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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

罪から逃れる道 ソン・ケムン 第23回

2017年12月30日 | 日記

世の人と私が同じ罪を犯しているのなら、彼らより罪悪感をもっと強く感じることを除いて、違いは何ですか? それで、十字架は罪の呵責を感じる私の良心を慰めてくれる赦しの道具以外に、何の役割がありますか?

 これは福音ではありません。 それは人類を罪の鎖で縛ろうとするサタンの欺きです。十字架によって勝利する力を与えてくださる、キリストの愛と聖霊のパワーを悟った後では、もはや罪の支配下にいる必要はない、という事実を知るようになりました。

 堕落した本性を持っているので、罪は仕方なく担っていかなければならないと思っていました。しかし、「わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである」(ローマ6:6)とあります。私たちがキリストと共に十字架につけられたら、罪を征服するようになるということです。

多くの人たちが、罪を赦してくださるキリストだけを愛しています。なぜ私たちを清めてくださる、キリストの力を信頼できないのでしょうか! 実際キリストは、私たちの犯した罪のためだけではなく、私たちを罪に誘う潜在的な性向からも救うために来られました(1ヨハネ1:7、9; ローマ7:23~25)。聖句の通りに「すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」(1ヨハネ1:9)方なのです。


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