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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦されることのない罪とは 第9回

2015年04月06日 | 日記

  赦されることのない罪とは 第9回

    ≪良心の呵責と聖霊≫

罪を犯した時、良心が責められてこう言いますね。「ああ、神様申し訳ありませんでした。お赦し下さい」と。心から悔い改めるなら神様は赦して下さいます。そうするときに、平安が与えられます。私たちは、十字架のもとに行くときに、赦しが与えられます。私の代わりに、私の罪の代わりに義となって下さった方によって、私たちも義とされるのです。皆さんの中で今、罪に対して良心の呵責(かしゃく)を感じている方がおられるなら、救い主イエス様のもとに来て下さい。十字架のもとに行って下さい。屈伏して下さい。悔い改めて下さい。罪を捨てて下さい。

しかし、良心の呵責、罪の意識が次第に薄くなっていく人があります。それは聖霊の働きを殺してしまうからです。罪を犯し続けていくと、逆に心が楽になってきて、大丈夫だ、これ罪じゃない、これ聖霊の働きじゃないと、自分でそういう風に勝手に判断してしまうようになります。それは自己欺瞞というんです。どれほど多くの人がこの自己欺瞞に陥っているか。自分を欺いて、良心の声を消して、神様の教えに反していながら、これぐらいのことは問題ない、自分は大丈夫だ、平安だと、そういうふうに考えてしまっています。

また、神様に従っていくことや、十戒を守ること、道徳的に一生懸命やることはいいことだけど、行いと救いは何の関係もないのだからと、罪を犯しても仕方がないんだと思って、良心の声を殺してしまう人も、たいへん危険です。それは間違った福音なのです。結局、心に聞こえてくる聖霊の声を殺してしまうんですね。

多くの人々が、「イエス様を信じて救われました、ありがたい」と、賛美歌を歌ったり、感謝をしたりしながら、一方では罪を犯し続ける生活をしています。み言葉に従わないで、十戒そむいて、どうしてそのような人生に平安や喜びや讃美があるんでしょうか、ところがそういう人々がたくさんいるのです。間違った福音が、人の心に働く聖霊の印象を消してしまっているのです。ですから私たちは、本物の福音に、罪に勝利する力ある福音を知り、それに生きることが大切なんですね。

 


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