よく晴れる

書きたいことを書きたいように書いております

イトウジャクチュウ

2006年06月13日 | 日記
伊藤若冲の展覧会が行われるらしく、何か書くと何か貰えるかもしれないらしく、ここは一つ何か貰おうじゃないかと思ったのに忘れてしまった何も書かず、そんなキャンペーンも終わったらしい今頃、展覧会の始まる迄には間のある今時、伊藤君のことを書くというのは、とってもタイムリーではないし、その根性は歪んでいる。

伊藤君のことを初めて知ったのは、5年ほど前のことで、雑誌の表紙に見掛けた伊藤君の絵は、日本画なのに面白いと思わせるから気に入った。さっそく展覧会に行こうと思ったものの、伊藤君の展覧会は京都で行われ、うわぁ遠いな、伊藤君、会いに行けねえよ、なんて、伊藤君に会いに行くのは経済的事情により断念し、その代わりというわけで、図録を届けるようにわざわざ頼み、届いて眺めて満悦するその心根も、歪んでいる。

そして数ヶ月後、ぶらり京都へ出掛けるのだから、自分は相当歪んでいる。もう伊藤君には会えないけれど、もう伊藤君に会う気もないのだけれど、京都に寺見物と侘び沁みた。だからと言って、京都の人、伊藤君を忘れ切ってしまえるほど、伊藤君に魅力のないわけじゃなく、錦市場を往きながら、青物屋に伊藤君を偲びつつ美味いものを探してみたり、伊藤君デザインによる石仏を眺めるつもりも、隣にある山に登って草臥れ帰っちまったりと、伊藤君には会えないけれど、伊藤君に近づこうとはしたのだった。

そんな伊藤君が、今頃のこのこ東京にやって来るのである。5年の月日が人を変えてしまったのであらうか、自分は変わってしまった。というのも、以前ほど伊藤君に興味を抱けないのである。伊藤若冲の展覧会があると知って胸躍り、飛びつけジャンプと思ったものの、以前果たせなかった望みを実現させることが目的となっている気はして、伊藤君に会いたいという純粋な好奇心は見当たらない。図録を取り寄せ満悦したのがいけなかったのだろうか。早まったのか。

伊藤君の絵は今図録に眺めても面白い。平面な立体に大胆ぬ繊細ねユーモアの絵。けれども、何か違う、とても歯がゆい。歯茎から血の流れるくらい何度でも歯を磨きたくなるほど、すっきりしない。伊藤君の絵を見に行くくらいなら、自分の絵を描きたい、なんて、絵なんかまともに描いたこともないくせに思ってしまうこの利かん気のような、強気とうか傲慢、身の程知らず、これはいったい何故なのであらうか。
コメント
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