だと思ひまして、フト松井さんのお顔を見ますと、顔に押し当てた手巾 ハンケチ の下から、涙ににじんだ儘の横眼でヂロヂロ私の顔を見詰めて居るぢやありませんか。其の様子を見まして私は余計妙な方だと思ひました。流石に芝居なさる方はまた別なものだと思ひました。お泣きになるのにさへ少しも油断をなさらないんだナと異様に感じましたが、其後何かの折に坪内先生にお目にかゝった時、先生は私に『松井さんは泣くのが非常に巧みである』とおっしゃた事がありましたが、成程サウだと思ひました。松井さんに付いての印象としては是れ位のもので、其後は私は一度もお目にかゝった事がありませんから‥‥』と言葉を切った。

  △親と同様

 自分は更に『何か松井さんから、こちらへお手紙が来た事は、ありませんでせうか』と訊ねた。すると君子さんが『アヽさうさう、私の所へ京都から寄越した手紙があります』と云って座を立った。程なく手にして来たのは、桃色のレターペーパーに、ブリウブラックのインクで認 したヽ められた、松井須磨子の手紙であった。君子さんは『あとにもさきにもお手紙は是一本だけですの』と云って、自分の手に夫れを渡して呉れた。読み下して見ると、恁 か う云ふ文面であった。

   
 (原文の儘)
 大阪土産として何かほしいものが有るなら言ってよこしなさい。
 でもあんまりお金のはるものはいけませんよ。今は研究所を造るのでお金が足りない時だから、せいゞ十五圓以下のもの、
 はあちゃん(君子さんの姉君春子さんの事である)とお前さんと二人分で。私のお前さんたちに対する呼び名はお父様の御命令ですよ、夫 それ からお前さんたちが私への呼名はすま子様でよろしいがすべて親と同様の敬語を用ゐなさい。夫からお父様へ他 た から手紙の類が来た場合には、夫をよく封じて私あてにしてよこしなさい、
 京都三條橋萬屋方松井須磨子様
 として廿四日後にこちらへつきさうだったら
 大阪日本橋詰岸澤屋方松井須磨子様
 お前さん方からの手紙も無論さうですよ、夫からお市様(いち子未亡人の事)にも、何か私が見たてヽ行ってあげますか、私の見たてゞすからもしはででいけなかったら、あゝよしませう私に分らないから、
 ではおとなしくすると御ほうびを上げますよ。
                すま子
 きみどの

  △意味ありげな微笑 ほほえみ

 一通り此の手紙を読み終った後、自分は君子さんに、試みに『親と同様の敬語を以て、松井さんをお呼びになった事がおありですか?』と問うて見た。君子さんは何も答へずに、無言の儘或る意味を含んだ面もちで微笑した。
 未亡人は『此の手紙は何でも、五六年前大阪京都を廻った時、大変芝居が当りましたさうで、其の時君子と春子とに、何か買って呉れると云って寄越したんです。アノ方からの手紙としては私共へ来ましたのは、是が始めでまた最後でした』と云って淋しくほゝ笑んだ。
 華やかなる劇壇に於ける女王たる婦人として、将た、島村家に於ける家族制度を根本的に打破したる婦人として、普ねく其名を知られた、松井須磨子が家庭の敗者たる、抱月氏の家族に與へた、須磨子の生涯を通じて唯一通の書面は斯の如き物であったのである。今は早や亡き人の上、善かれ悪しかれ、折に触れては、島村氏遺族の追憶の種子 たね ともならう。自分は其の批判を読者の冷静な判断に任して筆を擱く。 (終り) 

 ・抱月須磨子の新比翼塚 ‥ 坂本紅蓮洞
 ・須磨子の男に対した態度と女に対した態度 ‥ 相馬黒光女
 ・自殺に絡る怪事件 =死に至るまでの真相=  ‥ 樹谷翩々子

   

『(イタリア公演)貞奴』(1902?)

