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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主は生きておられる 第5回

2014年12月07日 | 日記

  

  主は生きておられる 第5回

私たちは、自分の弱さを悟ったなら、救いの力を受けることが出来ます。私たちが救いの力を受ける道は、自分が本当に弱いということを悟り知ることです。なぜなら、神様は軟弱な者のために死んで下さったからです。このローマ書5章5~8節のみ言葉を、生きておられる神様のみ言葉と信じれば、私たちに命が宿ります。命がどのように私たちに及んでくるのでしょうか?聖書の言葉を、生きておられる神様のみ言葉と信じれば、命がやってくるのです。

  これが真の福音です 第20回

キリストの地上生涯の意味

幼いイエス・キリストが、歩いている絵があります。その周りで、友だちが何かからかっています。ここで二つ皆さんに質問します。①、幼いイエスは聖なる者だから、他の子供たちと違って、駄々をこねたり、いらだったり、面倒くさがったり、不従順を表したりなど、こういう試練にはあわれなかった。○×どちらですか。②、幼いイエスは聖なる者であるから、他の子供たちと同じように、駄々をこねたり、いらだったり、面倒がること、不従順でいたい誘惑がきたが、その時、神様にお祈りし、賛美をささげながら、その誘惑に打ち勝った。これは正しいでしょうか。

もしイエス・キリストが、全く試練にあわれたことがないというなら、これはロボットです。イエス様はロボットのように、自動的に神様に服従されたとするなら、私たちとは全く違う人になります。でも、イエス様は私たちと同じように生まれて、すべての誘惑を味わわれたのですが、そこから勝利を得てこられたのです。

たくさんの人々が、イエス様は神様だから、幼い子たちが経験するような試練にはあわれなかったと考えています。また、イエス様と自分とは、何か本質的な違いがある、そう思われているかもしれません。もちろん、幼いイエス様がテレビのアンパンマンを見たくて仕方がないとか、そういうことはないと思います。ネットゲームにはまって、ゲームがしたいと、そういうことはなかったと思います。


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