福音の力を体験せよ 108
ブドウの木と枝の関係を再考察しましょう。イエス様はブドウの木です。根から上がってくる養分は聖霊です。私たちは小枝に過ぎません。私たちが神に屈服するならば、そのブドウの木につながることになります。その時、木につながった枝に養分が流れ込みます。流れくる養分を十分に受けた枝は、何を産み出しますか?
そう、実〔果実〕を産み出すのです。聖霊の実とは何でしょうか?愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制です。イエス様がその人の生命に宿られるなら、その人の生涯に聖霊の実がことごとく実ります。
“キリストは、ご自分のみ名を信じる信仰をとおして、彼の義を我々に着せられ、それが、われわれの生涯において生きた原則となるのである。”(TMK302)
真のキリスト者の歩むべき道 14
④ 清らかな人格を持ち聖霊と共に歩みなさい
私たちが聖霊と共に歩む者になるためには、私たちの人格を清く保っていなければなりません。聖霊は、尊く清いみ霊なる神様です。それゆえ、聖霊に来ていただくためには、私たちの思いが聖く純粋でなければなりません。聖霊は清らかな心の聖所を望まれます。
聖霊は、悪意、自己中心、偽り、愚かな行動、ずるがしこさ、好色などと共に住むことはおできになりません。もしあなたが、これらのことにふけるなら、聖霊は沈黙し、あなたはその方の恵み深く麗しい臨在を感じなくなるでしょう。その方は、あなたを助けられなくなり、やがては、悲しみながらあなたを去られ、あなたは別の霊の支配を受けることになるでしょう。それゆえに、聖霊と共に歩む、真のキリスト者の生き方を続けていただきたいと願います。
ところで、聖霊と共に歩むためには、条件があります。「ふたりの者がもし約束しなかったなら、一緒に歩くだろうか」(アモス書3:3)とあるように、聖霊と私たちの間に、同行のための合意が必要なのです。