2019年07月07日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他
     

       TOURNEE IN ITALIA
         della Celebre
  SADA YACCO〔貞奴〕
    e della sua
  Compagnia Drammatica Giapponese

  Impresa Ceatrale
  - Marino & C.
  ROMA - NAPOLI

  Rappresentante ed Agente
    O.CAPACCIOLI
  Piazza di Spagna 45- ROMA

                Prezzo Cent. 30

    
 
    La Ghesha ed il Cavaliere〔芸者と武士〕

  KATSURAGI             ‥ SADA YACCO
  ORIHIME, (fidanzata di Nagoya) ‥ Tsuru
  UNA GHESHA            ‥ Nami
  UNA DANZATRICE DI STRADA     ‥ Naka
  NAGOYA SANZA           ‥ Fugizawa
  MUSICISTA AMBULANTE        ‥ Sugihashi
  CANTATRICE DI STRADA       ‥ Fujita

    GHESHE, MONACI BUDDISTI, UFFICIALI ECC.

    ATTO Ⅰ : Ⅱ quartiere del Yoshibara a Yedo.
  ATT Ⅱ : La Porta del Tempio Dojo - gi della provincia Kishu
            Epoca : Ⅱ ⅩⅤⅠ secolo

     

    KESA〔袈裟〕

  DRAMMA IN DUE ATTⅠ

  KESA              ‥ SADA YACCO
  Korimo, madre di Kesa     ‥ Naka
  MORITO             ‥ OTOJIRO KAWAKAMI
  WATANABE, rivale di Morito   ‥ Fugizawa
  Doji              ‥ Nosaki
  BRIGANTI            ‥ Hattori, Matsumoto etc

    ATTO Ⅰ : Sulla montagna (provinchia di Tomba)
         Ⅱricovero dei briganti.
  ATTO Ⅱ : Ad un ricevimento. - La casa di Watanabe.

      

    IL SHOGUN〔将軍〕
  DRAMA DELL ❜ANTICO GIAPPONE IN 2 ATT E 3 QUADRI

  MAKABA, moglie di Yoshiaki   ‥ SADA YACCO
  KIKU, figlia di MITCHISUKE  ‥ Tsuru
  SANAE, moglie di MICHISUKE  ‥ Naha
  UNA FIGLIA DEL PAESE     ‥ Nami
  LO SHOGUN          ‥ OTOJIRO KAWAKAMI
  YOSHIAKI, flatello del SHOGUN ‥ Fugizawa
  MICHISUKE ‥ Matsumoto
  TAITARO, figlio di MICHISUKE ‥ Nosaki
  Servitore di YOSHIAKI ‥ Hattori

      

    ZINGORO〔甚五郎〕
         (GALATEA)
    DRAMMA IN UN ATTO

  ZINGORO        ‥ Matsumoto
  SADE(sua moglie)  ‥ Tugizawa
  UNA STATUA      ‥ SADA YACCO
  UN ALTRA STATUA    ‥ Hattori
  〃 〃  〃     ‥ Nosaki
  〃 〃  〃     ‥ Naka
  〃 〃  〃     ‥ Nami

  

    Kosan e Kinkoro〔小三金五郎〕
   (LA SIGNORA DELLE CAMELIE GIAPPONESE)
DRAMMA IN TRE ATTⅠ

  Kosan         ‥ SADAYACCO
  KOTOURN ‥ Tsuru
  KINKORO(amante di Kosan)‥ Tugizawa
  KINGO(padre di Kinkoro) ‥ Matsumoto
  DORIZO ‥ Jamomoto
  JAMORITO ‥ Kortori
  WRESLER ‥ Fujita
  OKUMOR ‥ Nozaki

ATTO Ⅰ:Fuori del Tempio di Tokio.
ATTO Ⅱ:Trattoria aTokio.
      ATTO Ⅲ:La casa di Kosan

 この小冊子には、上の配役の他、あらすじも紹介されている〔各写真参照〕。

  

 Sada Yacco       

  La Gheisa et le Chevalier

 なお、上は、一九〇〇年十一月〔明治三十三年十一月〕のパリで発行された雑誌『REVUE ILLUSTRÉE』の表紙にある写真。

   

 さらに、上の二枚の写真は、絵葉書のものである。
 
 左:ATHENEE SADA YACCO LA GEISHA ET LE CHEVALIER(ACT Ⅱ) DANSE DE SADAYACCO
 右:ATHENEE SADA YACCO LA GEISHA ET LE CHEVALIER(ACT Ⅱ) LA LUTTE DE LA MORT

