羊日記

大石次郎のさすらい雑記 #このブログはコメントできません

検察側の罪人

2018-08-30 23:09:04 | 日記




 インパール、ネオナチ、右翼宗教団体、戦前化を画策、足したなぁ。久し振りの現代劇であることや年齢的にも、俺はもう言いたいことは全部言う、というのもあったんだろね。ヤクザの手下達まで憲法議論しだしたのは徹底しているな、と。インパールと通常の汚職の証拠に絞ればもう少し収まった気はする。汚職に軍需産業が絡んでる、くらいまでなら何とか。葬儀も支持基盤の新興宗教が前衛舞踏のような儀式を勝手にやらかしちゃってる、という加減であればむしろケレンが利いていたと思う。左系の追加要素に関してはそんな感じ。ただ最後の映画オリジナルENDや、最上の悪夢、大幅に補強された諏訪部関連からすると汚職の証拠やインパールの件に関してはこの映画の文法的にはやはり必要かな? 原作では巫女的な橘が女活動闘士として前面に出ていた。沖野との事後描写はテーマのシンメトリー化。人物として強過ぎる白川の出番は限定的。小田島パートは原作より明るい。家族パートはかなり変わったが最上の演者の接し方が正しく、娘との間合いはそう変わっていなかった。沖野は物語が映画的にショートカットされている分、行動の変遷が急激。最上とのぶつかり方が激しく、師弟感はより強い。凶悪化した松倉とのやり取りも強烈だった。ブラックリベンジを思わせる最後だった丹野はホテルでの最上とのやり取りが、え? 抱き合うの? というくらいの距離感だった。諏訪部はチート過ぎて原作のように沖野が絡めない程で、インパールに拘る一方で公安等の国の機関の犬にも見えないではなかった。そして最上、改編の結果、荒っぽい話の処理も少なくなかったが、ヒーロー然とした演者が罪にのたうちながらも英雄的に滅びの道を選んでゆく様子は耽美的だった。映画は『悪』に対する断罪意識は強いがしかし敗北する、という感覚もより強いという印象はあった。意外とお茶目な件も多い。

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