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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

あなたを変えるグッドニュース 1

2012年01月21日 | 日記

        福音は再創造の力

        キリスト教の神髄をあなたに



    私は、曾祖母の代からのキリスト教の家庭に生まれ、6000年の歴史のある聖書の教を聞いて育ちました。小、中、高、看護学校とキリスト教
  
   の学校で学び牧師と結婚、3人の子供が生まれました。けれども、私の心の中にあるものは、「私は正しい、あなたはまちがっている」という

   思いでした。それで、子供たちは、「お母さんの言っている事は正しいけど、心がついていかない」と悲痛な叫びを上げ、その結果、家庭内暴

   力、自殺未遂、家出、ホームレス、警察沙汰となりました。夫は、私に責められ、牧師をやめ、再就職した会社は倒産、工事現場での警備員を
  
   やり、そして別居。家計は、教育ローン、住宅ローンで借金地獄、家中の小銭をかき集め、100円の石鹸も買えないほどに。マンションは、人手
  
   に渡り、家族離散。自律神経失調症を患い、うつ状態になり、死以外解決の道がない、というところまで追い詰められた時、私の身代わりとなって

   死んで下さった方(キリスト)がおられることに気づかされました。その時以来、少しずつ私も、家族も変わっていき、今は本当に平安な生活を
  
   送らせていただいています。

    このキリスト教の神髄を、デビット・カン先生が、わかりやすく、深く心に迫って語って下さっています。



    
   デビット・カン先生の証

 私は世界のあちらこちら旅行します。神様の恵みによって、これまでに、30から35カ国を回りました。どの国に行っても神様の「現代の真理」を

信じる忠実な民に出会います。もちろんその人たちはSDAです。また、他教派の人の中でも信仰深い人に出会います。今日は、その神の民の出会いか

ら証をしたいと思います。どういうわけか、神の民は同じような笑顔をしておられます。神の栄光、神のご品性は同じです。空港で迎えに来られた先生

に会いましたが、彼を見た瞬間、この人は私の兄弟だとすぐにわかりました。同じように真理を理解している方だと思いました。今まで会ったこともな

い人に、このような感じを持つことができるのです。皆さんが回心した時に皆さんの見かけが変わるのです。考え方も変わります。皆さんの表情、雰囲

気も変わります。皆、それぞれ見かけは違うにもかかわらず、そして、育ってきた環境、文化、さまざまな背景も違うのに、神の民は一つになることが

できます。そして、皆似ています。同じ品性を反映しているからです。それが、イエス・キリストの品性なのですね。

 今晩のお話は、私の個人的な証です。私自身のことを話すとき、私がどんな人間か、知っていただけると思います。私がどこから来た人間か、神様の

恵みによってどのように変えられたか、知っていただけると思います。

  始めに、1コリント15章10節を開いてください。世界中のクリスチャンに、よく知られている有名な聖句です。とても単純な聖句です。それで

も心に深く食い込んでくる御言葉なのです。これは、使徒パウロの証です。そして、これは、多くのクリスチャンにとって証となっています。私にとっ

てもそうです。「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである」神の恵みであると書いてありますね。この聖句を読むたびに、私

は、この聖句と同様の思いにかられます。私ではなくて、「イエス・キリスト」の恵みによるのですね。その恵みによって、私はここに立って、皆さん

にお話をしているのです。1年ほど前に、私の母は亡くなりました。彼女は特別なクリスチャンでした。とても敬虔な、私にとって、すばらしい母でし

た。私には4人の姉妹がありまして、私は一人息子なのです。ふつう東洋では、一人息子は特別扱いされるわけです。日本でもそうですか?最近ではそ

ういうことはなくなってきましたね。しかし、私が育ってきたころは、そういう風潮が強かったのです。私はわがままな子供でした。よく、母に苦労を

かけたことを覚えています。しかし、神様の恵みが母を通して働いたのです。私は母に一度もどなられたことがありません。声を荒げて私を叱ったこと

は、一度もありませんでした。そのような母でした。敬虔なクリスチャンでした。母は韓国長老派の熱心なクリスチャンで、執事も務めておりました。

 ところが私が赤ん坊だったころ、セブンスデー・アドベンチストに改宗したんですね。どうしてかと言うと、ある日、文書伝道者が私の家に来て、『各

時代の大争闘』と言う本を売ってくれたんです。この本を読んだ私の母は、著者であるエレン・G・ホワイトがとても好きになったのです。以来、証の

書を読みあさりました。そして、韓国語に訳されているすべての証の書を読んだのです。彼女が特に大好きな本は、『教育』と『アドベンチスト・ホー

ム』で、この本を、全部暗記するぐらい読みました。そしてこの勧告を、私を教育することに用いたのです。私が何か悪いことをした時、母は決して私

をどなりつけるようなことはありませんでした。たたきもしませんでした。私の両手を握って、私を見つめて何も言いませんでした。ただ、私を見つめ

、同情にあふれた目をしていました。私も母の眼を見つめるのですが、見ているうちに、母の目がうるんでくるのです。今にも泣きだしそうな顔でした。

これは私にとっては最悪の罰でした。時には、私のために祈ってくれました。私は大きくなって、世的なことに興味を持ちました。しかし、教会を去る

ことはできなかったのです。どうしてかと言うと、そのたびに母の顔が思い浮かび、私を思いとどまらせました。彼女が亡くなる直前に、私に語った言

葉は、「息子よ、イエス・キリストに忠実であり続けなさい」というものでした。私がこうして立って、説教壇から説教するとき、母は一番前の席に座

って私の話を聞いているのですが、彼女の手はこのように握られていました。「アーメン、アーメン」と言ってくれました。そして、説教が終わった後、

私の所に来て、私の手を彼女の頬に置いて、「先生ありがとう」と言ってくれました。母が私をどのように扱ってくれたかを、私は皆さんに申し上げた

いのです。彼女の、私の人生に対する影響は、はかりしれないものがあります。

 亡くなる前の数年間、彼女は思い病気を患いました。イエス様がおいでになるとき、私の母はきっと墓から甦ることでしょう。そして、私にこのよう

な質問をするはずです。「息子よ、今日は何の日だろうか」。私がどのように答えると思われますか。「お母さん、今日は永遠の安息日ですよ。もう決

して離れ離れになることはありません。決して年をとることもありません。死ぬこともありません。永遠に一緒にいることができます」すべてこれは、

イエス・キリストの恵みによるわけです。神様はこのような素晴らしい家族を私に与えて下さったのです。

 私が若かった頃、私の父はある程度裕福な人でした。しかし、私の母がSDAになった時、私の祖父は、ものすごく怒り、私の一家を勘当してしまっ

たのです。もう、私たちの家族と縁を切って、援助しないということになりました。私の祖父は、かつて、韓国政府の大事な役職についていて、父はそ

の下で働いていました。私の母がSDSAになった後、父は職を失いました。以前は、1月1日になると、私は孫の列に並んで、順番がくると、祖父に

向かってお辞儀をしました。時には、そのお辞儀をする列の中に、議員さんもいました。祖父はそれくらい権力のある人でした。私の家族がSDAに改

宗した後、苦しみが始まりました。韓国はその頃、経済的に貧しかったので、父はいろいろな仕事をしましたが、3度連続して失敗してしまいました。

最後には、住む家も失ってしまいました。 (以下次回に続く)


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