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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

十戒は廃されたのか?デイビット・カン 第18回

2017年11月08日 | 日記

神様はある時にはモーセやアブラハム、あるいはダビデのように個人と契約を結び、時にはイスラエルの国家とも契約を結ばれました。そのあらゆる契約の中で最も重要な契約は、この世界が存在する前の古い時代からすでに立てられていました。それは、父なる神様と子なる神様との契約であり、罪の問題を究極的に解決するためのものでした。地球を創造する以前から、すでにキリストはご自分を「世のはじめから、ほふられた小羊」(黙示録13:8英訳)として差し出しておられました。そのお方は、もしアダムとエバが罪を犯したなら、人間を救うためのあがないのいけにえとなり、信じる者を救うという永遠の契約を神様との間で合意しておられたのです。

この契約の条件は、決して変えられたり、他のもので代替えされることはありませんでした。時代が移って行く中で、神様と人との間には数々の契約が立てられましたが、信仰を通して救われるというこの単純なメッセージは、すべての時代のあらゆる人々にとって、今も有効なものとして存在しています。

多くのクリスチャンたちが、契約ということについて誤解しています。次のような言葉は契約についての私たちの理解を助けてくれるでしょう。へブル人への手紙は「古い契約(最初の契約)」と、その古い契約に比べて重要な相違点を持つ「新しい契約」について語っています。聖書がどのようにこの二つの契約を描写しているのか注意して調べてみましょう。

 

「ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。ところが、神は彼らを責めて言われた、『主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ日が来る。それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、わたしも彼らをかえりみなかったからであると、主が言われる。わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。彼らは、それぞれ、その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、と言って教えることはなくなる。なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない』。神は、『新しい』と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。」(へブル8:6~13)。

 

この聖句は古い契約がどのようなものであるかを、私たちによく説明しています。古い契約は、もっとすばらしい約束を伴った、新しい契約が来たので捨てられました。今や私たちは、神様の律法が心と思いに書き記される新しい契約の時代に生きているのです。しかし、この新しい契約がどのようなものであるか知る前に、消えて行った古い契約について、もう少し知っておく必要があります。