SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

新生への道 9 人生と活動 ②

2013年10月26日 | 日記

    

   新生への道 9 人生と活動 ②

 キリストの愛が心のうちに宿るとき、それはちょうど、かぐわしい香りのように隠すことはできません。その清い感化は、その人に接するすべての人に感じられます。心のうちにキリストの精神が宿っていれば、それは砂漠の泉のように流れ出てすべてをうるおし、今にも死にそうな人にいのちの水を飲ませます。

 イエスを愛するならば、人類の祝福と向上のために、イエスが働かれたように働きたいと望むようになります。そして、天の父の保護のもとにあるすべての造られたものをやさしく愛し、同情するようになります。

 救い主の地上における生涯は、安楽な自己中心の生活ではありませんでした。彼は、根気強く、熱心に失われた人類の救いのために労されました。かいばおけからカルバリーに至るまで、彼は自己否定の道をたどられ、困難な働き、苦痛の多い旅、次々と押し寄せる人々の頼みごとなど、どのような苦労も避けようとはされませんでした。彼は「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マタイ20:28)と言われました。これがキリストの生涯の一つの重要な目的でした。そのほかのことは第二義的なもの、付随的なものでした。神のみ心を行い、神のみわざを成し遂げることは救い主の食物でした。彼の働きのうちには、私心とか私欲とは全く見られませんでした。

     主に会う備えをせよ ⑮  

しかし、すでに聖霊によるバプテスマを受け、神の子として新しく生まれた者は、次のことを知らなければなりません。

 「キリストは自分が罪人であることを知っているものでなければ救うことはできません。自分が全く無力であることを知り、自己信頼の念を放棄するときに初めて神の力にすがれるのです。

 この自己放棄は、クリスチャンの生涯の最初だけにするものではなく、天国に向かって一歩一歩進むたびに、新しくすべきことがらです」(『リバイバルと救い』牧羊1973年第13巻3号より)。

 私たちが実を結ぶためには、一度だけキリストと結びつけばよいのではなく、継続的にそうする必要があります。というのは、聖霊のバプテスマは、大きな経験ですが、それは新しく誕生したということであって、そこから成長することが求められているからです。そのことをキリストは美しいたとえであらわして下さいました。

 「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない」(ヨハネによる福音書15章4節)。

   SOSTVの動画メッセージや書籍の紹介を右記でご覧になれます。  www.sostv.jp


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。