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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

助け主聖霊 第7回

2016年09月06日 | 日記

5.生まれながらの怒りの子

 

パウロは、エペソ2章3節で、同じ主張をしています。エペソ人は、一般の人たちと特に違っていた人々ではありませんでした。しかし、パウロは彼らを「生まれながらの怒りの子」と表現することでローマ7章で彼が言及した、罪に力なく倒れる人間の状態を再度提示しています。ダビデは詩篇51篇5節で「見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。」と言い、ヨブは「だれが汚れたもののうちから清いものを出すことができようか、ひとりもない」(ヨブ14:4 )と述べました。

 私たちは、欲望、感情、動機、興味、傾向、嗜好など、人間の個性と性格を形成するものを心の中に持っています。そしてこの記事を通して私達は、なぜ赤ちゃんも罪深い傾向を示すかについて知ることができます。結局、人は、心に自己中心的自我を持っているので、本質的に、自然に神様を拒絶するようになるのです。人間は、自分自身のうちには神様に従おうとする意志を持っていません。人間は、自分が望むことだけをしようとします。「なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである」(ローマ8:7)。「わたしは恨み(敵意:欽定訳)をおく、おまえと女とのあいだに」(創世記3:15)。

 罪に対抗して戦おうとするすべての心は、神様が植えつけて下さいます。神様は「わたしは恨み(敵意:欽定訳)をおく」と言われました。しかし、この敵対関係は、人間に先天的に備わっているものではありません。人類の始祖が神様の律法を犯したので、彼らの本性は歪みました。そのために、人類はサタンと調和し、彼の意志に基づいて考え動くようになってしまいました。罪人と罪の創始者であるサタンとの間には、本質的に敵意はありません。両方とも反逆に加担したからです。もし神様が特別に干渉されなかったなら、人類とサタンは同盟を結んで天に対抗したのです。人類はサタンと敵どころか、むしろ神様に反抗することに連合したのです。

 神様が人間に語られる通路は、良心です。良心は、私たちの心に置かれている器官であり、神様はこれを通して、私たちが気付かずに頑固な罪の道にはまり、取り返しがつかなくならないように働かれます。良心は歪められて麻痺することもありますが、神様は、この良心を通して、神様の民にも不信心な人にも語られます。

神様は愛をもって良心に訴えられることによって、人間が再び神様に立ち返ることが出来るように導いておられます。そして自己中心的な私たちの心に、イエス様が入って来られるように条件を整えて下さいます。私たちが自己中心的な生活にこだわるなら、真の幸福を持つことはできず、罪からの完全な勝利を勝ち取ることも出来ません。そればかりか、み国と永遠の命を受ける希望もないというのも事実です。ですから悪に傾きやすい傾向と自我は、必ず完全に屈服させられなければなりません。

 


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