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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

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2012年03月17日 | 日記




ひまわりさんより(3月17日)

今日の安息日は、銚子の聖書研究会へ出かけ、一緒に礼拝を捧げました。
今日の礼拝メッセージでは、ローマ人への手紙7章24節の聖句で、使徒パウロが、自分のどうしようもない罪の現実に絶望し、
「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、私を救ってくれるだろうか」と叫んだとき、
次の瞬間、あふれるばかりのキリストの愛に目が開かれ、「わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな」と
喜びの声をあげたことが教えられました。
私たちは、自分で何かをやろうとすると、できない自分に失望したり、できる自分を誇ったりしてしまうものです。
しかし、私たちが、自分の罪に気づかされ、自分の力では神様に従うことはできないと本当に分かって、自分に絶望し、
「だめだ!」と、ペッチャンコになったなら、もうあとは、イエス様を信じ、
イエス様のみ言葉の力をを信頼して生きる以外にはないのです。
そうすると、もう、感謝以外にはない人生が始まります。

 ヨブと信仰のテスト

私たちはなぜ神様に仕えるのですか。
ある時イエス様は、ペテロに向かって言われました。
「ペテロよ。サタンがあなたの名を呼んでいる。あなたの名を呼んでテストします」。
サタンは、私たちの名前も天で用います。しかし神様が、まだあの人については終わってないよ、と言われます。
待っていなさい、待っていなさい、と神様は言われます。
今現在に至るまで、神様はずっと私たちのために、時間を稼いでおられるのです。
しかし、遅かれ早かれ、私たちの名前が、天において取り上げられる時が来ます。
それが調査審判なんですね。その時、私たちの心の真の動機が吟味されます。
「なぜ、私たちが神に仕えているのか」。
サタンがヨブを訴えたときに、神様は何をされましたか。
神様は他に選択肢がなかったんですね。
神様は、ご自分が正しいということを証明するために、サタンがヨブを試練に陥れることを許されたのです。
そういったわけで、ヨブは激しい試練にあうことになりました。
ヨブの子供たちがお祝いしているときに、屋根が崩れて子供たち全員が死んでしまいましたね。
皆さんの家族でそのようなことが起こったら、どのように感じられますか。
その時にもなお、神様をほめたたえ、神様に栄光を帰することができますか。
それとも皆さんだったら、不平不満を神様に向かってぶつけるでしょうか。
ヨブはその時、口を閉ざして不平不満を口にすることはありませんでした。




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