 下は、明治三十六年八月五日三版発行の『小波 洋行土産 上』 博文館発行 の「伯林百話」の一部である。

 (五十七)川上一座の興行

 米国蝶々踊の元祖、ロイ、フルラと共に、英仏二国を打って廻った、新俳優川上音次郎、同貞奴の一座は、〔明治三十四年〕十一月の中旬を以て、伯林市に乗り込み、その十八日から、中央座 セントラール、テアタア で興行する事となった。この座は久しく『ゲイシャ』を演じて居た所で、日本劇には多少縁故のある座なのである。
 狂言は、一番目『武士と芸妓』、二番目『袈裟御前』であるが、元より新演芸の特色として、立ち廻りの活発な事と、貞奴の舞の手の軽妙な事には、さらでも新奇を好む伯林人の、何れも舌を巻いて感服したのである。
 尤も盛遠の立腹切の段は、あまり神に迫まる為めか、その血の多過ぎる為めか、大分顔を反向 そむ ける者もあったが、これとても、元より西洋劇には見られぬ事なので、所謂『恐い物見度 みた さ』の好奇心に投じ、却って呼び物の一つと成った様だ。
 が、概して一般の評判に成ったのは、貞奴の衣装の綺麗な事だ。で、中には『日本の女の服は、世界一の美服である。こんな美服を持ちながら、女服改良だの、洋服採用だのと、騒ぎ立てる日本人の気が知れない』と、こんな事を云ふ連中もあるが、是等は、舞台の衣装と、平常の服装とに、大きな差別のある事を知らず。只日本の女とさへ云へば、皆金絲の縫 ぬひ のある、派手な衣服を着て居る者とのみ、早合点をするからである。
 兎も角川上一座の興行は、一時伯林中の一問題となって、此芝居を見ない者は、共に日本を語るに足らずと、云った様な勢ひで、はては貞奴の偽物が、リンデンの中店の、見世物にも出演すると云ふ騒ぎ、イヤもう大した人気で、その人気の及ぼす処、遂に独逸人の好奇心を駆って、一番日本の芝居をやって見やうと云ふ事に成った。  

「私のカチューシャ」 松井須磨子 (1916.10)

2017年04月09日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

 
 
 私のカチューシャ
                 松井須磨子

 □カチュシャの芝居

 カチューシャのやうに一つ芝居を何百回となく手にかけますと、しまひには機械的になつて、藝に生命がなくなる恐れがあります。理想からいへば、何百回やつても、一回毎に新しいものを演ずるつもりで、うぶな心持ちでやらなければならないのですが、やゝともすると、それがさう行かなくなります、いろゝの人を舞台の上で世話して見ても、下根の人ほど此心がけが少ないやうです。のして行くくらゐの人は一回ごとに緊張した心持で舞台に出るやうですが、見込みのない位の人に限つて、もう十回も同じ芝居をやると、そろゝ舞台を馬鹿にして、だらけた心で登場します。したがつて其藝が不真面目なものになります。私もいつもこの事を考へてはカチューシャの舞台を粗末にしないやうにと思つてはゐますが、何にしてもあんまり度数が多いので、知らずゝたるんだ所が出て来はしないかと恐れてゐます。それを防ぐ一つの方法として、わたしは時々脚本の中をところゝ直して貰つて新しいものゝ稽古にかゝるつもりで、自分と自分の気を引きしめてゐます。

 □十七八のカチューシャ

 カチューシャの序幕、あの別荘の場は、まだ十七か十八の小娘なのですが、俳優の苦心として、殊に女優の苦心としては、年齢 とし を変へることが男優よりも一層骨が折れます。自分とほゞ同年輩の人物に扮するのは楽ですが、自分よりもずつと年下に扮するのはなかゝ困難です。序幕のカチューシャは十七八ですから、今の私としては十年も若くならなければなりません。初めのうちはそれがよほど楽に行つたやうに思ひますが、長くやつてゐるうちにはつひ素にもどり易く、今では此辺 このへん が最も骨が折れます。もつとも之は一つは脚本や人物の性質にもよるのでせう、同じ若い娘でも、前にケテヰーをやりました時は大へん楽に十六七の小娘になれましたが、カチューシャの方は、初 はじめ からケテヰーに比べればむつかしかつたやうです。

