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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 93

2013年08月23日 | 日記

 

デビット・カン著 『福音の道しるべ』より

   93

 贖罪の日の開始に当たり、神は、祭司たちから清めを始めることを求め、そのことを明確に述べられた。贖罪の日の清めの働きを宣布し、その重要性を説く者たちが、まずその清めを経験しなければならなかった。さもないと、彼らはどうやって、その儀式を啓蒙することができただろうか?このように、教会の清めも、指導者たちから始められなければならない。1888年に、エレン・ホワイトは、ジョーンズとワゴナーのメッセージに感銘を受けた。これは、後の雨の経験を開始させた、天からのメッセージであった。残念ながら、教会の指導者たちはそれを拒み、後の雨はやんでしまった。教会におけるリバイバルと改革は、常に指導者らの態度にかかっている。贖罪の日の儀式も、例外ではなかった。イスラエルの人々のために贖いをなすことができるようになる前に、大祭司は、自分自身と家族の罪の赦しと清めを完成させるため、雄の子牛をささげなければならなかった。このいけにえの血は、贖罪所の上と前に七度ずつふりかけられた。イエスが聖所から至聖所へと移られ、清めの働き、すなわち実体としての贖罪の日の働きを始められてから、百六十年以上もの年月が過ぎてしまった。「慰め〔活気づけ〕の時」を来たらせるために、今こそ教会指導者たちは、自らの魂の宮清めをすべきである。

  

    新生への道 :キリストの必要 ④

キリストがナタナエルと語られたとき、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人のこの上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」(ヨハネ1:51)と言われたのは、これと同じことを指していたのです。人間は神に背いて自ら神から遠ざかり、ついに地は天より切り離されてしまいました。この誰も渡ることのできない深い渕を再びつないで、地と天とを結び付けてくださったのはキリストです。キリストはご自身の功績によって罪の深い渕に橋を架け、奉仕の天使が人との交わりを続けることができるようにしてくださいました。キリストは、罪に沈んだ弱い無力な人間を、限りない力の源につないでくださるのです。

 人間がどれほど進歩を夢み、人類向上のためにどれだけ努力したとしても、堕落した人類にとってただ一つの希望と助けの源に頼らなければ、何の役にもたちません。「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は」(ヤコブ1:17)神より与えられます。神を離れては、ほんとうに高潔な品性を持つことはできません。そして、神へのただ一つの道はキリストです。キリストは、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14:6)と語られました。

 神は、死よりも強い愛をもって、地上の子らに思いをかけておられます。神がひとり子をお与えになったということは、全天を注ぎだして、一つの賜物としてお与えになったということなのです。救い主の生涯、死、その執り成し、天使の奉仕、聖霊の懇願、これらいっさいのものを通して働いておられる父なる神と、天の住民たちの絶え間ない関心などが、すべて人の救いのために力を添えているのです。

 わたしたちのために払われた、驚くばかりの犠牲を静かに瞑想してみましょう。失われた者を呼び返し、父なる神の家に連れ戻すために、天はあらゆる努力を惜しまないことを感謝しましょう。これにまさる動機や力ある方法は、ほかではどこにも見いだすことはできません。正しい行為に対する大いなる報酬、天上の喜び、天使との交わり、神のみ子との愛の交わり、また永遠にわたって私たちの能力が伸ばされ、高められていくことなどは、私たちの創造主、救い主に心から愛の奉仕をさせずにはおかない動機であり、励ましではないでしょうか。

 ところが一方、罪に対する神の審判、必然的な報い、品性の堕落、そして最後の滅亡などがみ言葉に記されているのは、私たちに悪魔の働きを警告するためです


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