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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 99

2013年08月29日 | 日記

 


   99

ガラテヤ人への手紙5章の19節から21節に、私たちが二度と繰り返すことなく、永久に休止しなければならない、肉の働きが記されている。「すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない」。「キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである」(24節)。贖罪の日に徹底的な罪の清めにあずからなかった人たちは、宿営の外で石打ちの刑に処せられた。最終的に、悪魔が人類の罪の責任を負わされる。ただし、自らを徹底的に罪から清めなかった人たち、すなわち今後も決して罪から離れることのない人たちは、サタンや悪天使の軍勢と共に、自ら大切にしてきた罪もろとも滅ぼされるであろう。

「天で調査審判が行われ、悔い改めた罪人の罪が聖所から除かれているその間に、地上の神の民の間では、清めの特別な働き、すなわち罪の除去が行われなければならない。・・・この働きが成し遂げられると、キリストの弟子たちは、主の再臨を迎える準備ができるのである」(各時代の大争闘下巻141ページ)。


     新生への道 : 悔い改め ⑤

キリストはすべての正しい動機の根源であって、彼だけが人の心のうちに罪を憎む心を植えつけることがおできになります。ですから、真理や純潔を慕い求めること、自分の罪深さを認めることなどは、キリストの霊が私たちの心に働いておられる証拠です。

 イエスは、「わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」(ヨハネ12:32)と言われました。キリストは世の罪のために死なれた救い主として、罪人の前に示されなければなりません。カルバリーの十字架にかけられた神の小羊をながめるときにはじめて、説明することのできない救いの計画の神秘が私たちの心にも理解され、神の深い恵みが私たちを悔い改めへと導くのです。キリストは罪人のために死なれ、はかり知れない大きな愛をあらわしてくださいました。罪人がこの愛を知るとき、深い感銘を受けて心はやわらげられ、悔い改めへと導かれるのです。

 もちろん、人は自分がキリストに導かれていることを意識する前に、罪深い行為を恥ずかしいと思い、悪い習慣をやめることがあります。けれども、人が正しいことをしたいと切望して改めようと努力するときはいつでも、キリストの力が働いて彼らを引きつけているのです。自分たちが意識していなくても、その力が心のうちに働いて良心を呼びさまし、行為が改められるのです。やがてキリストに導かれて十字架を見せられ、自分たちの罪が彼を刺し通したことを知るとき、おきての精神が良心にはっきり焼きつけられ、悪に満ちた生活や、心の底深くに根ざした罪が示されます。彼らはキリストの義が何であるかを幾らかでも理解するようになり、「ああ、なんと罪は恐ろしいものだろう。罪のとりこになった者を救うためには、このような大きな犠牲が払われなければならなかったのか。私たちが滅びないで、永遠の生命を受けるためにはこのような大きな愛、恐ろしい苦しみ、また、はずかしめが必要だったのか」と叫ばずにはおられなくなります。



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