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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

サムエルの経験 《第4天使の使命》 3

2013年05月07日 | 日記

 

   もう罪を犯してはいけない 22 キリストはあなたの罪のゆえに死なれた

私たちは、2000年前のユダヤ人たちや、ローマの兵卒たちと一緒にカルバリーの十字架の場面に立ち会っていたのではないから、キリストを殺したりしていない、と考える人がいる。しかしそうではない。キリストが亡くなられたのは、十字架による肉体的な苦痛のためではなく、私たちの罪を負われて、そのために心臓が破裂したためなのだ。キリストはまさに、私の罪のゆえに死なれたのだ。彼の心臓が破裂したのは、私の、そして、あなたの罪のゆえなのだ。 

私の罪のために、キリストの心臓が破裂したことを知るなら、私は続けて罪を犯して、神様のみ子を再び十字架の苦痛に連れて行くことができるだろうか。 

愛する兄弟姉妹方、あなたはこれほどまでにあなたを愛された方に、心をすべて捧げたのだろうか。そして、すべての罪をかなぐり捨てて、その方の足もとにひざまずいて、「二度と主を十字架に釘付けにするようなことをしたくありません、勝利する力を与えてください」と祈ったのだろうか。そして、神様の御心に叶うように決心したのだろうか。 

もしそういう経験がないならば、今からでも遅くない、十字架のもとにひざまずこう。主はまだ、天の聖所であなたのために仲保(とりなし)の働きをしながら待っておられる。

 

サムエルの経験 3 世の制度を取り入れたイスラエル

神様はご自分の民を、真理の民として仕立てようとしておられました。神様の真理が、彼らの文化となるように計画しておられました。にもかかわらず、彼らはその神様の期待を大きく裏切ってしまったのです。その結果彼らは、王様を求めるようになりました。神様を王とするのではなくて、人間の王を立てたいと思ったわけですね。神政政治、神様の直接の統治を、彼らは望まなかったのです。王政国家、王様によって統治してもらう国家を彼らは求めました。つまり、世の中の制度を自分たちも取り入れたいと強く願ったわけです。世の中の成功、世の中の歓迎を受ける繁栄、そういったものに彼らは飢え渇いていました。そのような民と、神様はどうやって交わることが出来るでしょうか。預言者を通してでありました。モーセの言葉を通してでありました。しかし、イスラエルの人たちはそれを求めなかったのですね。それを、彼らはもてあましていたのですね。神様のメセージを。

自分たちの宗教経験にあって、もっと安易な、自由な立場を得たいと思ったのです。神様のみ言葉によってがんじがらめに、自分たちは不自由な思いをさせられていると感じていました。どうしてだと思いますか。なぜなら彼らは改心という経験にあずかっていなかったからでした。み言葉が自分たちの唯一の生きる道として、それを受け入れていなかったからです。


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