日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか を読んで
この本は、日本贔屓と言うよりも、日本人が知らない中韓の正しい姿を浮き彫りにすることで、否応無しに日本国と日本人の真っ当な姿が浮き彫りにされてしまい、結果として日本贔屓の言葉が列んでしまう訳であります。
で、著者が前書きで・・・本書では、日本と中国、韓国について、歴史、文化、文明などの観点から、その差異を徹底的に検証した。それは取りも直さず、日本の真の姿を再確認する事でもある。・・・と、書いている事からも、狙いは歴然としている訳で、要するにそう言う本なので、普通の由緒正しい日本人は気持ち良く読める本であります。
第一章 日本人が誤解している中国人
◎日本人はなぜ中国人が嫌いなのか
いや、日本人全員が中国を嫌いかどうか?一部の自衛隊員や民主党の岡田や丹羽宇一郎前駐中国大使みたいな人も居る訳で、それは一寸アレなんですけど、まっ、尖閣諸島以後と言う事になれば、粗方の普通の日本人は中国が嫌いかも知れません。
まっ、日本人が中国を買い被った、その原因は朝日新聞である、と言うのが著者の言いたい事のようで有りまして、その理由付けが細かく書かれております。
興味深いのは「日中記者交換協定」であります・・・これは中国に都合の悪い事は書かないと言う事でありまして、朝日新聞以外は某かの違反を犯して処罰されたんですけれども、朝日新聞だけはそれが無かったと・・・まっ、中国を叩く時には朝日新聞はセットで仕方が無いですね。
◎中国経済は本当に躍進しているのか
言い得て妙でありますか?「中国では軍事も経済も政治である」と、著者は看破しておりまして、中国の副首相だった李克強が・・・中国のGDPは人為的で当てにならない、と宣った事を擧げております。
で、笑い話としては、毛沢東の時代の大躍進政策の折りには、「一年分の生産を一日で達成した」と言う報告がなされ、それが画期的な成果として発表されたのだそうであります。
と、言う事で、中国の経済的躍進は「政治的」なモノであると言う事であります。
しかし、ドルに対して事実上の固定相場にし通貨安を維持した事を述べている部分は、それによって実体経済でも伸びは有ったと言う事になるんで、「政治的な経済」は必ずしも実体を伴わないとは言い切れないとおっさんは思うんですけれども。
で、政治的なインチキ統計はどんな効果があったのか?
それは、躍進目覚ましい中国経済を演出する事で外資を呼び込む事に成功した、と、言う事であります。
で、中国は公害で破滅すると、この見出しを絞めております。
◎中国人の中華思想とは何か
中国人の自己中心的な姿勢は「中華思想」に原因が有る、のだそうであります。
が、しかし、ここの見出しの行を読んでも「中華思想」がなぜ中国人の中に生まれ根付いたのかなどは書かれておりませぬ。
まっ、我が侭な中国人を「中華思想」と言うのだ、と言う感じで捉えよ、と宣っているのかと思いますが、中華思想の説明は有りません。
で、面白いエピソードとして・・・中国は日本に、再三にわたって歴史問題を取り上げ謝罪を要求する訳ですが、ベトナムから「過去のベトナム懲罰戦争に対する謝罪」を求められた時、江沢民は「過去はどうでも良い。前向きにともに未来を語ろう」と言い放った、と言う事であります。
恐るべし中華思想でありますが、日本人はこんな発言は「恥」になっちまうんで出来ないんで、中国人には精神的に勝てないんじゃないんですか?
◎大が好きな中国人
中華思想は「大」が好き・・・小さなホテルや食堂でも名前だけは大酒家・大飯店、と。
いや、だとすれば「大日本帝国」は中華思想の表れですか?
