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春夏秋冬 長崎発 とき燦々

あれこれ徒然を語る

随筆的日記を長崎から発信!

はなちゃん ありがとう

2021-06-06 | 家族
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はなちゃんが逝って一週間、少しずつあなたのいない生活に慣れてきています。
あなたを偲んで贈られた花は、そろそろ片付けないといけないと思いながらも踏ん切りがつかずにいます。
生後60日で我が家にやってきたときは、わたしの両手のひらにすっぽり入るほどの大きさでした。
歳月は流れ、14歳7月の命、別れはあっけなくやってきました。歳を重ねるに従い、美しい茶毛は次第に白くなり、楽しみだった散歩の時間も短くなってきて、日向ぼっこで一日の多くを過ごすことが多くなったあなたを見ながら、「加齢には勝てないなあ」そんなことを感じていたところでした。
5月28日午前6時半、出勤前のわたしの前で横になり、あなたのその目はわたしたちに「さよなら」って語りかけていたのですね。
次第に弱まっていく鼓動を感じ、わたしはひたすら心臓マッサージをするしかできなかったけど、眠るように迎えた最期を看取ることができて、家族として満足しています。
あなたの心拍が消えたその瞬間のことは決して忘れることはないでしょう。
これまで、多くの楽しい時間、癒しの時間をありがとう

わたしたちは、日々の生活のなかで、ついついあなたの名前を呼んでしまいます。
わたしたちはふたりだけの生活になってしまったのですね。

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見えますか。

2019-06-01 | 家族
針子たち

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日照時間が長くなるにつれ、増え続けるメダカの針子
昨年は、採卵をしなかったこともあり、新たな命はほとんどできなかった。
見れば我が家のメダカ鉢で彼らを見つけることさえ、難しい状態にまでなっていた。
ということで、この春先から抱卵したメダカを見つけては、採卵隔離していたら、針子たちが元気に泳ぐ姿を見せてくれるようになった。
この時期、メダカはほぼ毎日卵を産むが、採卵はわたしの休日の朝だけにしている。
屋外にある飼育鉢は、時として風雨によって水が溢れ、小さな命をなくしてしまうこともある。
ビオトープの鉢を維持するためにはメダカの力が必要だが、世話の出来る程度の命しかつくるまい。
今の時期は水も適温でメダカたちの活性が高く食欲も旺盛だ。
保護者として給餌に忙しいが、彼らはわたしの姿を待っている。メダカ鉢に近づくと、すーっと浮き上がってきて、上目づかいにわたしを見つめて、エサをねだる。
そのかわいい姿に癒されるひと時だ。


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宝島の旅

2018-12-20 | 家族
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戸石小3年 歩花


夏休みに、さくらとゆうなは、海に行きました。
すなはまで、貝がら集めをしていると、おりたたんだ紙が落ちていました。
ひろげてみると、宝島の地図だったのです。
さくらとゆうなは、そこらへんに落ちている木を使って、船を作りました。
二人は、さっそく、その船に乗って、宝島へ出かけました。
そして、宝島にたどりつき、しばらく歩いていると、一本の橋がありました。
その橋の手前には、とても大きなダイジャがいて、ゆうなとさくらの方をじっと見ています。
二人は、「どうやってあの大きなダイジャをにがすの?」と話し合いました。
すると、さくらがいい考えを思いつきました。
さくらが、「リュックに入れておいたおにぎりを出来るだけとおくになげるので、ダイジャが、おにぎりを追いかけて行くうちに、この橋をわたろう。」そう言うと、ゆうなは、「うん!」と言うように、深くうなづきました。
ゆうなが、「よくそんないい考えを思いついたね。」と言うと、さくらは、「こんな動物、へっちゃらだよ。」と言いました。
ふたりは、しんちょうに橋をわたりました。
二人が、またしばらく歩いていくと、大きな池がありました。
その池には、とても大きな魚が一ぴき泳いでいます。
すると、とても強い風がふいて、上から大きな木が落ちてきました。
さくらとゆうなが、思わず大きなひめいをあげると、その木は、ちょうど池のところでとまりました。
その木を橋のかわりにして、さくらとゆうなは、とても用心して木の橋を渡って池をこえました。
さくらとゆうなは、「木が橋になるとは思いもしなかったね。」と話していました。
そしてまた、二人がしばらく歩いていくと、こんどはチーターがあらわれました。
チーターは二人の方をじっと見つめています。
すると、さっき、さくらがおにぎりをあげたダイジャが助けにきてくれました。
そして、ダイジャは、宝ばこのある場所までつれて行ってくれました。
さくらとゆうなは、ダイジャにお礼を言いました。
宝ばこの中は、しんじゅやほうせきでいっぱいです。
二人は宝島から家に帰ることができました。

