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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備えて デビット・カン講演5

2012年07月30日 | 日記



     ひまわりさんより(7月30日)

新しい家には、生ごみを堆肥に変える大きな容器が2個置いてありました。
これを使わないのはもったいないと、まず1個を使ってみることにしました。
我が家は菜食なので野菜の皮や芯、野菜ジュースのカスなどが結構たくさん出ます。
今日1日で、バケツ1杯分ありました。今まではこれをごみとして出していたのかと思うと、
なんともったいないことをしていたのかと思いました。
特に今日は、父が朝5時半に、自分で作ったトウモロコシを届けてくれたので、
その皮や芯がかなりたくさん出ました。トウモロコシの芯は固くて大きいので、
堆肥になるには時間がかかりそうでした。小さくした方がいいと思いましたが、
包丁で切るには固いので、何かいい方法はないかと考えたら、ミキサーで細かくする方法を見つけました。
数秒回すと細かくなっていい感じです。この調子で、資源の有効活用につなげたいと思いました。
そして、これをやっていたら、今まで捨てていたものにも感謝の気持ちが起きてきました。

 心を尽くして神様を愛する(デビット・カン講演5)

私たちが神様の戒めに従うとき、私たちがすべての知っている罪に勝利するならば、
神様はその人を完全と見なされます。そして、私たちが神様の戒めに従うという時、
私たちがそのすべてに従おうが、全然従わなかろうが、その戒めというのは一つです。
それは何ですか。神を愛し、隣人を愛するということです。まず神様を愛さなくてはいけません。
そうする時に、神様は隣人に対する愛を私たちに供給してくださいます。私たちのうちには、
そのような愛はありません。私たちは受けなくてはいけないのです。
『祝福の山』という本を読まれたならば、義と愛について、ホワイト夫人は次のように言っておられます。
「義は愛である」と・・・。それを読んだとき、私は理解しました。はっきりとわかりました。
私たちが神の愛について理解するとき、神様の愛に深く感銘を受けた時、神様との恋に落ちた時、
神様の愛が私たちのうちに流れてきます。私たちが心を尽くして神様を愛すること、これが私たちの義であります。
その時から私たちは、今までと違った感じを持ち、違った考えを持つようになります。
私たちは新しい心を受けるのです。




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