我が家地方、今朝の気温は18度だそうで、寒くは無いが、当然熱くも無い。
ならば快適なのかというとそうでは無く、肌寒い感じがして、数日前までの真夏対応の格好では過ごし難い・・・ここに秋の始まりを感じる。
いや、一年前なら意に介さない気温だなと思うと、ここに老いの始まりを感じる。
なぁ~んて書くと決まって暑さがぶり返し、やっぱし夏だったわ、なんて事になるはずなのであります・・・たぶん。
数日ぶりに雨の無い朝、カメラをぶら下げて庭に出てみました。
まっ、庭に何があると問われましても、そこには大多数の雑草と少しの草花があるだけなんですけれども、今の私に撮れる範囲は庭しか無いのであります。
その昔、写真屋をやっていたことがあった訳ですが、ご常連さんの幾人かは常に庭や鉢植えの花が被写体だった訳です。
あの人たちの共通項は「老人」でありました。
今、自分も似たような環境といいますか、自分の好きなフィールドに出て写真を撮ることが叶わなくなって気づいたのですが、あれしか撮れなかったんだな、なんてことを思う訳です。
たぶん若い頃には被写体を追ってそれぞれのフィールドを駆け回ったのでありましょう。
理由が何かはわかりませんがごく身近なものしか撮れなくなり、その結果が、毎度似たような庭の花、だったのかと想うのであります。
36枚撮り一本に同じ花を撮ってくる訳であります。
背景を凝らしたり、ピントの位置をずらしたり、縦位置から横にしてみるなど、できる限りの工夫を凝らしてはいるものの、花は動かずポーズも取らずでありまして、現像しながら眺める私にはその意味がわからず「無駄なことをしてるなぁ~」と、半ば嘲笑していたのでありました。
まっ、客の写真を鼻で笑うなど言語道断不届千万な写真やのおやじでありますが、当時の私には「老いる」ことの意味がわからなかったので仕方がありません。
また「老い」とは逆の客もいた訳です。
中学に入って初めてまともなカメラを手にして写真を撮り始めたと思しき少年は、毎回雀の写真なのでありました。
しかも、中途半端な望遠しか持っていないので図鑑写真的なアップでは撮れず、風景写真なのか?と思うほど取り留めの無い中に必ず雀がいるのでありました。
常連のご老人たちは現像はしてもプリントはほとんどしない訳です。
現像されたネガを吟味して、これとこれ、そしてこれも、と36枚の中から数枚、これはと思うものをプリントする訳です。
それは、毎回似たようなものをプリントしても仕方が無いことと、少しでも写真に掛かるお金の節約でもあったのでしょう。
しかし、雀撮りの少年はまとめて撮った24枚撮り3本を同時プリントに出す訳です。
24枚取り3本パックの安いネガフィルムを毎回使い切ってやって来るのです。
フィルムが現像機から出てくると一本をざっと眺めるんですが、ピンボケ、手ぶれ、飛び立つ雀の被写体ブレ、そして逆光と、まともな物は殆ど無いのであります。
普通のお客ならどんな写真でも構わずにプリントして料金をもらうのですが、相手は写真の撮り方もまだわかっていない中学生ですから少し配慮して良さそうなものだけをプリントに回した訳です。
そして、ごく稀にピントが合った雀がいたときには拡大してキャビネ版で出したものでした。
余談ですが、この当時のプリントはデジタル機では無いので拡大はイーゼルを使って抜き出さなくてはならず少し手間のかかる作業でありました。
そんな余計なことをする写真やのおやじに少年は無口で何も言わずに料金を支払い店を出で行くのでありました。
そして、少年は店のすぐ裏の公園に駆けて行き立ったまま写真を取り出し眺めるのでした。
雀撮りの少年との付き合いがどれ程だったかは忘れましたが、彼は経験からどうしたら失敗するかを学び、やがて普通に写った写真を撮ってくるようになった訳です。
私はそんな写真を見て「つまんなくなったな」と少し思ったのですが、少年が店に来なくなったのもその頃だったかも知れません。
私は自分が撮ることよりも人の写真を見るのが好きであります。
技術的なことにはあまり興味がなく、自分の感覚に填る写真を見て、撮った人の熱を感じるのが好きなんであります。
文章とは何の脈絡も無いアゲハの幼虫
カラタチの木にたくさんいるアゲハの幼虫であります。
黒いのが育つと緑のになります。
木は鉢植えで小さなものであります。
全部が育つには葉っぱが足りず先に大きくなった奴以外はやがてお陀仏であります。
