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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 18

2013年11月18日 | 日記

   

  福音の力を体験せよ 18

“しばらくの間は、彼らの間になんの相違も見られなかった。キリストの再臨直前の教会もその通りである。”(COL410)

皆さん、私は皆さんの中で、誰が思慮の浅い人で、誰が思慮深い人かは分かりません。公共の場所、例えば教会で共に座っているときには、見分けることがほんとうに難しいと思います。しかし皆さん、自分では分かるのではないでしょうか。皆さん、この思慮の浅いおとめたちには、何がありませんでしたか?聖霊の内住の経験がなかったのです。彼女たちは、ニコデモのように、ただの善人でした。 

“すべての者が聖書の知識を持っている。すべての者がキリストの再臨の近づいたことを聞き、確信をもって彼の出現を待つのである。”(COL410) 

皆さん、ここで思慮の浅いおとめたちは何を期待していましたか? 彼女らはイエス様の再臨を期待していました。ところが彼女たちは、自分たちの準備ができていないことを知りませんでした。 

“「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした時、準備のできていない者が多い。彼らは、あかりと共に、器の中に油を持っていない。彼らは聖霊に欠けているのである。”(COL410)

   

  新生への道 11 祈りの特権 ⑥

もし、心に不正のあることを知り、罪と知りながらそれに執着しているならば、主はわたしたちの祈りに耳を傾けられません。けれども、心の砕けた悔い改めた者の祈りは、必ず聞いてくださるのです。心に覚えのある悪をすべて正したときに、神は私たちの願いを聞いてくださると信じることができます。もちろん、私たち自身のどんな行為も、神の恵みを受けるにはなんの価値もありません。私たちを救うのはイエスの功績であって、わたしたちを清めるのもイエスの血です。しかし受け入れられるには、私たちにもしなければならないことがあります。

 力ある祈りのもう一つの要素は信仰です。「神に来たる者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを必ず信じるはずだからである」(ヘブル11:6)。イエスも「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」(マルコ11:24)と弟子たちに語られました。私たちは、み言葉をこの通りに受け入れているでしょうか。


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