ー感想ー
明日はもう二学期の終業式、いよいよクリスマスや正月をはさむ楽しい冬休みが始まる。
小学三年生の孫娘が、二学期に『ものがたり』作りに挑戦した成果を冬休みを前に、学校から持ち帰った。
野暮用で娘宅を訪問すると、その成果を見せてもらった。
『小学三年生はこんなに書けるのか』というのが正直な感想だ。
授業の中での取り組みなら、決して時間をかけて準備して書いたわけではないだろう。
自分の小学三年生の頃の記憶はあいまいだが、ものがたりを書くなどといった経験はなく、運動会や遠足などの学校行事の後に作文を命じられ、創作的意欲などないまま『なにか書く。』といったところだったろう。
孫娘の作品の評価はできないが、小学三年生にしては、全体を通して工夫した表現ができているように思う。
思い出として、わたしの感想を添えて、ブログ公開しておきたい。

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黄色のバラ

2018-06-17 | 家族
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父の日と言えば梅雨真っ盛りのころなのだが、今年の長崎の梅雨は大雨になっていない。
今日も天気予報は晴れ、自由時間たっぷりの一日を久しぶりに得て、大村の野岳で緑の中をウォーキング、爽やかな汗をかいた。
野岳湖を周回する形で歩けるのがいい。
樹齢のいった直径が1メートにもなる松の木の陰でひと休みし喉を潤す。
湖越しの景色が水面に映える美しは、深呼吸を誘う。長崎から1時間のこの地は、わたしのお気に入りスポットだ。
サイクリングロードも整備されているが、ロードバイク好きのわたしは、ここでは自転車に乗ることはない。森林浴と言えば大げさだが、緑の中を自然を感じながら歩くのがいい。
ここのところ、頭痛の現れる周期が短くなったような気がする。生活の中で鎮痛剤は手放せないが、野岳効果のリラックス持続といきたいものだ。
今日は、わたしの首筋、肩付近のテンションは確実に低下した。

そんな野岳土産をもらって、帰宅すると息子一家の訪問を受けた。
この春から単身赴任中の息子は、ひと月のうち、何回か週末に帰崎している。今週は丁度、土曜日に子どもの幼稚園の参観行事もあって帰宅していたらしく、父でありまた子である立場でしっかり休日を楽しめたようだ。
バラの花は「父の日」ならぬ「じいじの日」に頂いた風だが、家族で訪ねてくれたのが最高の癒やしだったね~
野岳よりも・・・

息子家族の水入らずの残り時間はもうカウントダウン中だ。
さあ、今度はまた父の役割の時間だろう?
バラの花ありがとう。


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母は『嫁入りの気分だわ』とにっこりして言った。

2018-01-04 | 家族
平成30年 戊戌の暁と初日の出

長崎市民だが、元日を長崎市で迎えたことはない。
ふるさとの実家を留守している所謂『跡取り』の立場で、毎年この実家での振る舞いが欠かせないのだ。
年々、ふるさとの実家に集まる家族は減り、今年は7人と1犬でこれまでの最少人犬数となった。
この参集者も3日には全員がそれぞれの生活の場に帰り、実家は居者のいない場所になった。
この家の主は入院中の母だが、その母も1月12日から他の場所に生活の場を移す。
いよいよ実家は『別荘』状態になる。
そんなふるさとの元旦は美しい暁と初日の出となった。
須川港から臨む有明の海の向こうに昇る初日を無の境地でただ待つ。いい時間だ。
私たち家族にとって、ある意味再出発の年である。
母は『雑煮』の味に頷きながら、『この家に嫁いで来た時を思い出す』と言った。
そして、『嫁入りの気分だわ』とにっこりして続けた。
きっと、新しい生活への不安と期待が交錯しているのだろう。
私も共同生活者も似たような心境である。
戊戌、きっといい年になる。
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話はまとまった。