まっ、「大韓民国」も中華思想でありましょうが、此れに関しての「小中華」は後ほどたっぷりと出て来ます。
中華思想では「大」は偉い・・・偉く無い日本は「小」であると言う事で侮蔑の意味で「小日本」と呼ぶのだそうでありますが、大人気無い思想ですね・・・だから、中華思想なんでありましょうが。
◎中国人には愛国心は無い
中国人には中華思想と言う、中華至上主義・中華中心主義があるが、中華思想には国民を結束させる程の力は無い、と、著者は言い切っております。
孫文の言葉を借りて、中国人を「バラバラの砂」と評している訳です。
で、インターネットで問ったアンケートで「生まれ変わっても中国人になりたいか?」では、64パーセント、三人に二人は中国人は嫌だと答えているそうであります。
中国人は社会や他人を信用していないので連帯や愛国心は希薄である、と。
それは、中国5000年の歴史が、動乱・争乱・戦乱の繰り返しであったからだと著者は指摘しております。
◎200年以上いわれてきた「これからは中国の時代」
へぇ~・・・世界ではアヘン戦争の前から「中国の時代」は語られていたのだとか。
しかし、現実的には、西夷(西洋)にも東夷(日本)にも勝てず、日清戦争のあとは日本の維新を真似して「戊戌維新」を断行したのだが、100日で頓挫してしまったのだそうであります。
いや、中国の覇権は未だ道半ばでありますがこの度も頼みの経済が怪しくなって来まして、大願成就は怪しい雲行きとなって参りました。
で、この行でおっさんが思ったのは、眠れる龍は歴史的にもちゃんと起きた事は無いのであるな・・・日本人は中国を過大評価し過ぎなんだろうなぁ~と言う事であります。
イギリスの文明論者・・・アーノルドJトィンビーと言う人が「バックス・シニカ」(中国の覇権による平和)と言うのを唱えたんだそうでありますが、それの根拠が毛沢東の革命だそうでありまして、イギリス人と言うのも東洋を解っちゃいないんですね。
20世紀の中国は内戦と革命に明け暮れ、毛沢東以後も、天安門事件の用なことが平気で起こる国でありますから、まず、国内が「安定」しない事には世界の平和を中国が担うなんてのは、無理と言うよりも笑い話だよな、と、おっさんなどの無教養な民は思う訳です。
しかし、日本でも、文化教養の高い人達は中国が好きで未だに礼参するんですけれども、やっぱし、教養を持ち過ぎると病むんですかね?
◎「中国化する日本」という錯覚の中国観
中国は「陸禁」「海禁」によって19世紀半ばまで閉鎖されていた。
その後も1978年まで「竹のカーテン」を閉ざし、北朝鮮・ベトナム・インドシナ半島の一部の共産圏にだけ門戸を開いていたに過ぎない・・・要するに、外との繋がりが無くて取り残されていたと言う事ですか?
なので、中国人が人類史の95パーセントは中国人の物で、このところの100年を西洋に譲ってやったのだ、と言うのは笑い話に過ぎなく、この事は、中国人が歴史的に無知である事の証しで、中国が世界史に参加するのは精々アヘン戦争以後である、と、著者は宣っております。
と、言う事で、中華世界は「自己完結的な空間」であったのにも関わらず、世界の思想に影響を与えたとか、日本は孔子の教えを有り難がる文化人やら学者がいるのは如何なモノかと、半ば憤っておられます。
で、例として実名を挙げて笑い者にされているのが京都大学名誉教授の「貝塚茂樹」で在ります。
この教授は中国の農村を桃源郷だとして、自身、中国の農村で暮らしたいと宣っておられたのだそうであります・・・いや、学者や文化人は知識が多過ぎて病むのでありましょう。
著者によると、日本人の学者が中国の本質を見誤る原因の一つは、学問的な細分化だそうでありまして、例えば経済なら経済を、文化面なら文化面を、歴史もまたしかりで、それらを統合してみる事が無いので一面的な見方となり中国の本当の姿を見誤るのだと書いている訳です。
おっさんはこれに大賛成であります・・・おっさんのような市井の平民は拾ったネタや話題はなんでも飲み込んじまう訳であります。
なので、中国人は殆ど笑いの種でありますけれども、しかし、有人ロケットを飛ばしたなどの話題には、キチンと敬意を表したりもする訳です。
そして、黄先生の本などを読んでより一層中国を深く知ろうとする努力も怠らない訳で・・・ナンだカンだ言って気になる存在である事は隠せないな、と。
◎中国という呼称を押し付ける中国
日本人は戦前「支那人」と呼んでいたんだけれども、それは蔑称だから「中国人」とよべ、と、支那人が注文をつけて来たので、中国人になったんだそうで有ります。
で、英語で「チャイナ」フランス語で「シーヌ」と呼ぶのには文句を言っていないと言うのは、敗戦国日本を朝貢国として見下しているからなのでありましょうか?
それが証拠に、北朝鮮ト南朝鮮にも「中国」を強制しているのであります。
ちなみに台湾人は「中国人」と呼ばれたら激怒すると、黄先生は宣っておられます。
◎中国人の日本人観の歴史
まず、魏志倭人伝の頃の支那人には日本についての知識はほとんど無かった、という事でありまして、日本人観が変化するのは、倭冦が活躍する時代からだそうであります。
と、いう事で、16世紀までを「蔑日の時代」として、日本無視の時代ですか?