 □カチューシャの仕処

 カチューシャの仕処 しどころ は何といつても、あの歌の所と監獄の場とです。最後の幕で公爵と分れるところもいゝには相違ありませんが、深く内部にもぐり込むやうな仕処ですから、極 ごく 小さい劇場で、静に理解して見て貰ふ見物の前でよい背景をつかつてやるのでなければ、しばへがしません。ついでゝすが、此幕 このまく に聖書の馬太伝 またいでん を朗読するところがあります。あれが実に厄介で、意味は重大ですからはつきり見物に通るやうに読まなければなりません。それかと言つてうるほひのない切口上になつてもいけず、牧師が聖書を読むやうな臭味のある調子になつてもいけず、たゞの女が読むので、それでゐてどこかに多少宗教的な荘厳な味もなくてはならず、其辺の加減がむつかしくて困ります。

 □カチューシャの唄

 カチューシャの唄は序幕と病院の場と二ヶ所で違つた文句の違つた調子で唄ふのですが、序幕ではたゞ晴やかにあどけなく唄ふのですから割に楽です。それに声もまだあまり使つてゐない内ですからいゝのですが、病院の場で唄ふのは、其すぐ前の幕に監獄の場であらん限りの声をつかつてどなつた後なのですから、喉が非常につかれてゐて困ります。序幕の唄では、例の通り窓の前に月の光を浴びながら公爵と長椅子に並んで腰をかけて唄ふのですが、あの椅子の高さが丁度腰かけた足をぶらゝさせるに都合のいゝ位になつてゐないといけません。あそこでは足をぶらゝさせ、体をすこし斜にして姿勢に媚 こび を持たせ、手を拍 う つて、つまり手拍子、足拍子、体拍子の三拍子でつりあひを取つて、あどけない態度を出し、そしてあの歌を唄ふやうになつてゐるのです。病院の場の唄は悲しく哀れに唄ふのが主で、泣いてゐたものが、其涙をおさへゝ歌ふので、殊にあの所では私いつもほんとうに泣いてやつてゐるものですから、其まゝ歌につゞけるのが骨です。其代り婦人の見物などにはあの悲調の方が却つて評判がいゝやうです。歌としてよりも感情として痛切なからでせう。従つてカチューシャの歌といへば多くはあの方の唄ひ方に近いのが本当のやうに思はれてゐるやうです。けれどカチューシャの唄としてだけから言へば、唄らしいのは前の方でせう。其かはり後のに比べれば陽気です。よく活動写真などに添へて唄つてゐる陰気な単調な讃美歌のやうなのは、本当ではありません。病院の場で唄ふのでも、悲哀の中にやはり此歌本来の節廻しはなくてはなりません。
 この病院の場の唄は前に申した如く、其前の場でどなつた後ですために声がつかれてゐて、舞台裏で生卵を飲んで出る位にしても苦しいのですが、其他あの場合にあの歌を唄ひ出させる手引になるのは相役のフョードシアの唄でフョードシアの声の調子一つでそれに連れて歌ひ出すカチューシャの声の調子が極 き まるのですから、いつもこれには苦心します。先方 さき がうまくこちらの注文通りの調子で引出して呉れゝがいゝのですが、それが中々さう行きません。それと今一つは最後に二人一緒に唄つてゐる中に幕が切れるのですが、其幕がちょうど歌の終ると同時に下に降り切るようにして、音もなく静に、唄につれて、切れると、初めて見物が拍手しますが、ちよつとでも其呼吸がはづれると誰れも拍手する気になれません。

