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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

十字架に対する大きな誤解  第10回

2014年08月28日 | 日記

  

  十字架に対する大きな誤解 第10回

十字架の血潮には力があります。罪を赦す力だけでなく、罪人をその罪から解放して、二度とその罪を繰り返さないようにする力があるのです。十字架には、罪人の心を変えて、神様の戒めと、み言葉に従って生きる者として造り上げる、超自然的な力があります。「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、私たちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか」(へブル9:14)。

ある人たちは、十字架で戒めは廃され、十字架を信じるなら、人は十戒を守る必要は無くなったと主張します。もし神様が、十字架で戒めを廃されたとするなら、イエス様の十字架は何だったのでしょうか。人間の裁判でも、もし誰かが身代わりになったとして、その人が刑罰を受けたら、法律は必要なくなるでしょうか。刑罰は、法律が正当なものであり、法律に従って生きなければ罰が待っていることが教えられ、法が高められるのです。

        

  再臨を待ち望んでんでおられますか 最終回

 神様のみ言葉は、必ず成し遂げられるのです。「わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった」(黙示録10:10)。しかし、苦くなったことで終わりませんでした。「その時、『あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない』と言う声がした」(黙示録10:11)。

 この予言は成就しました。再臨運動のわずかな人たちが、ガリラヤの漁師たちのように立ち上がりました。それから、170余年の時間が経ちました。そして私たちがここに座っています。黙示録の次の預言が、まだ残っています。「この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた」(黙示録18:1)。これは何のことですか?聖霊の後の雨のことです。誰がこの後の雨の聖霊を受けるのでしょうか?それは、弟子たちや、初期の再臨信徒たちのような燃える心で働く人々です。寝ても覚めても、立っても座っても、魂の救いのために嘆き祈る人々です。たとえ、自分の評判や、名誉、地位、すべてが失われても、異端者、狂信者と悪口を言われても、命を終えるまで、イエス様の再臨使命を宣べ伝え、人々を清めに導き、再臨に備えさせる働きをする人たちに下るのです。

今、皆さんが、その働きに参加して下さることを心から願います。

 

 

 


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