いや、お出かけと言うほどのことでは無いのでありますが、バイトが休みの本日、スキーに行く予定でありました。
しかし、吹雪と言うほどでは無いのですが風が強くリフトの運転も止まりがちか、でお出かけは中止した次第であります。
さて、コーヒーを片手にYouTubeで好きな音楽を拾っているわけですが・・・痛い歌に出逢っちまいました。
中島みゆき・・・あした、であります。
この唄を上手に歌う娘と出会ったことがありまして、それは甘く、そして切なく、さらには痛い思い出でありました。
いや、これから書くのはセピア色のフィルターを通した過去にさらなる妄想を加えた物語であります。
題して「マハールとよばれて」
彼女に最初に出会ったのはセブの領事館でありました。
私ゃセブの領事館に仕事の書類の英語版(証明書?)を作ってもらうのに出向いて居たわけですが、そこにCuteがいたわけであります。
いや、Cuteと言うのはもちろん本名では無く、自分のフィリピン物語に出てくる娘は全員Cuteなので悪しからずであります。
で、Cuteはエンターティナーとして日本に行く手続きできていたのですがエージェントが付いていず自力で頑張っていたのであります。
なんと申しましょうか、これがフィリピンサイドの手続きなら袖の下でなんとでもなるんですが日本領事館はそんな端金で動く事はないわけでして窮していたのでありました。
どーも、日本國の働き先の招聘状に不備があるとのことで日本での身元保証人が必要らしいのでありました。
いや、これは領事館側が断るための難癖だと思うんですが良くある話でありました。
余談ですが、自分のダイビングサービスのスタッフを日本に研修という目的で連れてきた時は私の会社の登記簿謄本と資産証明として銀行の預金残高まで出させられた程に疑われるのでありました。
いや、窓口に来ているのは日本国の赤いパスポートを持った納税者なんですが若造の事務官に鼻であしらわれるのであります。
で、領事館内にいた日本人は自分だけだったのと、当時はまだ頭髪もあって、自分で言うのもナニなんですがそこそこイケメンだったのでCuteにあれこれと相談を受け日本とのやりとりを手伝ってやったのでありました。
まっ、日本の受け入れ事務所に電話をし領事館が要求する書類を伝えただけなんですけど。
で、私ゃ自分の用事を終え、フェリーで帰ろうかバスを乗り継いで帰ろうかと思案しつつ領事館を出るとCuteが追いかけて来てどこへ行くのかと聞くわけであります。
私ゃセブから概ね5〜6時間かかる村の名前を言ってセレスで帰るかスパーキッャトで帰るか考えていることを伝えたわけです。
バスは時間がかかり接続が悪いと深夜になるが料金は安い。
スーパーキャットは速くてボホール経由だが3時間半で着くが高いわけです。
まっ、安いバスが250円で高い高速船が1200円でして日本人としてはドーでも良いとも言えますが既に感覚は現地人化しているので1200円は高いのであります。
で、Cutoが言うわけです・・・スーパーキャットはもう無いから船だと深夜のコカリオンだし、バスもバトの接続が深夜しかないからどっちにしても着くのは早朝だよ、と言うのであります。
お前よく知っているな、ところで何処から来たんだ、問うと自分とほど近い村からだったのであります。
そんなわけで深夜のバスを待つことになったんですが、ぼちぼち夕刻、飯でも食べるかとなってセブのダウンタウンに行ったわけです。
で、自分が良く知っている下町と言いますか、貧民街の一丁目的な通りに行き屋台の焼肉屋に落ち着いたのであります。
トシーノと言うフィリピンでは何処にでもある串焼きの肉でして、庶民の食べ物であります。
それを齧りながら近くのサリサリストア(小さな雑貨屋)で買って来たビールを飲みつつCuteの身の上や日本への期待などを聞いたのでありました。
いや、期待はほとんど無く、エンターティメントとして行った日本でどんな仕事が待っているのかは既に多くのジャパゆきから聞いて知っていたのでありました。
で、日本へ出稼ぎに行く目的は御多分に洩れず一稼ぎして貧困から抜け出したい、一家のための人身御供なのであります。
クーヤ(おっさん)は何してるの?
