天下太平のやせ我慢日記

近くの孫達
男の子は中二で受験戦争を控えその下は修学旅行で胸躍らせ、一番下は苦労しましたが3年生、ピアノを習い始めた

一気に冬へ、

2007年11月21日 | Weblog
先日の新聞で木子で初雪があり、ペンションのオーナーが撮影した冠雪したホームの写真が掲載されていた。勅使河原さんで、以前加谷だったか実業団の開催による集会があり、それに参加したことがあり、ミーティングなどで親しく懇談したことがあった。



大阪より木子にこられペンションの経営に乗り出さればかりのころであった。息子さんも確か近く来てともに経営すると言ってられた記憶があるが、、、、。



あのような田舎で果たしてうまくいくのだろうか、心配したものだった。



前の職場でもそうした若い夫婦が田舎暮らしにあこがれ木子で農業しながら冬の雪の間はバイト来られていて、キラキラと目を輝かせて話す。今時珍しい好感のもてる若者に出会ったと思っていた、

何度か薪ストーブを囲みながら話をした記憶がある。



しかしそれから数日後雪崩の下敷きにあい小さな幼子とも命を落とされた、理想と現実のあまりにも厳しいギャップを思い知らされ若者のの冥福を祈った覚えがあった。



あれから何十年か過ぎ、木子周辺は更に過疎が進んだが、新聞でまだペンション経営に頑張っておられる勅使河原さんにエールを送りたい。話しておられた手作りのソバをいつか食べに行こう、、、。

冬に向かって、

2007年11月18日 | Weblog
北風が冷たく、行き交う人々の厚着が目立ってきた。いよいよ冬に向かっていくのでしょう。北海道や東北の一部にはもう雪が降り始めたようだ。

  
私は娘の見舞いなどあり、しばらく車通勤であり、寒さは心配要らないが、洗濯物など乾かず面倒が増える。

しかし鍋やぶり大根など楽しみも増える。


早いところではもうクリスマスの飾り付けが始まりそうだ、

娘の入院、

2007年11月16日 | Weblog
娘が入院することになった。また、しばらく忙しくなりそうだ。3人の孫のことや、色々大変、身の回りの世話もあり、退院までまた車で通勤することにした。
なかなか悠々自適とは行かないようだ。。



ボクの話を聞いてください。

2007年11月14日 | Weblog

私をご覧になった人々より遙か昔から橋立を行き交う人々を見てきました。そして沢山の人々の悲喜こもごもを見てきました。そして数え切れない人々を見送って来ました。
でも数年前の台風によりついに力尽きました。私のDNAを引き継いだ苗が私の横に新たな命を引き継いでくれてます。
しかしその前途はあまりにも険しい、私の生きてきた数百年より、温暖化、など環境は激変し、悪化の一途をたどっています。
どうか私の姿を見て、皆様の英知を振り絞り新しい時代がよりいっそう栄えある者になりますよう祈ります。( 双龍の松)

晩秋の成相寺、孫と征く、

2007年11月13日 | Weblog


年賀状用の写真撮りを兼ねて成相寺へ、孫たちは心得てポーズをとってくれた。

カメラが新しいのを持って行ったが、使い方が不慣れなため、少し物足りなさを感じた。背景の五重の塔は、逆光であったのでホトショップなどで加工したが、うまく出来ず見ずらい、

 山々の木々は紅葉の過程にあるが、東北などの風景にはまだ及ばない、

吉兆 本店も偽装、

2007年11月10日 | Weblog
いったいどうなっているのだろ、前車の覆轍は踏まずというrが、最近だけでも不二家、

赤福、白い恋人、記憶に残る範囲でも、牛肉偽装、出るは、でるは、



食品などに消費期限とか賞味期限など書かれていても信用できないと言うことか、

だって、まき直しとかやられたら我々にはもどうしょうもない、
私自身もまき直ししたい思いだ、年齢20ウン歳、東大卒、イケメンでセレブとか、\(^_^)/



お役人様は厚労省などに見られるようにでたらめだし、山田洋行と防衛省などに癒着、何もかもが腐敗している。



お役人だけでなく我々国民の側にも問題は山積し日本国中ポイ捨てのゴミで埋もれつつあり、親殺し、子殺しが珍しくなくなっている。



明日はおろか今日の飯さえままならず飢えに苦しむ子供たちが今も世界にはいるというのに、まさに終末の様相ではないか、



 本田美奈子のアメイジンググレイシスが心に浸みる。


ポカポカ陽気に誘われて!!

2007年11月08日 | Weblog
 先日の橋立グミの写真が撮りたくて、愛犬とともに出かけた。
おそらく野生のグミか原種に近い種類では?