明王朝の最大の外患は「南倭北虜」で、南の倭と北の満蒙人が最大の脅威であったという事で「恐日の時代」だろう、と。
で、中国が満州人の支配下に入った1630年頃、日本も鎖国に入って付き合いが無くなり「無日の時代」となったと言う事であります。
19世紀末、日新日露の争いを経て新国は西夷に学ぶよりも東夷(日本)に学べという事で「慕日の時代」になった、と、いうのが支那の日本に対する感情的な変化なのだそうであります。
おっさんとしては「蔑日の時代」と「無日の時代」が少し驚きでありました。
いや、日本と支那はいつの時代でも某かの形で付き合いがあって、それは結構密な物なんじゃなかったのか?と、思い込んでいましたから。
で、日中戦争からあとは、「排日・仇日・敵日」が続く訳であります。
と、いう事は・・・日本と支那って、無視し合ったり忘れている時以外は殆ど反目し合っている訳で在りますが、どーして日本の文化人は支那が好きなんでありましょうか?
「日中二千年史」といわれるが、日本と中国の本格的交流は日清戦争後の事からだ。かつて「同文同種、同族同州」という謳い文句があったが同じ東洋人でも、実際には「地球人と宇宙人」くらいの差がある・・・と、著者は言い切っております。
◎日本人は中国から影響を受けたのか
中国人は日本に様々な文化を教えたと考え、日本人は歴史的に多くを学んだと思っている・・・そして、遣隋使・遣唐使以後、多くの文化を学び、随、唐の文化を学んだのは確かだそうであります。
しかし、中国は唐代以後「匪賊社会」に変わって行ったのに対して日本は「封建社会」をかくりつしており、学んだ事とその後の日本の体制は殆ど無関係であると、著者は宣っております。
で、中華帝国は「一人のみ自由、万人は奴隷」の皇帝制であるが、日本は権力と権威を分有する「天皇制」で在る、と、明確な違いを示しております。
で、日本には儒教は入って来ても根付かなかった事は日本学者の津田左右吉が「ようするに儒教が日本化した事実は無く、儒教とはどこまでも儒教であり、支那思想であり、日本人の生活に入り込まなかったものである。だから、日本人と支那人が儒教によって共通の教養を受けているとか、共通の思想を作り出しているとか考えるのは、まったくの迷妄である」と指摘しているのだそうであります。
◎中国人の「人治主義」と日本人の「尊法主義」
中国は人治主義である、と。
人治主義は儒教思想の根幹であり、徳の高い人が天命を受け天子と成って国を治めるのだそうであります。
で、黄先生の主張で興味深いのは、日本が法治国家と成ったのは明治維新以後などではない、というのでありまして、それは、聖徳太子以来の精神であり、ここでも支那人の思想とは相容れないものであるという訳であります。
いや、江戸幕末にやって来たデンマーク人やらドイツ人も日本人の尊法精神の高さには驚いた事をそれぞれに記録として残しているのでありますから、日本人が思うよりも、それは多分、ホントなんでありましょう。
◎中国が民主国家に慣れない理由
実に明快かつ簡単な理由であります・・・人を信じられないので国がまとまらない・・・故に強権でしか纏める事が出来ない、と。
いや、細々した理由は書かれていますけれども、選挙なんて無理と言う事のようであります。
◎中国人はなぜ権力闘争が好きなのか
日本人は一人一人は豚だが三人集まると龍に成る。中国人は一人一人は龍だが三人集まると豚に成る、と、言われているんだそうであります・・・初耳だし、一人でも豚は嫌なんですけど。
まっ、そう言う訳で、纏まらないんで、結果として権力闘争になっちまうと言う事のようであります。
しかし、言葉尻を捉えるのもナニなんですけど・・・龍が集まらなければ良いんでしょ?しかも、中華思想では他人を信じないのが基本だとすれば・・・ああ、だから群雄割拠に成りやすいのか? 良いのか?。
◎「王道か覇道か」を語る中国、「皇道」を語る日本
権力闘争が好きな中国人は、また権力に弱い、らしい。
まっ、この行は読んでそのまま、龍が権力を目指し、豚が権力者に従う中国。
皇道の(権威)と為政者(権力)が並び立つ日本の姿そのまま、と言う事ですね。
◎180度違う日本人と中国人
アーサー・スミスと言うアメリカ人宣教師が100年前に中国人を「曲解の名人」と呼んだそうであります。
マックス・ウェーバーの「儒教と道教」でも中国人の不誠実さは書かれている訳であります。
中国人が「騙と詐」なのに対して日本人は「純・誠」と表現するんだそうで・・・そこまで褒めてくれなくても、と、日本人の端くれとして面映くなっちまいます。
いや、黄先生は日本の大学で学び日本の大学で教鞭を取っていらっしゃるくらいでありますから日本びいきなんですけれども、しかし、日本人は歴史的事実をもう少しりかいし、そして、あんまし卑下しないでいた方が良いんじゃないか? と、この本を読んで思った訳です。
まだ第二章へと続きますからね。
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