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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

サムエルの経験 第8回 デイビット・カン説教より

2016年10月11日 | 日記

み言葉によって甦る

 

人間が書いた言葉、文字自体は、死んだものですが、このページ一つひとつはただの紙ですね。白い紙に黒い文字が書かれています。他の世俗の小説とか歴史書と何ら変わるものではありません。違いないわけですね。同じ物質です。しかしそういった見方で見ますと、聖書から神様の言葉を聞き取る事が出来なくなります。神様の言葉を読んで聞く時に、ただもう眠りに落ちてしまう、その神様の言葉が子守唄のようにしか聞こえないわけです。

私たちは神様の言葉を、本当の意味で理解しなくてはいけません。サムエルのように神様の声を聞くようにならなければいけないのです。神様が皆さん一人ひとりの名前を呼ばれるその声を、毎日毎日、私たちは個人的に聞いていきたいものです。そして神様からの生きたみ言葉を、私たちは自分の心に取り入れなければいけないのです。そしてこの言葉を噛み砕いて、み言葉を語らなくてはいけません。これが預言であると神様は言っておられます。預言というのは単に未来のこと、将来のことを予告するだけではありません。そういった死んだ文字を生きたものに解説する、解釈することが預言なのですね。死んだ文字を生きたものにする、それが預言の業です。

み言葉によって皆さんは、死んだ状態から蘇らせてもらうという経験にあずからなくてはいけないのです。毎日毎日、私たちは生きて甦る、生まれ変わる経験をしなくてはいけないのです。神様のみ言葉の力によって目覚めさせられる経験にあずからなくてはいけません。そうする時に私たちは、み言葉を語り始めるわけです。

 

赤ン坊が死んだら、その子はもう泣くことはありませんね。赤ん坊が生きていると、生きている赤ん坊は泣きます。しゃべります。ものを言うし泣くわけです。私にも孫がおりまして、2歳です。本当に私にとって可愛い孫です。私は二人の子供がいますが、自分の子どもがまだ小さかったころ、そのころはまだ子育てということをきちんと理解していませんでした。子供が駄々をこねて「ワー」と騒ぐ時に、どのように扱ったらよいのか本当に分からなかったのです。経験もあまりなくて、子供を愛してはいましたけれども、どのように扱って良いか分かりませんでした。また同時に、生活のために仕事に忙しかったのです。そういった理由で、子供にあまりかまってやることが出来ませんでした。仕事をしなければいけないので、子供を他人に預けることもありました。そういったことをもう今は、とても後悔しています。

今現在孫が与えられまして、孫というのは本当に全く違った存在、経験です。今はもう歳をとりまして、色んな経験がありますから、自分の孫を見ておりますと分かってくるのです。本当の意味で分かってくることがあります。この駄々をこねたり泣いたりしている時に、なぜそれをしているのかが分かるわけです。もっと心が大きくなっているわけですね。お孫さんがいらっしゃる方、私の言っている意味がお分かりになるでしょうか。だからおじいちゃんおばあちゃんは孫を甘やかしてしまうと言われるかもしれませんが、私は祖父として、おじいちゃんとして分かることがあります。孫が泣く時に、何で泣いているのかが分かります。荒れて騒ぐ時になぜこうやって駄々をこねているのか、分かるのです。ですから叱りつけることが出来ないのですね。あまり孫には厳しくすることはできません。よく理解できるからです。彼がやることなすこと全てよく分かるので、いつも慰めてあげるようにします。「孫よ、孫よ、お前のことよくわかるよ、何で泣いているか分かるよ、何が欲しいか分かるよ」。そこで抱き上げまして、彼の願いをかなえてあげるわけですね。そしたらすぐに喜んでくれます。

私の妻もその孫をとても可愛がります。その孫のためには、自分の持っているものを全部あげようとします。その結果、孫はお父さんお母さんよりも、おじいちゃんおばあちゃんの方が好きになってしまっているのです。なぜなら私たちは年を重ねた結果、親たちよりももっと包容力が出来たからであります。この孫が朝起きますと、まずおばあちゃんの所に走って行きます。困った時には、おばあちゃんの所に走って行きます。彼には分かるわけです。最近お話しも始めました。時には訳の分からない異言のようなことを話します。それから時には、私の言うことをそのまま真似します。私の言葉をそのまま繰り返します。もうお話しがしたくてしようがないのです。


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