結婚してフィリピーナの嫁さんがいるの?
子供は何人?
と、フィリピン人と知り合うと最初に聞かれる定番の質問を投げて来たわけです。
私ゃ正直に、フィリピンでは独身だが日本には女房と子供がいて村に帰れば仲良しの娘は沢山いると答えたわけであります。
いいかげん腹一杯になった自分らはトシーノの屋台から場所を変えカラオケ屋に移動したわけであります。
カラオケ屋と言っても日本のような店では無く、カラオケバーでして女性の接待がつきものの店でありました。
しかし女性同伴で入った場合は遠慮してホステスはちょっかいを出さないのでビールを飲んで歌えもするのであります。
当初は大人しく様子を伺っていたCuteでしたが一通り雰囲気を察したようでマイクを握ったわけであります。
私は日本語の歌があるから時々来ていたわけですがCuteが日本語の歌を歌えるとは思ってもいなかったので中島みゆきの「あした」を歌い出した時には驚きました。
そして、抜群に上手いのであります。
いや、日本語は何処かインチキですが歌としての情感は最高でして私は歌声に惚れてしまったのでありました。
さらにCuteはいとしのエリーやカサブランカの英語バージョンを歌ったわけですがどれも絶品でして歌手として日本に行くと言うのは嘘ではなかったと思ったわけであります。
私はすっかり気分が良くなったと申しますか、舞い上がってしまったわけでありまして、まっ、酔っ払ったと言えばそれまでですが心を奪われたのでありました。
私ゃCuteを口説いたのかどうか覚えていないのですがその後バスに乗るはずの時刻になってもセブにいて、下町の安宿のベットに二人で転がって朝を迎えたのでありました。
さて、この頃の私は村で一番助平な日本人(総員推定5名)としてアレだったんですが幸か不幸かCuteは隣の村の娘でして私のことは知らなかったわけであります。
で、飲み過ぎてボケた頭を抱えて起きCuteに、スーパーキャットで帰るけどお前はどーする、と言うと「Mahal、一緒に決まっているでしょ」と来たわけであります。
マハールとは、好きな人、大事な人でしてこの場合は夫あります。
あいやぁ・・・またやっちまったか、と言う思いは感じつつもまんざらでは無く、取り敢えず村までは一緒に帰ることにしたわけですがフレンドリーなフィリピン娘の中でも極め付けでしてたった一夜にしてすっかり女房気取りでありました。
で、宿からピア4まではいつもタクシーで行くのでこの朝もそうするつもりで車を呼んでくれとホテルの人に言うと「マハール、ジプニー ナラン」と乗り合いバスで行くと言うのであります。
私ゃ死ぬほど驚きました。
ジャパニーズの財布が目の前にあるのに敢えて節約の道を選ぶなんて、過去のCuteにはあり得ないことであります。
私ゃ二日酔いの痛い頭を抱えて炎天下を歩くのは数歩でも嫌だと言ってタクシーを拾ったんですがCuteは150円の差額にいつ迄もぶつくさ言うのでありました。
いや、本物の貧乏人ほど目の前に金蔓があると燥ぐわけでしてこれは解せなかったのでありますが、私はそんなCuteの感覚にどこか好意を持っていたのでありました。
スーパーキャットは予定通りに村の港に着きました。
港からはそれぞれに家に戻ったわけですが、私が帰宅してひと息つく間も無くCuteからマハールなにしてる? 私淋しいから会いたい、なんてテキストが来るわけです。
いや、これからシャワーを浴びて一眠りしたいと思っていたので無視していると、疲れて寝ているのね、なんてしおらしいテキストを入れて黙るわけであります。
これに私はやられたのであります。
フィリピン娘のしつこさといったら尋常では無く、仮に恋人関係だと相手が思ったとして、テキストに返信しなかったら半狂乱になって「あなた浮気してるのか」と質問責めの嵐が来るのが普通なんであります。
それなにのCuteは追い討ちをかけて来ることも無く、こちらのことを慮ってくれるので私ゃ気を許したわけであります。
