蔵書目録

明治・大正・昭和:楽器・音譜目録、来日音楽家、音楽教育家、来日舞踊家、軍内対立、医学教育、清国留学生、林彪、北京之春 

『長門美保』 長門美保音楽研究所 (1939.3)

2011年10月01日 | 昭和 歌劇、声楽家
   

 表紙には「長門美保」、裏表紙には「M.Nagato」とある。奥付には「昭和十四年 〔一九三九年〕 三月三日発行 発行所 長門美保音楽研究所」などとある。25.5センチ、4頁。

 長門美保略歴

  彼女は幼少より既に楽才に恵まれ、成長するに及んでその天禀の美声を磨くべく、日本女子大学校附属高等女学校より上野の東京音楽学校本科声楽部に入学した。
  芸術に対する燃える様な真面目な勉強振りは、直ちに当時の声楽主任故船橋教授に認められ、特に熱心な薫陶を受け、益々声楽への研究に邁進した。上級に進んでは、外人教師のネトケ・レーヴェ氏及びウーハー・ペニッヒに師事し、稀に見る豊かな声量は外人教師を驚かし、その天分を寵愛せられ、特に学生として例外の在学中の抜擢を受けて、日比谷公会堂に於ける音楽学校春期演奏会に、マーラー第二シンフォニーのソプラノのソロを音楽学校オーケストラ伴奏、ブリングスハイム氏指揮の許に歌ひ、一躍楽界の注目を牽き、此処に彼女の輝かしい将来が力強く約束された。
  昭和八年四月、優秀なる成績にて卒業の際には畏くも秩父宮妃殿下、高松宮妃殿下の御台臨を仰ぎ、御前演奏の光栄に浴した。卒業後はマリア・トル女史に師事して、オペラ歌手として一層の勉励を惜まなかった。
  続いて読売新聞社主催のオール日本新人演奏会に母校を代表して出演好評を博し忽 たちま ち楽界の寵児となり、引き続き第三回音楽コンクールに参加、見事声楽部第一位に入賞し、いよゝその実力を発揮して華々しく楽壇にデビューした。
  斯くて堂々と第一線に乗り出して確固たる地位を占めた彼女は、東京に於ける演奏会はもとより、ラヂオ放送に、トーキー映画に、地方演奏会に出演、到る処で絶讃を博し、声楽界に万丈の気を吐いてゐる。
  昭和十一年五月、日比谷公会堂に於ける彼女の第一回の独唱会の如きは超満員の盛況にて、その声量の豊富、音程の正確さに、各批評家は心よりの拍手を送って彼女を激賞した。
  昭和十二年六月の第二回独唱会は、前回にも増して素晴らしい出来栄えで満場の人々を魅了した。
  この他、主なる音楽会を二つ三つ挙ぐれば、昭和十年六月有楽座開場記念のオペレット『シューベルトの恋』に出演。
  昭和十二年十一月及び昭和十三年四月の二回に亙って、ヴェルディのレクイエムのソプラノのソロを新交響楽団伴奏ローゼンシュトック氏の指揮にて出演。
  昭和十三年の五月には日比谷公会堂に於て、新交響楽団の伴奏で歌劇『パリアッチ(道化師)』の主役ネッダに扮してその大膽な巾のある熱技は大いに歌劇歌手として迎へられた。
  現在キング専属のクラシック専門の堅実なる歌手として、家庭に、教育界に多数のファンを有し、最近のものには『世界子守唄名曲集』などがある。
  家に在つては多くの弟子を養成し、又M・Nサークル女声コーラスを主宰し、東宝映画俳優の声楽指導にも当り、此処彼処の音楽会に出演する等、各方面に活躍しつゝ常に己が研鑽を怠らず一意声楽に精進してゐる。

 写真

    

 ・ジェルマン・シェツクス氏と共演の音楽会打合せ。(星ヶ岡茶寮にて) 〔上左〕
 ・愛国行進曲発表会に於ける記念撮影(後列中央が長門嬢)
 ・第一回独唱会〔昭和十一年五月 日比谷公会堂〕スナップ(A)
 ・同(B)
 ・第一回独唱会に各方面より贈られた花環・花束に埋まった長門美保嬢 〔上右〕
 ・立錐の余地もなく詰めかけた大聴衆(第二回独唱会〔昭和十二年六月〕)
 ・第二回独唱会に熱唱する長門嬢(コーラス門下生)
 ・大阪朝日会館に於て、オーケストラ伴奏で独唱する長門嬢
 ・下写真は歌劇『道化師』に出演〔昭和十三年五月 日比谷公会堂〕して絶讃を博した長門嬢の舞台スナップ(右第一幕・左第二幕)

 長門美保短評

  山田耕筰、堀内敬三、野村光一、大田黒元雄、牛山充、伊庭孝、塩入亀輔

 目覚しい進境ー長門美保独唱会を聞く     大田黒元雄 (昭和十一年五月九日附東京朝日新聞朝刊より)

 ほかに、キングレコードの長門美保独唱傑作盤の広告がある。 

 なお、『私の履歴書 14 文化人』の本人の回想によれば、戦艦長門に招かれ、東京湾を一周したとのことである。
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