2017-12-10 | 家族
母の退院後の生活・療養場所の確保を急がなくてはいけない。
これが、私のこの師走の大きな課題だった。
12月8日、主治医から経過・現状の説明と今後の治療方針の話があり、一定、退院の目途がたったので、母を伴ってサービス付き高齢者向け住宅の見学に出かけてみた。
身体機能は、このひと月のリハビリ生活で相当回復したが、独居での生活は困難な状況だ。あとひと月で仕上げのリハビリを行う計画だが、骨折前の状態まで回復することは見込めそうにない。
来春は89歳になる母である。
母の希望を聞きながら、いろいろ生活プランを考えてみたが、実家に近い地域でサービス付き高齢向け住宅に居住しつつ、介護サービスを利用することが、現時点ではベストとの結論だ。
11月下旬、いくつかのサ高住、介護保険の指定を受けた有料老人ホーム、小規模多機能型居宅介護事業所、短期入所生活介護事業所に問い合わせ、見学をしていたところ、運よく、第一希望に近いところで話が進み始め、新年明けて早々の新生活のスタートに目途がたった。
あとは、母本人がこのサービス付き高齢者向け住宅を実際見て、気に入れば決着だ。
こうした流れの中で、昨日、午後から病院を出発し、見学地に着いたのが午後3時30分、要介護2の身体にとって、2時間のドライブはやや負担が大きかっただろうが、後部座席での嫁、姑の話は弾んでいた。気分良好で一安心である。
目あてのサ高住は、施設・設備、スタッフの心遣いや対応、立地環境等々、母はとても気にいったようで、もうそこの住人になったかのような話の盛り上がりだった。
本人いわく、いい読書環境らしい。
1時間半の時間があっという間に過ぎた。
私は、築4年の建物の内部全体が清掃と整理整頓がとても行き届いていること、スタッフのあいさつが美しいこと、サービスの一面ではあるが、その質の良さが好印象だった。
時に厳しい目を向ける共同生活者の意見も今日は『◎』で、話はまとまった。
とにかく、グッドタイミングで1室の空きがでたことに感謝!
『千草は持っている。』のかもしれない。
あとは、順調にリハビリが進めば、何もかもうまくいく。

病院に帰ったのは午後8時を過ぎていた。
母に疲れはなさそうだ。
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4世代が揃った。

2017-11-24 | 家族
長崎市民美術展で4世代が揃った。
孫娘の絵が昨年の入選に引き続き、今年は入賞したので、長崎市の近傍でリハビリ入院中の母を伴って長崎県美術館に出かけてみた。
澄み切った青空、小春日和の外出はいい気分転換になったようだ。
母にとっては父との思い出の多い長崎のまちを訪ねるのは久しぶりで、まして、4世代7人で出かける機会はおそらく初めてだったろう。
二人のひ孫たちが代わる代わる押してくれる車いすの乗り心地の良さは格別だったのだろう、母の笑顔がみんなのカメラにどんどん収まっていった。

かつては自分自身も書を得意とし、右麻痺の身体になってからは、リハビリのために水彩の筆を持つようになっていたが、ここ一年ほどはそのような時間も少なくなって、身体に負担の軽い読書中心の生活だった。
今回の市民美術展で多くの作品に触れ、そして、ひ孫の成長も目の当たりにすることができたひと時は、変化の少ないリハビリ中心の生活にいい刺激となった。
病院から許可された時間は3時間ばかりだったが、4世代の各々がそれぞれ違った意味のある時間にすることができた。
病院に戻った母は、「葉室麟」の本が読みたいと言った。
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「やっぱり肉は『ランプ』にしましょう。」って。

2017-11-05 | 家族

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11月最初の日曜日はサイコーの青天、引き籠っていては勿体ない。
朝食を済ませ、共同生活者は自治会で行う公園清掃へ出かけ、その間、私は自室のほこり出しである。この時期は北側の窓と南側の窓を開けるとよく風が通り、気持ちいいほど塵埃が動く。あわせて掃除機と化学はたきを使えば効率良く部屋の掃除ができ、4畳半ばかりの部屋は簡単に空気清浄も完了する。
最後にウェットタイプのクイックルワイパーなるもので床を仕上げると、微香が漂い私好みの部屋に仕上がる。
このエリアを共同生活者は「兜町」と呼び、近づこうとしない。
ここには、きっと彼女の興味そそるような物もないし、椅子一脚では寛げないし、居場所にならないのだろう。
ということで、ここは當に私だけの世界、掃除も自己責任で行うのです。
兜町界隈の掃除を終えると、共同生活者とともにウォーキングということになった。
車で10分ほどのところにある公園のウォーキングコースへ出かけてみると、大きなマイク音が聞こえてきた。
近くで「農業センターまつり」なるイベントが催されていて、大賑わいなのだ。
1時間半ほどのワーキングの後、会場に立ち寄ってみると、抽選会真っ盛り!
今年で12回目ということだ。
特に買い物予定はなかったが、かねてから食してみたかった長崎和牛のブランド肉である「出島ばらいろ」が出品さてれていたので、共同生活者と協議のうえ購入決定!
希望はランプだったが、商品はロースが主流となっていて「リブロース」をいただくことにした。
100グラムあたり1,400円はリーズナブル?
早速、夕食の食卓に上がった「出島ばらいろ」、美しい霜降りながらも以外にさっぱりしているのです。
日常の生活のなかでは、肉を食べる機会は少ない共同生活者と私ですが、今日はしっかり歩いたということで気持ちよく、そして美味しく肉をいただきました。
そして、共同生活者は言いました。「やっぱり肉は『ランプ』にしましょう。」って。
そうだね。