なんと申しましょうか、異国で孤軍奮闘していると精神的にも尋常では無くなると申しますか、まっ、狂うんであります。
いや、何よりも優しさに飢えると申しますか、気持ちの安らぎを求めるのであります。
で、男性の友達と酒を飲むのでも気は紛れるんですが、男との付き合いは右手で握手をしていても隠した左手にはナイフが握られていると覚悟しているわけで本気で緊張を解くことは無いのであります。
そこで求めてしまうのが女性と言いますか母性と申しますか、まずなんであれその方向になってしまうのであります。
この頃の私は以前お付き合いのあったミンダナオ出身の娘とも縁遠くなり、しっかりと反省もし、同じ穴には落ちまいと気を引き締めていたはずなんですがCuteの心は読めませんでした。
それからと言うものは昼間は仕事で海に出ている自分を待って夕刻にテキストを入れて来るわけです。
今日はどーだった、疲れているんでしょう、と言う感じで自分から食事に行こうとか飲みに行こうと言う誘いは来ないのであります。
と、言うことは、主導権は完全に自分にあるわけでして、都合の良い時だけCuteを誘って食事に行き、そして酒を飲んではカラオケでお気に入りの「あした」を歌ってもらうのでありました。
さて、そんな都合の良い相手としてお付き合いしていたCuteなんですが少しずつTxtの来る回数が減った上にこちらからのテキストにも返信がなかったり遅かったりと、間が空くようになったのであります。
いや、こーなると気になって仕方がないわけでして、一気に立場は逆転であります。
ハイCute、どーしてる?的なテキストを送っては様子を伺うんですが、調子よく返事をくれたり間があったりして安堵したりヤキモキしたりと私の気持ちは完全にCuteに掴まれてしまったのでありました。
そんなことを続けて三ヶ月ほど過ぎた頃、マハール、日本に行く日が決まったと言って来たわけであります。
行き先は日本海沿いの温泉地でしたが当時は多くのジャパゆきがコンパニオンとして送り込まれていた地域でありました。
そして、Cuteは初めて金の話を切り出したのでありました。
それまでも幾許かの小遣いは渡していたのですが彼女から無心されたことは一度も無くどこか安心していたのでありました。
無心された金は青くなるほどの額ではありませんでしたが、当時のフィリピンではそれなりにまとまったお金ではありました。
フィリピン娘が借金を申し込む時の常套句としては親兄弟が病気で云々なのですがCuteは自分に借金があることを言ったわけです。
しかし、金の話が出たところで私は条件反射的に警戒態勢に入りましたが、正面切って自分の借金で、しかも返すあては無いと言うのに意表を突かれ困惑したのでありました。
彼女の思惑を測りかねつつ、わずかに三月、出会った時からの言葉や姿が脳裏を巡ったのでありました。
そして、自分でも予期しなかった言葉が口から漏れ、これまでのお手当ってことだなと言ったのでしたが、Cuteは、そんなつもりじゃ無いし嘘はつけないから正直に話しているのだと言うのであります。
当時、私はフィリピンに片足を突っ込んで3年が過ぎ、この国の事情と、そしてフィリピン娘とのあれこれも一通り学習していたのでありました。
しかし、Cuteのような娘は経験がなく戸惑っていたのでした。
困惑した挙げ句に私の口から出た次の言葉は「行かなければ良い、そうだ行くな」でありました。
するとCuteは即座に、どうせ飽きたら逃げるくせに勝手なことを言うなと怒ったのであります。
これは図星で一時しのぎの言葉であることは明白でした。
なんとなれば、私は日本に妻子があることを告げていたのですから。
フィリピンで何かにつまづいた時の私は、とりあえず飯を食うのでありました。
串焼きを齧りつつサンミゲールビールを飲み、時間を潰し酔っ払って忘れようとするのであります。
