SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 62 

2014年01月02日 | 日記

   

   福音の力を体験せよ 62 

皆さん、これは私たちがイエス様の前に出て行くにあたって、非常に重要な階段の一つです。このとき、私たちがやるべき分は、主がそれをなしてくださると信じることです。イエス様が今日、皆さんをすべての罪から洗い清められることを信じないならば、主は今日、その働きをすることがおできになりません。イエス様は、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」と言われました(マタイ9:29)。モーセの時代、荒野で火のヘビがイスラエルの民を噛んだとき、青銅のヘビが竿の上に掛けられました。イエス様は言われました。「ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」と(ヨハネ3:14)。

ヘビの毒に侵された人はだれでも、イエス様を象徴するその掛けられたヘビを見さえすれば、直ちにいやされると言われました。では、すべての人がそのように信じて、青銅のヘビを見ましたか?いいえ、大勢の人が死んで行きました。彼らができることのすべては、ただ見て信じることだけでしたが、そうすることを拒んで、死んでいったのでした。

  新生への道 13 主にある喜び ⑰

キリストは、野の花が天の父から与えられた美を競うように、あたり一面に咲いているのを指さして、これは、神の人に対する愛の表現であると弟子たちに言われ、また「野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい」(マタイ6:28)と語られました。ソロモンの栄華でさえ、自然の花のこうした単純素朴な美しさにはとうてい及ばなかったのです。芸術的技巧をこらして生み出されたどんな華麗な衣装も、神の造られた花の自然な優美さや輝きとは比べものになりませんでした。イエスは、「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか、ああ、信仰の薄い者たちよ」(マタイ6:30)と言われます。もし天の芸術家である神が、一日で枯れてしまう草花にさえ、このように繊細でいろいろな色彩を与えられたのだとするなら、神ご自身にかたどって造られた者には、どれほど心をとめておられることでしょう。キリストの教えは、あれこれ思いわずらったり、疑ったり、悩んだりする信仰のない者への譴責です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。