新生への道 9 人生と活動 ⑥
もし、キリストがその弟子たちに望まれたように働き、主に魂を導こうとするならば、私たちは神についてのもっと深い経験と、さらに広い知識の必要を感じ、飢えかわくように、義を慕うようになります。こうして神に求めるならば、信仰は強められ、魂は救いの泉から思う存分飲むことができます。反対や試練にあえば、かえって聖書に親しみ祈るようになり、ますます恵みとキリストの知識に成長し、豊かな経験へと導かれるのです。
自分を忘れて他人のために働く精神は、その人の性格に深さと落ち着き、キリストのようなうるわしさを加え、平和と幸福をもたらします。彼の抱負は高められ、怠惰とか利己心の余地はなくなります。こうしてクリスチャンの美徳を実行する人は成長し、強くなり、神のために働きます。彼らは、霊的なことをはっきりと理解するようになり、動揺することなく、信仰に成長し、祈りにおいて力を増し加えます。神の霊が人の心に触れて働くと、それに答えて心は清らかな調べを奏でます。このように、他人の益のために我を忘れて働く者は、必ず自分の救いを全うするのです。
主に会う備えをせよ 最終回
「キリストのうちにあって高められるには、その前に岩なるキリストの上に落ちてくだかれねばならない。霊的王国の栄光を知りたければ、自我を心の王座から退け、高慢な心がへりくだらなければならない」(『各時代の希望』上巻45頁)
「懐疑と不信は謙遜ではない。キリストのみことばを絶対的に信じることこそ、真の謙遜であり、真に自己を放棄することである」(同中巻350頁)。
「キリストがそのために死なれた魂を愛することは、自我を十字架につけることを意味する」(『同』中巻187頁)。