もし新種なら私の名前をとって○○なんてつけれるのかも、

少し逆光気味なので覧にくいが今のところ橋立以外では覧ていない、少し渋いが結構行ける味だ。



 昨日はついに白菜までゲットする。袋に入れて持ちやすいようにしてあり、家で水洗い後外に干して、今日塩漬けにした。

持つべき者は友、

特に何かくれる友は最高だ、ガハハハハ、

天高く我肥えてメタボリックに!!

2007年11月06日 | Weblog
 10月よりウオーキング再開、夏の暑い間は避けていたが、先月1日より再開、今のところサボタージュなし、順調にいっている。

再開後メリットとして、早朝から畑などに精を出している。旧友から野菜などいただくことだ、
 枝豆、大根、今度は違う友人が白菜をくれるそうだ、この前大根を2本下げながら帰路についたが、なにせ、畑の側を通って帰るのが有らぬ疑いの目で見られないか内心おっかなびっくりだった。

李下に冠を正さずという、それでスーパーの買い物袋をリュックに詰め込んでおいた。
次からはこれに入れよう。

食べ物といえば、秋は青い魚が体によいと聴き、早速支度する。レシピみて、
味噌、ショウガ、ナメコ、砂糖、ミリン、酒、落としぶたを用意しレシピ通り仕上げる。
 
さて出来あがり食そうとすると何か変、
あ、あ、あ、あ、あ、-醤油を、、、。ショウガない(刻んだと別、(;´_`;))ので醤油を
ぶっかけて食べました。
これぞ、鉄人の味、鯖のみそ煮風、醤油ぶっかけ煮としよう。(^▽^ケケケ

今も残る23号の爪痕、

2007年11月05日 | Weblog
 大内峠に上った、そこで見た光景はあの23号台風が残したすさまじい地獄を思い出すものだった。



 23号の後国道から見た山々に数千本いやもっと多いだろう。枝葉や樹皮を剥ぎとられて真っ白になった木々のまるで卒塔婆が乱立しているかのような光景だったが、最近周りの木々が育ったせいか、余り目立たなくなった。



 だが昨日の午後愛犬の散歩兼ねて大内峠を歩く、路肩には多くの落ち葉がつもり、サクサクと踏みしめながら歩いた。



 しかし周りを見ると大の大人が2抱えもありそうな大木が2つに折れ、また真っ二つに引き裂かれた真っ白な骨のような大きな木が数知れなく立っている。

 

 あの23号の同日の同時刻にこの有様を目撃した者はないだろが、みたらそれこそ身も心も凍りつき恐怖に震え上がったろう。



 目の前で大木が裂け、または折れ、すさまじい雷鳴と雨 、地獄のような光景が繰り返されたことだろう。私などはきっと発狂寸前まで追い込まれたかもしれない。



 しかしこうした光景は悠久たる太古の昔より繰り返され、また永遠に繰り返されることだろう。



人間の行いがいかにちっぽけなことと思い知らされたようだ。



 

昨日も、橋立散策、

2007年11月03日 | Weblog
 流石にもうこの時期観光客は少ない、海を渡る風は松を鳴らして、すさまじい音が時折する。

 散策時ふと気がつく橋立て特有のグミを見つける。民家などにあるグミとは違い、ビービー弾を一回り大くした感じの円形をしている。

 しかし味は普通のグミを少し渋くしたような味だ。また、普通の大グミ、中グミ、小グミなどと実る時期も違う、

 

でも子供のころ口を真っ赤にして食べた懐かしい味がした。今は数知れないほどオヤツがあり、最近の子供は食べれることすら知らないだろう。

 

このほか桑の実とか山イチゴ、ダンジ、ツバナ、スッパなど求めて野山を駆け回った頃が懐かしい、それだけ歳を重ねたともいえる。



 でも果たしてどちらが幸せなのだろうか?、いろいろ考える。じいじでした。

 

つるべ落としに日が暮れて、

2007年11月01日 | Weblog
 日一日と秋は深まりつつある。東北地方などTVで見ると高地にある山々は見事なまでに紅葉し多くの観光客がカメラを手にした姿が放映され、私自身も思わずひきこまれてしまった.


 当地方はまだ少し紅葉には早いが、紅葉など一部は真紅に色づいていた。

今年の特色は昨年まで竹などが茶色くなりほとんど全滅の憂き目にあると思っていたが。ふと気がつくと見事に青々と復活を遂げていた。



 先日久しぶりに天橋立を老犬と散歩したが、痛々しい倒木は一部を除き取り払われ残ったまつも青々と息を吹き返したかのようだった。



 多くのボランチィアの手をかりたことだろう。また双龍の松などに見る樹齢数百年の倒木も挿し木などにより子孫が植えられそのDNAが受け継がれている。

 殺伐とした社会の中でホットする一こまである。