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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

なぜあなたは主に従うか 5 デビット・カン講演

2012年03月08日 | 日記


    
   ひまわりさんより(3月8日)
今日あるお年寄りから、自宅でとれた蕗のとうをいただきました。
さっそく、夕食のてんぷらにして出しました。
夫は、「春の味だ」と言ってたくさん食べてくれました。
これを下さった方は、自分は人にあげるのが好きだと言われ、
もらった人が喜んでくれるのが何よりで、自分は食べなくても、
人が食べてくれるのがうれしい、と言っておられました。
こんな素敵なおばあちゃんもおられることを知って、私も
うれしくなりました。

     北の王の移り変り
北の王についてはどうでしょうか。はじめ、北の王はシリアでありました。
後にローマ帝国に取って代わり、その後に、ローマ法王教に変わっていたわけです。
ダニエル書11章40節に書かれているのは、1798年に、南の王で表されているフランス政府が、
北の王、当時のローマ法王ピウス6世に向かって刃を向けるけるわけです。
後に、法王教によって表される北の王が、報復して南の王に攻撃を仕掛けます。
その頃には、南の王は、1国ではなくて多くの国々に取って代わられていました。
なぜならこのフランス政府が掲げていた、無神論は、後々多くの社会主義国、共産主義国に移って行ったからです。
1917年にボルシェビキ革命というのがロシアで起こりました。
そして多くの国々を巻き込んで無神論を掲げる共産主義の連邦(ソビエト・ユニオン)が出来上がっていったたわけです。
北の王が南の王を攻撃したときに、多くの国々に出て行ったと書かれているんですね。
このソビエト・ユニオンを主体として、多くの国々がこれに関わっていったわけです。
例えば、当時の東ヨーロッパ諸国、ポーランドとかルーマニアとかチェコスロバキアとか、
そういった国々が含まれていたわけです。
当時のソビエト連邦、ロシアが、当時の東ヨーロッパの国々を支配していったわけです。
ウクライナも含まれていました。北の王が軍隊を用いて攻撃を仕掛けたということがわかります。
そして、これらの多くの国々に「つむじ風のように入っていった」と書かれているのですが、
1989年に、東ヨーロッパ諸国で共産主義が崩壊したときに、『タイム』という雑誌が、その記事の中で、
「ローマ法王教が、アメリカ合衆国と協力してつむじ風のようにこれらの国々に攻め行った」、
という表現を用いました。興味深いことです。



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