 □監獄の場

 監獄の場は前半ではカチューシャが堕落した身の上を話す所、また後半では公爵に逢つて罵るところと、仕所が二つに別れてゐますが、前半は脚本の筋がまことにおもしろくよく出来てゐますから、あの長い身の上話も自然と見物を飽きさせないやうに、楽に藝が出来ます。一体芝居は目に訴へるのが大部分ですから、すべての事件が舞台の上で、みな現在に行はれるやうに出来てゐなければ面白い芝居にはなりません。過去の事や他所で起つた事を人物の口から物語らせるやうな行方 ゆきかた の芝居は概して面白くないと思ひます。なるたけ斯 こ ういふ物語の部分を減じて現に具体的に起こつた事として舞台の上に見せなければいけません。ですから身の上話などといふものは、芝居の中ではよほど工風をしないとだれて面白くありません。カチューシャのあの場の身の上話などは数ある芝居の中でも最も巧 たくみ に出来て、見物を飽きさせない物語の場面だと思ひます。その中でも「今度はシベリアかサガレンへでも行つてそこの牢番のお神さんにでもなるかハヽヽ」といふ、この「ハヽヽ」の切れの寂しみなどが最も藝のいる所だと思ひます。また後半、公爵を罵るところでは、何といつても、カチューシャが初めて昔の公爵と知つて、写真を叩きつけて、「うぬ」と一言、つゝ立つたまゝしばらく無言で睨みつけて、「うぬ、悪魔、悪魔」と連呼する、あそこのところが一番骨が折れます。すべて此後半の型は、初めは英国の女優がツリー一座でやつたといふ、其話に本づいて形をつけたのですが、段々何百回とやつてゐる内に、自分の型になつて、今では少々なりすぎたかと思ふくらゐです。それから今一つはあの幕切れ、うウヰスキーの瓶を落すのをキッカケに、全く彫刻身になつて、何か尊いものを見とめたやうな表情でぼうとなつて幕をおろすのですが、あれもしどころの一つです。またやけになつてウヰスキーをあほるところがありますが、あのウヰスキーの飲みやうが、ちびゝ飲むのでなく、がぶゝ飲むやうで、強い酒を飲む形でないといふ批評をよく受けます。あれも初めから其辺をいろゝ工風して見たのですが、まさかがぶゝは飲まないまでも、全く写実できついお酒を飲む人のまねをしたのでは、あの場合間を持つための目的に合ひません、どうしても或程度まで口にあてゝ時間を長めてゐる必要があるものですから、あんな風に折衷した飲み方をしてゐるのです。これら藝の上の特権として其嘘 そのうそ を許していたゞくほかはありません。

 上の写真と文は、『婦人公論』 秋季特別号 (第十号)現代女ぞろひ号 第一年 第十号 大正五年十月号 の 説苑 に掲載されたものである。


「サロメ」 須磨子、貞奴等 (1913-1926)

2015年10月21日 | 演劇 貞奴、松井須磨子他

 

 第二 

 サロメ(妃ヘロヂアスの娘)  松井須磨子氏
 ヘロド、アンチパス(猶太王) 倉橋仙太郎氏
 ヨカナアン(預言者)     澤田正二郎氏
 ナアマン (首斬役)     鎌野誠一氏
 若きシリア人(近衛の大尉)  中井哲氏
 妃ロヂアスの扈従       宮島又雄氏
 カツパドシア人        波多●譲氏
 第一の兵卒          田中介二氏
 チグルリヌス(若き羅馬人)  田那若男氏
 第二の兵卒          酒部良一氏
 第一のナザレ人        花田幸彦氏
 第二のナザレ人        渡邊秀雄氏
 第一の猶太人         小川落葉氏
 第三の猶太人         駒山草二氏
 ヌビア人           宮路千之助氏
 第二の猶太人         中田正造氏
 第三の兵卒          花岡染雄氏
 第四の兵卒          水野秀次郎氏
 黒人             倉若梅二郎氏
 同              井上清氏
 同              玄哲氏
 同              竹内慶雄氏
 ヘロヂアス(猶太王の妃)   波野雪子氏
 サロメの侍婢         小野しをり氏
 同              川路歌子氏
 同              松田久野氏
 同              勝山御代子氏

     オスカー、ワイルド作
     中村吉蔵訳
  第二 悲劇 サロメ 一幕

    『猶太王ヘロド、アンチパスの宮殿』

 ヘロド王の宮殿の高台に、衛士四五人、王が内殿に酒宴の間を見張りの態、処へ王妃と先王との間に生れた姫サロメ、王が屡々厭らしい眼を向けるのを嫌つて、酒宴の席を遁れ来て、空井戸に捕へられて居る預言者ヨカナアンの声をきゝ、それを連れて来させる、生き乍らの墳墓とも云ふべき処から出されたヨカナアンは、盛に姫の母なる王妃の悪行を罵るけれど、サロメは之に耳を假さず、預言者の奇しき美に情を動かし、放膽な言葉を吐く、ヨカナアンは之を叱して再び空井戸に入る、王、王妃を携へて登場し、サロメに舞を所望する、サロメは王より、その望むものは、例令国の半なりと與へるとの約を得て、七面紗の舞を舞ひ、終つてヨカナアンの首を所望す、王はそれだけはと、他のものと替へん事を請ふけれども、サロメは聴かず、刑吏を送つて、首を斬らせ、やがて、銀の大盤にのせて首を持ち来るや、否や忽ち其の唇に接吻す、王は怖れ、且つ怒り、『此女を殺せツ』と叫べば、兵卒突進して、盾の下にヘロヂアスの女ユデアの皇女サロメを圧殺す。

