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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 82

2013年08月12日 | 日記

 

  82

神がダビデのことを、ご自身の御心にかなう者と呼ばれたのは、彼が純潔で、神の勧告に従って歩んでいた時のことであった。ダビデが神から離れ、犯罪によって自らの高潔な品性を汚したとき、彼はもはや、神の御心にかなう者ではなくなっていた。罪の内にある彼を、神はこれっぽっちも義と認められなかった。かえって預言者ナタンを遣わし、ダビデに恐るべき有罪宣告を下された。なぜならダビデは、主の戒めを犯してしまったからである(預言の霊一巻379ページ)。

ダビデは悔い改め、主に向かって叫んだ。 

神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。あなたの救いの喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください(詩篇511012)。 

 私たちはたとえ罪を犯しても、神の憐れみから隔離されるわけではない。神の義認から離れるのである。ゆえに、速やかに悔い改め、神に立ちかえるべきなのである。

 罪人が悔い改めた後に、神はご自分の恵みを与えてくださる。ところが、もし彼が別の罪を犯し、その罪を悔い改めて捨て去ることを拒むならば、再び永遠の滅びに身を置くことになる。神の恵みは、決して安っぽいものではない。たとえ罪の内に留まっていても、神は私たちを哀れに思い、私たちを退けたりはなさらないなどと考えて、自らを欺くことのないようにしよう。私たちが罪を悔い改めて捨て去るとき、神は赦して下さるが、同時に、すべての罪と誘惑に打ち勝つ力も与えて下さるのである。罪とその力から私たちを救い、聖なる生き方を継続する方法を教えるために、私たちを聖所へと導かれた神に感謝し、御名を讃えよう。


  原稿:世界を救う愛の預言   世界が新しくされる日

 現在の世界には、数多くの問題が山積みになっています。環境問題ひとつとってみても、そのどれもが地球自体の存在を危うくするような大きな問題です。しかもどこから、どう手を付ければよいかわからないほど複雑化しています。私たちはこうした問題に関心を持ち、その解決のために自分のできることをしていかなければなりません。しかし同時に、こうした問題の真の解決者であるイエス・キリストを忘れて、自分たちの知恵だけですべてが解決するかのように錯覚してはならないのです。聖書は、神ご自身が世界を全く新しくして下さると約束しています。

「しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。      このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる」(ペテロ第2の手紙3章10~13節)

これを書いたのは「愛と赦し」の項で紹介した、あのキリストを裏切ったペテロです。彼は自分の失敗にもくじけず、自分の主としてあがめるキリストが、天から再び下って来られる日を待ち望んでいました。キリストが来られるその日は、世界の大破局であり、人間が神様から離れて、自分たちの力で作り上げた世界がすべて滅びる日です。

 「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう」(マタイによる福音書1513節)

 しかし反対に、父がお植えになったもの、つまり、人が神様と共に、神さまの力によってなした愛のわざは消えることなく、永遠に続くのです。愛は世界が終るときにもなお、その輝きを失うことのない不滅のものなのです。

 「すべての人を救う神の恵みが現れた。そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神わたしたちの救い主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと教えている(テトスへの手紙21013)

《 キリストが再び来られる日を、喜んで待ち望む者となられますように 》    (この項最終回)






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