おっさんはどっちかと言うと仏教派なんだけれども・・・やっぱし、誰かの御輿を担がなくちゃならないと言うと、アジアに縁のある方が馴染みやすい訳で、歴史的にも宗教的にも自分の生い立ちと遥かに縁遠い物には傾き難い・・・と、思うのはおっさんの気持ちなんだけれども、世の中は様々でありまして、仏様は抹香臭くて嫌だ、と、生半可に近くに有ったもんで、ナンと無く知っているつもりになりつつも、その実は何も知らずに雰囲気で嫌っている・・・そんな人も居たりして、そう言う人はバテレンの宗教が新鮮であったりするのでしょう。
ところで・・・先日貰った簡易的な聖書・・・マタイによる福音書を読んでいたんだけれども、面白いね。
で、突然なんですけど・・・フィリピンのビサヤ地方の方言はビサヤ語、と言うんだけれども、これは日本で言うと関西弁みたいなもんでして、フィリピン人の30パーセント程度の人がビサヤ語を使う訳です。
しかし、関西弁と一口に申しましても、大阪と京都では違うと言うし、近隣の奈良なんかでもまた微妙に違っていたりするらしい・・・と、言う訳で、ビサヤ語は方言なんですけれども、その中にもまた方言が細分化している訳です。
例えば・・・ビサヤ地方の中心都市と言えばセブ島のセブシティーなんですけど、ここでは物が無い事を「ワ」と言いますが、隣のネグロス島では「ワラ」と言う訳です。
で、セブ島では死んだ事を「パタイ」と言うんですが、ネグロス島の南の方では「マタイ」と言う訳です。
なので、マタイ伝と初めて聞いた時には・・・そーかぁ、マタイかぁ~キリストは張り付けで死んだもんなぁ~・・・そう言う話しなんだろうなぁ、と思った・・・と、言うのは今作った話しです。
で、もう一つ・・・フィリピンはカトリック信者が多いんですけれども、これもアレです、アジアのアニミズムの影響を受けたほとんどの宗教に言えるんですけれども、母性を祀る事が好きな訳です。
なので、フィリピンの教会に行くとキリストの十字架よりもマリア像の方が好まれていたりする訳です。
で、次に好かれているのは、同じキリストでも子供の時の像だと言われるサントニーニョな訳であります。
で、フィリピンの宗教はカトリックと言いつつも、実はマリア像に姿を借りた母性崇拝のアニミズムなんだろうと思う訳です・・・いや、これはおっさんの思い付きなんで意義も反論も認めます。
しかし、人が死ぬ事を日本で言うお陀仏と似た感覚で「サンタマリア」と言うんですけれども、親しみを込めてサンタマリアと言える辺りは、ナンと無く純然たるカトリックの信者の心持ちとは異質ではないか、と、思ったりする訳です。
で、フィリピンには文字が無かったんでスペイン人がキリストを持ち込むまでの宗教が残されていないのが残念なんですけれども、たぶん、祭りの時には豚の丸焼きを喰い、物々交換の風習も残り・・・と、これはアレです・・・スルタン崇拝のマレー系とも異質で、もっと南のニューギニアや南太平洋の島々辺りの風習に近いとおっさんは思う訳です。
あ・・・聖書から遠くなり過ぎて話しはもう戻れない・・・失敗・・・支離滅裂にて試合終了。
ところで・・・先日貰った簡易的な聖書・・・マタイによる福音書を読んでいたんだけれども、面白いね。
で、突然なんですけど・・・フィリピンのビサヤ地方の方言はビサヤ語、と言うんだけれども、これは日本で言うと関西弁みたいなもんでして、フィリピン人の30パーセント程度の人がビサヤ語を使う訳です。
しかし、関西弁と一口に申しましても、大阪と京都では違うと言うし、近隣の奈良なんかでもまた微妙に違っていたりするらしい・・・と、言う訳で、ビサヤ語は方言なんですけれども、その中にもまた方言が細分化している訳です。
例えば・・・ビサヤ地方の中心都市と言えばセブ島のセブシティーなんですけど、ここでは物が無い事を「ワ」と言いますが、隣のネグロス島では「ワラ」と言う訳です。
で、セブ島では死んだ事を「パタイ」と言うんですが、ネグロス島の南の方では「マタイ」と言う訳です。
なので、マタイ伝と初めて聞いた時には・・・そーかぁ、マタイかぁ~キリストは張り付けで死んだもんなぁ~・・・そう言う話しなんだろうなぁ、と思った・・・と、言うのは今作った話しです。
で、もう一つ・・・フィリピンはカトリック信者が多いんですけれども、これもアレです、アジアのアニミズムの影響を受けたほとんどの宗教に言えるんですけれども、母性を祀る事が好きな訳です。
なので、フィリピンの教会に行くとキリストの十字架よりもマリア像の方が好まれていたりする訳です。
で、次に好かれているのは、同じキリストでも子供の時の像だと言われるサントニーニョな訳であります。
で、フィリピンの宗教はカトリックと言いつつも、実はマリア像に姿を借りた母性崇拝のアニミズムなんだろうと思う訳です・・・いや、これはおっさんの思い付きなんで意義も反論も認めます。
しかし、人が死ぬ事を日本で言うお陀仏と似た感覚で「サンタマリア」と言うんですけれども、親しみを込めてサンタマリアと言える辺りは、ナンと無く純然たるカトリックの信者の心持ちとは異質ではないか、と、思ったりする訳です。
で、フィリピンには文字が無かったんでスペイン人がキリストを持ち込むまでの宗教が残されていないのが残念なんですけれども、たぶん、祭りの時には豚の丸焼きを喰い、物々交換の風習も残り・・・と、これはアレです・・・スルタン崇拝のマレー系とも異質で、もっと南のニューギニアや南太平洋の島々辺りの風習に近いとおっさんは思う訳です。
あ・・・聖書から遠くなり過ぎて話しはもう戻れない・・・失敗・・・支離滅裂にて試合終了。
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