少しの沈黙の後、飯を食いに行こうと言ってバイクに乗るとCuteは黙って後ろにまたがりました。
アクセルを開け埃っぽい道を飛ばす私にしがみついたCuteは背中に顔を埋めていました。
Tシャツ越しに彼女の涙と嗚咽を感じた時、私の気持ちは決まったのでありました。
暗くなった街のトシーノの屋台に行き串焼きを齧りながら冷えていないビールを飲み私は訊き直しました・・・ピラ ナ イモン ウータン?と。
翌日、朝一番のスーパーキャットでセブに行きオスメニアサークル近くのシティーバンクでお金を引き出しその場でCuteに手渡そうとしました。
しかし彼女は大金は怖いから村に帰ってからと言って受け取りませんでした。
ここも今までのフィリピン娘には無いことなのであります。
現金を目の前にしたらひったくってでも手中に収めようとする筈なのに。
私は帰り道、どーしても引っかかる彼女の借金の額を想っていました。
ジャパゆきの旅費としては多過ぎるが、過去の借金だとすると少な過ぎると疑問が湧くのでありました。
さらに、日本に借金があればフィリピンに戻れないはずなのであります。
しかし、およそ三ヶ月、マハールと呼ばれたことを思うと仮に全てが嘘でも良いと思う自分がいたのであります。
そして、強過ぎる冷房のスーパーキャットの船内でCuteの手を握り疑うのをやめようとしたのでありました。
Cuteはそれから10日ほどしてセブ経由で名古屋に行くとセレスバスに乗って村のターミナルから旅立ちました。
やけに少ない荷物について尋ねると先に送ってあるとのことでありました。
こうして三ヶ月の友交費としては少し多過ぎる出費をした関係は終わったわけであります。
それから程なくしてセブのいつものカラオケ屋に行った時のことでした。
あまり馴染みのない娘が隣に座り一杯おごって、と来たわけであります。
まっ、一人では手持ち無沙汰なので話し相手に誰か欲しかったところなのでOKしたわけであります。
すると彼女が、以前に連れてきたオヤッブ(恋人)はどーした、別れたのか?と切り出したのであります。
さらに、何ヶ月付き合った? 三ヶ月か? と言うのであります。
そして、極め付けは、いくら払ったでありました。
私は動揺しつつ彼女に訊きました。
あんた、あの娘のなんなのさ、と。
既におおよその事情を察した私は細々したことを聞く気は無かったのですが彼女が勝手に教えてくれたわけであります。
いや、事の顛末は言うのも恥ずかしい次第ですが、見事にやられたわけであります。
聞いた話によるとCuteの住まいはセブシティーのスラムにあって自分の村の隣に家など無くて、おそらく家賃1500円くらいのボーディングハウスに居たのでありましょう。
さて、Cuteとの話はこれで終わりなんですが、類似の話はまだいくつもあるわけです。
しかし、あれから随分時が経ち記憶が綾になりまして糸を紡ぐのも怪しくなって来ました。
さて、最後にフィリピンに行ったのは一昨年の12月でありまして、コロナで一度も行けなかった昨年でしたが今年こそはと期待しているわけであります。
で、現地からの情報は結構悲惨でして各地でロックダウンが続いて居てマスクをしないで出歩くと逮捕、と漏れ伝え聞いております。
で、経済的にも厳しくなり、そーなると犯罪が多発するのが彼の国の常であります。
いや、日本人が襲われた話は聞いて居ないんですが、行くならいつもより用心しなくては、であります。
これは訓練風景 としておきましょう
思いうかべながら読ませていただきました。
他の彼女とも沢山の思い出をお持ちでしょう。
コロナ収まれと願いつつ
「あの素晴らしい愛をもう一度」の
想いを膨らませておられることでしょう。
やはり、色気は必要ですね
頑張ってくださいませ。
バカを晒す話を書いては後悔していますが、おばちゃんさんのコメントを読むとホッとします。
コロナ収束の折には、おばちゃんさんは例のお安い定食屋さん、ですか?
私ゃまたフィリピンに行きたいと願っております