 以上は、大正二年十二月の 帝国劇場 絵本筋書 の一部である。

      

 上左の2枚の写真は、大正四年 〔一九一五年〕 六月一日発行の『淑女画報』 第四巻 第六号 に掲載されたものである。

 サロメ三人(須磨子嬢ー貞奴夫人ー京子女史)

 サロメ三人(其一)〔上左〕  

 (松井須磨子嬢の扮したるサロメ)〔写真中の右〕
  新古典劇『サロメ』はイギリスの詩人オスカー・ワイルドの傑作で、材を聖書の旧約全書中から採つたもので、官能派の代表的戯曲であります。美と感覚の権化たる猶太 ユダヤ の女王サロメは、一夕預言者ヨカナァンの月のやうに冷徹した声を聞き、豊麗な肉体に魅せられて忽 たちま ちその虜となり、遂ひに王に請うて其の首を求め、官能の爛酔 らんすい の中に満足して死ぬといふのが一篇の筋であります。

 〔ヨカナアン サロメ〕〔同〕

 (川上貞奴夫人の扮したるサロメ)〔写真中の左〕
  青い酔つたやうな月光のシムホニーの中に幻の如く点出されて来る古代ユダヤの静整 せいせい した情景を背景にして、最も近代的な悪魔のやうな女王サロメの舞ひと歌とは看客 かんきゃく を恍惚たらしめずには措 お きません。美と醜、善と悪との交錯した不可思議な幻影の中に官能の勝利に謳歌し、同時に其の敗滅に慄 をのゝ くやうな、奇しき夢に誘ひこまれるのが此の戯曲の特色であります。

 サロメ三人(其二)〔上中〕

 (下山京子女史の扮したるサロメ)
  最近、東京に於ては京子、須磨子、貞奴の三女史が前後して此のサロメを演じてそれゞ特色を発揮しました。聞けば、木村駒子女史もサロメを演ずるとか、サロメばやりの時に当つて本誌がサロメ 人を紹介するのも意味なき事ではないでせう。

 上右の1枚の写真は、矢吹高尚堂製の絵葉書のものであり、下の説明がある。

 帝国劇場第五十六回興行悲劇(サロメ)ヘロツド王宮殿の高台

  

 サロメダンス(天勝嬢演)

 オスカーワイルドの傑作戯曲『サロメ』は日本でも近来に至りいろゝの人によって演ぜられ、非常に有名になりました。之は最近、有楽座に於て松旭斎天勝嬢の演じたサロメであります。

 サロメは猶太王妃のつれ子で、今では王女でありますが、或る夜預言者ヨカナアンの冷徹な声を聞き、豊麗な肉体に魅せられて、忽 たちま ち其の擒 とりこ となります。処が、一方猶太王はサロメ 艶な容姿 すがた を愛し、一夕、サロメの得意なダンスを所望し、其の代りに何でも望み通りのものを與へると約します。そこでサロメは七つのヴェールの舞といふのをまって、ではヨカナアンの首を下さいといふ。-本図はサロメのダンスと窈姚たるその容姿とであります。  

 上の写真2枚と文は、大正四年発行の雑誌 『淑女画報』 第四巻 第八号 に掲載されたものである。

   

