
ひまわりさんより(10月18日)
私の職場では、市の委託を受けて、「元気向上プログラム」というのをやっています。今日は13回にわたって行われた講座の最終日でした。私は看護師として、1回だけ鬱予防についてお話ししました(9月20日の記事紹介)。今日、その修了式で挨拶をすることになり、「みなさん、今回の講座はいかがでしたか」と聞いてみたら、一番前にいた女性が、すぐに「笑顔の話が良かった」とにこにこしながら言ってくれました。「良かったから、畑に行って朝日にあたって大きな声で笑っている」ということで、友達にもすすめているそうです。それから、最後に皆さんの血圧測定をしている時、「ふくらはぎマッサージはいかがでしたか」と聞いたら、一人の男性が、「おお、やってるよ。こりゃいいよ。元気になるよ。肩もめだの腰もめだの言われるとできないけど、ふくらはぎなら一人できるから、毎日やってるよ」と言ってくれました。1か月ほど前に話したことを、ちゃんと聞いて実行して、いい結果を報告してくださる方がいて本当にうれしくなりました。
愛を得る方法(デビット・カン講演32)
その時になって倒れて、失敗して、罪を犯してしまうなら、もう望みはありません。印される経験というのは、もう、深くイエス・キリストに恋する経験です。私たちの品性に、神様の御かたちが刻み付けられる経験です。それは、時には痛みも伴います。いろいろな、余計なものを神様は取り除こうとされます。それは、切り刻まれる経験でもあります。私たちの経験、苦しみを通して、試練を通して、神様の御かたちが刻みつけられていくのです。
愛を祈り求める時に、神様はかえって敵を私たちに送られます。そうすることによって、神様は愛について教えてくださるんです。忍耐を下さいと祈り求める時に、神様は、いろんな悩ましい経験が起こることをお許しになります。印する働き、神の印というのは、過程、プロセスなのです。ですから、私たちは、今現在も、印されつつあるのです。