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次代に送ってはいけない悩ましい問題

2017-10-29 | 家族

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ふるさとに幾許かの宅地、農地、山林などを所有している。
そのふるさとから離れて生活していると、これらの維持管理は少しばかり面倒だ。
固定資産税の納税通知書は現住所に送付されるので問題ないが、隣接地や近隣で公共工事が始まるときは、境界確認と立会いを求められる。
行政による地籍調査は完了しているが、時間の経過とともに境界杭や鋲の位置も確認しにくい状況になる。
災害などによる土地の形状の変化や放置状態の荒廃地、未耕作農地が増え続けている中で、次代の土地所有者になるものにとっては、この境界把握は結構厄介な代物だ。また、所有地への不法投棄も後を絶たない。
昨日、行政発注の工事請負業者から電話をもらった。農地に隣接した側溝の改良工事をするので土地の境界確認に立ち会ってほしいという。
私の場合、すべて祖先からの引き継ぎものなので、これまで、土地の境界確認と言われても常識的な意見を言う程度で、強い主張はしていない。今後もするつもりはない。それでいいと思っている。
土地に対しては、人それぞれ思い入れの強さに違いがあるように感じるが、地域のためになることを進めてもらうことには協力することを基本としたいと思っている。
ごみステーション用地を無償で提供しているが、おかげでこの土地一帯の除草業務は定期的に地域の皆さんが行ってくださる。
ふるさとにいなくても、こうした関係が築けるのはうれしい。
近く、境界確認・立会いの日程を調整したいという。
留守中のふるさとは高齢化が進んでる。
住みやすい町であってほしい。そういう思いを持ってふるさとに向き合っていれば、私はこのふるさとの一員として付き合いができるのだ。
しかし、この先、このふるさとの土地・家屋などをどうするかは悩ましい問題だ。次代に送ってはいけない、私が整理しないといけないことだ。
たぶん300年続いた農家の歴史が一旦私で終わる。

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私の思いと違った「わがまま」を言いそうな気がする

2017-10-27 | 家族

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88歳になる母は独居生活45年である。
脳幹部梗塞の後遺症である右片麻痺の症状を持ちながらの生活が8年目を迎えた。
読書好きの母のQOLは、子どもたちや孫家族が代わるがわる訪問して近況報告するのが大きな生きがいとなっていて、高く維持できているように思う。
読書の量は、ふんだんに自由時間があるので、私などは足元にも及ばない。
しかも老眼鏡など必要がない。とにかく活字好きなのだ。
しかし、読書する姿勢はどうしても顔を下に向けた形になるので、長時間の読書は老躯に相当負担になっていて、ときどきめまいの症状を訴えるようになった。
体力の低下も確実に進んでいる。
定期的に主治医の診察を受けていながら、今年6月、不注意からか肺炎で2週間の入院生活となってしまった。
この年齢での2週間の入院は、急激な筋力の衰えにつながることから、在宅生活復帰のためには機能訓練が欠かせない。
セラピストも退院に合わせて丁寧に身体を整えてくださったが、退院後、6日目には食事の準備中に転倒して右手首を骨折してしまった。
歩行力が入院前の状態にまで回復していなかったのかもしれないが、入院は肺炎によるものなので、その治癒をみての退院は当然だった。
骨折による入院は1か月以上に及んだが、在宅生活にスムーズに移れるように退院後、今度は、居宅介護サービスの短期入所療養介護のリハビリテーションサービスを2週間利用しての在宅復帰となった。
もちろんADLは自立とはいかないが、訪問介護や通所リハビリを利用しながら安定的な生活に戻った。QOLも期待通りのレベルになっていたようなのだが・・・
在宅復帰から約2か月、油断からか、昨日、またもや食事準備中の転倒で大腿部の骨折!
勤務中の私の携帯に着信アリ!となった。
救急搬送先に急いだ。今年に入って3度目の入院だ。
担当医からの手術に関する説明と術後の見通しを聴くと、母の今後の生活は大きく変わってしまいそうだ。
先日、あるきっかけで「親子」について思いを語る機会があり、母の優しさ、寛容さ、大きさを私のヒリヒリした15歳の思い出と重ね合わせてこれからの生き方に思いを馳せたばかりだった。奇遇だ。
まずは、手術の成功が第一だが、その後の彼女のQOLは、私の生き方と同質のものにしてあげたい。そう決意しているが、その母はこの私よりきっと大きい。
私の思いと違った、いかにも彼女らしい「わがまま」を言いそうな気がする。

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