 上の写真2枚は、本郷座の絵番付の一部内容である。

 大正四年五月八日 午後三時三十分開幕

 第一 廣津柳浪氏脚本 『目黒巷談』五幕

  藝者●次         川上貞奴

 第二 オスカー、ワイルド作 松居松葉氏譯 『サロメ』 壹幕

  ヘロド王宮殿の一部

  ヘロド王         五味國吉郎
  妃の小性         木下吉之助
  善きシリア人 ナラホット 山本嘉一
  マナッセー        宮田八郎
  オシヤス         ●川菊之助
  イサカデー        松本要二郎
  ユダ           東辰夫
  カパドシアン人      後藤良介
  ローマの使者ジグラス   岩田祐吉
  使者           久保田甲陽
  奴隷           若松紫翠
  同            石川正三
  侍●           下田猛
  同            竹内一陽
  兵士           戸塚吉郎
  音楽師          ●田松吉郎
  黒奴           山田巳之助
  首切役人 ナーマン    谷富一
  ユダヤ人         小河幸雄
  同            武村新
  同            村田武郎
  同            岸一夫
  兵士           十五人
  音楽師          六人
  奴隷           七人
  侍●           十人
  預言者 ヨカナアン    井上正夫
  侍女           一ツ橋龍子
  同            原秀子
  同            佐藤定子
  同            川上春●●
  王妃 ヘロドダス     河合武雄
  王女 サロメ       川上貞奴         

 第三 室町明人氏作 『お國と山三』 壹幕

  出雲のお國        川上貞奴

   春木町 本郷座 座主 松竹合名会社

  観劇料 特等 御壹名 金壹圓八拾銭 一等 同 壹圓六拾銭 二等 同 壹圓三拾銭 三等 同 金八拾銭 四等 同 金六拾銭 五等 同 金三拾五銭   
   初日金四拾銭均一 

     

 上左:木村駒子のサロメ    大正四年九月一日発行の『女の世界』 1巻 5号 の口絵にあるもの
 上中:松旭斎天勝嬢      絵葉書のもの
 
 上右:邦楽座、五月信子のサロメ 大正十五年十一月一日発行の『写真タイムス』 十一月号 第二巻 第十一号

  日本一のバンパイヤ、吾が五月信子のサロメ、それこそ日本一です。おゝ、ヨカナアン、ヨカナアン!恋人ヨカナアンの首を抱いて狂ひ叫ぶサロメ、人の心に迫り、鬼気を呼ぶ、凄惨な狂恋の叫声、美しき瞳は裂けよと計りに恋人の首に見入るサロメ。蠢惑 こんわく 的な信子の姿態に、美しきサロメの狂態に、見物は死せる如く酔ひ、澱 よど める水の如く静まり切つてゐます。

  

 帝国劇場 大正八年二月十五日より 

 サロメ 一幕 オスカー、ワイルド作 中村吉藏訳 

 第四 猶太王ヘロド、アンチパスノ宮殿

 一 サロメ(妃ヘロヂアスの娘) 河村菊枝
 一 ヘロド、アンチパス 森英治郎
 一 ヨカナン(預言者) 加藤精一
 一 ナアマン(首斬訳) 澤村い十郎
 一 カッパドシア人 白崎菊三郎
 一 第一の兵卒 小柳京二
 一 チグルリヌス(若き羅馬人) 林幹
 一 第二の兵卒 高木茂
 一 猶太人 澤村遮莫
 一 第一の猶太人 助高屋助藏
 一 第二の猶太人 澤村開幸
 一 第三の猶太人 澤村藤橘
 一 第四の猶太人 松本治松
 一 ナザレ人 尾上幸雄
 一 第一のナザレ人 澤村春十郎
 一 第二のナザレ人 澤村國次
 一 ヌビア人 澤村宗次
 一 ドレイ 尾上松藏
 一 ヘロヂアス(猶太王妃) 村田嘉久子
 一 廷臣 澤村宗彌
 一 同 澤村小槌
 一 サロメの侍婢 白井壽美代
 一 同 橘薫
 一 同 櫻井八重子
 一 同 山崎里子
 一 同 草間錦糸
 一 同 瀧澤静子
 一 同 櫻木花枝
    帝国劇場管絃楽部員 

  

 PROGRAM 新京極 歌舞伎座

 トンボ会第六回替連鎖劇

  当る大正四年八月十九日正十二時開演

  近代劇 実演サロメ   トンボ会一行 新加入女優阪本しづ馬 出演
  連鎖劇 芸者の意気地

  場割

  一番目 芸者の意気地
  二番目 近代劇 サロメ

  扮装人名

  一 猶太王 ヘロドアンチパス 原田好太郎
  一 預言者 ヨカナアン 國松一

  一 ヘロデアスの娘サロメ 新加入女優 阪本しづ馬

  歌舞伎座