あれほどやってきたライブを一つも覚えてない。
それぞれ感動はあったはずなのに、
覚えてないもんだなぁ、、
しかし、それられが自分の血肉になった事は実感できる。
やりたい事を思いっきりやったからかな?
で、この仕上がりってわけ(⌒▽⌒)
わがままなんだよな〰️
自分に嘘つく事だけは許せないな。
『しらけ世代』と呼ばれても、誰よりも熱かったかもね。
単に熱いだけだったかもしれないけれど。
会社を作ったのは自分の夢の実現の為。
20年ぐらい前に社是を作った。
その社是を実現するために仲間の協力が必要だし、協力してくれた仲間一人一人の夢の実現に協力したい。
もちろんこの仕事で社会に貢献しながらね。
『しらけ世代』と呼ばれてきたけれど、しらけた事は一度もない。
そう呼んできた奴らが上から目線で親たちにレッテル貼っただけ。
奴らに輝きがあったとしてもそれは青い時代の一瞬だけだ。
下からの突き上げにだって怯む事はないね。
自分のザマを見てみな。所々腐ってるよな。
臭いぞ!お前!!!
うっかりしてると俺もそうなるな、、、。
そうならないためには?
そりゃ書道やるっきゃないでしょ〰️(笑)
お後がよろしいようで〰️
書道に於いて競うべき相手は、本来自分自身ではありますが、書友と競い合う事でお手本を深く掘り下げる事ができたり、書技を伸ばす事ができるものでもあります。
お手本を真似て書く事を臨書と言います。
臨書には『形臨』『意臨』『背臨』の三段階があります。
形を真似るだけの形臨から深化すると意臨、背臨と進んでいきます。
臨書の最終目的は創作にあります。
創作できるようになるために臨書を積み重ねていくのです。
臨書は決して裏切りませんし、多くの人にとって身体的な苦痛を伴う事はないでしょう。
書道は筆が持てれば楽しめるのです。
臨書は苦行ではありません。
苦行は創作です。
創作で苦しまないために臨書を重ねているのです。
見てかけない者が、見ないで書ける道理がありません。
目に見えるモノしか書けない者が、目に見えないモノを書けるはずはないのです。
臨書は心を豊かにしながら鍛えてくれます。
場合によっては知識も与えてくれます。
高橋先生が残してくださったお手本の意味としての源は、孔子の教え六割、老荘思想三割ぐらいだと思います。
そこから学ぶべきことは、現代人にとってもとても多いと考えます。
『誠意』と書いて心がスッとするのはそう言うことなのです。
『合格』と書いて勉学に打ち込める気持ちになるのはそう言うことなのです。
そこに単純明快な書道の力あるのです。
競書に励んで心と書技を上達させましょう!