いや、体調不良から横になったら軽くウトウトしたようでその時夢を見たのであります。
夢の中身は、七輪でサンマを焼くのでありますが上手く火が起きずサンマが食えないのであります。
で、夢と言うのは都合の良いものでして、状況は若い女房と長屋住まいなんであります。
で、あんたぁ〜サンマまだぁ〜 なんて声が聞こえ、自分は、もう少しだ、と火吹き竹を噴きながら言う訳であります。
あれです、何故にこんな夢なのかと言うと心当たりはある訳で、それは一茶が嫁をもらった話を読んでいたからだと思うのであります。
いや、一茶ってのは凄いおっさんだった事が書いてありまして自分が俳句から受けて作った人物像とは掛け離れていた訳であります。
で、思ったんですが、やっぱし詩人は狂気が無いと務まらないのかな、なんてね。
なんと申しましょうか、一茶は齢五十を過ぎても絶倫でして、多い時には日に5度も菊と交わったと記されていますが、まっ、いいでしょう。
いや、一茶を見る目が変わると俳句の解釈も変わる訳であります。
手枕や蝶は毎日来てくれる・・・って、これ、一茶が絶倫で中々の好き者であるという感覚で捉えると相当意味深な句なのか、なんて思ったんですが、迂闊に言うとあとで顔が赤くなるので止めておきます。
あれです、長屋のサンマの煙なんてのは街の話でして七輪の有る暮らしは都会派の粋な暮らしであったのか?なんてことを思いつつ、おーいサンマが焼けたぞ、なんて言ってみたい自分であります。
と、いうことは、あれは夢では無く願望であったのか、なんちゃって、意味不明でごめんなさい、と。
この話は真面目に面白いと思いますよ。
誠に嬉しい書き込みありがとうございます。
じつは、手枕や蝶は毎日来てくれる、の解釈について知青さんにメールしようかと思っていたんですが、一茶像をもう少し読み込んでからと控えました。
いや、自分は句を読むより歴史と文学としての俳句に傾いてしまったようであります。