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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

神の火  第3回

2015年09月12日 | 日記

    自分を祭壇に捧げる

ある時、引退した牧師さん、年老いた牧師さんが、別の教会を訪問したことがありました。その教会の牧師は、この訪問して来られた引退牧師を、会衆に紹介したわけです。このように紹介しました。

「この先生は引退牧師であられ、私が今あるのは、この方のおかげです。私の命を救うためにこの方は、自分の息子さえも犠牲にして下さいました」と言ったのです。それを聞いた教会の人たちは、あまり意味が分からなかったのか、関心を払わなかったのですね。なにか大げさなことを言っているな、というぐらいでした。

礼拝が終わって、数人の若者が、この引退牧師の所に挨拶をしにやってきました。それからさらに数名の若者たちが続いてきて、この引退牧師に握手をして挨拶したわけです。「先生、どうしてうちの牧師は、あなたのことを命の恩人だと言ったのですか?うちの牧師の命を助けるために、先生は何をなさったのですか」と尋ねました。ちょっとニヤニヤして、疑ってかかっているような態度でした。この年老いた、本当にか弱いおじいさんである牧師は、しばらく黙っていて、それから語り始めました。

「ある日、父親が自分の息子と、その息子の友だちと三人で、海に釣りに出かけました。その時、海で嵐にあいました。小さな船で釣りに出かけたんですが、嵐にあって戻ることが出来なくて、結局そのボートは転覆して、三人とも海に投げ出されたわけです。風が激しく吹いていました。その父親は、救命胴衣を一人分しか持っていませんでした。自分以外に、その人は一人だけしか助けることが出来ない状況でした。そして見たら、自分の息子とその息子の友だちが、それぞれ溺れかかっていました。両方とも、『助けて!助けて!』と叫んでいました。二人を見たわけです。父親はどうしてよいか分かりませんでした。どちらを助けようか、その父親は少しの間、祈りました。祈ってから、自分の息子ではなく、その息子の友だちの方に、救命胴衣を投げました。息子はもう溺れて死にかかっていたんです。その時父親は、息子に向かってこのように叫んで話しかけました。『息子よ、私の話をよく聞きなさい!お前はクリスチャンだから、お前はキリストを個人的救い主として知っているから、お前は今日死んでも希望がある。でも、お前の友だちはイエス様を知らない。この友だちが、神様を受け入れることが出来るように、彼には機会を与えなくてはいけない。だから彼の命を助けることにする。息子よ、さようなら。復活の日にまた会おう』。息子は静かに海の中に沈んで行きました。そしてこの友人が代わりに助けられたのです」。

この物語を聞いた若者たちは、本当に信じられない様子でした。彼らはその年老いた引退牧師に、さらに質問しました。「その人たちが誰かご存知なのですか。どうしてその父親はそんなことが出来たのでしょう」。すると、この引退牧師が、「私がその父親です。あなたたちの牧師が、私の息子の友だちだったのです・・・」。

若者たちの目に涙が浮かびました。自分たちの牧師が、「この方は私の命の恩人です」と言ったことの意味が、その時よくわかったのです。

他の人に生きるチャンス、機会を与えるために私たちは死ぬ必要があるのです。他の人が救われるために、私たちは自分の命、人生、お金、タラント、全てを犠牲にしなければいけないんです。これこそが真の伝道です。私たちが自分の生涯を神様の祭壇に捧げる時、神様が私たちを用いてくださいます。

ですから私は、毎日このように祈ります。「どうか私の生涯を導いて下さり、他の人が生きられるように、天国に行けるようにしてください」。


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