お陀仏・・・アゲハの幼虫はわずか数日を生き、次は何になるのでありましょうか❓
自分もそんなに遠く無いお迎えの日のことを考えるとたとえ芋虫でも殺生は避けたい訳でして、昨年のように勢いよく駆除はできないのであります。
嗚呼・・・早く徳を積まねば、と焦る今日この頃。
しかし、来し方を振り返れば時すでに遅し。
私の次は・・・まっ、いいでしょう。
ならば快適なのかというとそうでは無く、肌寒い感じがして、数日前までの真夏対応の格好では過ごし難い・・・ここに秋の始まりを感じる。
いや、一年前なら意に介さない気温だなと思うと、ここに老いの始まりを感じる。
なぁ~んて書くと決まって暑さがぶり返し、やっぱし夏だったわ、なんて事になるはずなのであります・・・たぶん。
数日ぶりに雨の無い朝、カメラをぶら下げて庭に出てみました。
まっ、庭に何があると問われましても、そこには大多数の雑草と少しの草花があるだけなんですけれども、今の私に撮れる範囲は庭しか無いのであります。
その昔、写真屋をやっていたことがあった訳ですが、ご常連さんの幾人かは常に庭や鉢植えの花が被写体だった訳です。
あの人たちの共通項は「老人」でありました。
今、自分も似たような環境といいますか、自分の好きなフィールドに出て写真を撮ることが叶わなくなって気づいたのですが、あれしか撮れなかったんだな、なんてことを思う訳です。
たぶん若い頃には被写体を追ってそれぞれのフィールドを駆け回ったのでありましょう。
理由が何かはわかりませんがごく身近なものしか撮れなくなり、その結果が、毎度似たような庭の花、だったのかと想うのであります。
36枚撮り一本に同じ花を撮ってくる訳であります。
背景を凝らしたり、ピントの位置をずらしたり、縦位置から横にしてみるなど、できる限りの工夫を凝らしてはいるものの、花は動かずポーズも取らずでありまして、現像しながら眺める私にはその意味がわからず「無駄なことをしてるなぁ~」と、半ば嘲笑していたのでありました。
まっ、客の写真を鼻で笑うなど言語道断不届千万な写真やのおやじでありますが、当時の私には「老いる」ことの意味がわからなかったので仕方がありません。
また「老い」とは逆の客もいた訳です。
中学に入って初めてまともなカメラを手にして写真を撮り始めたと思しき少年は、毎回雀の写真なのでありました。
しかも、中途半端な望遠しか持っていないので図鑑写真的なアップでは撮れず、風景写真なのか?と思うほど取り留めの無い中に必ず雀がいるのでありました。
常連のご老人たちは現像はしてもプリントはほとんどしない訳です。
現像されたネガを吟味して、これとこれ、そしてこれも、と36枚の中から数枚、これはと思うものをプリントする訳です。
それは、毎回似たようなものをプリントしても仕方が無いことと、少しでも写真に掛かるお金の節約でもあったのでしょう。
しかし、雀撮りの少年はまとめて撮った24枚撮り3本を同時プリントに出す訳です。
24枚取り3本パックの安いネガフィルムを毎回使い切ってやって来るのです。
フィルムが現像機から出てくると一本をざっと眺めるんですが、ピンボケ、手ぶれ、飛び立つ雀の被写体ブレ、そして逆光と、まともな物は殆ど無いのであります。
普通のお客ならどんな写真でも構わずにプリントして料金をもらうのですが、相手は写真の撮り方もまだわかっていない中学生ですから少し配慮して良さそうなものだけをプリントに回した訳です。
そして、ごく稀にピントが合った雀がいたときには拡大してキャビネ版で出したものでした。
余談ですが、この当時のプリントはデジタル機では無いので拡大はイーゼルを使って抜き出さなくてはならず少し手間のかかる作業でありました。
そんな余計なことをする写真やのおやじに少年は無口で何も言わずに料金を支払い店を出で行くのでありました。
そして、少年は店のすぐ裏の公園に駆けて行き立ったまま写真を取り出し眺めるのでした。
雀撮りの少年との付き合いがどれ程だったかは忘れましたが、彼は経験からどうしたら失敗するかを学び、やがて普通に写った写真を撮ってくるようになった訳です。
私はそんな写真を見て「つまんなくなったな」と少し思ったのですが、少年が店に来なくなったのもその頃だったかも知れません。
私は自分が撮ることよりも人の写真を見るのが好きであります。
技術的なことにはあまり興味がなく、自分の感覚に填る写真を見て、撮った人の熱を感じるのが好きなんであります。
文章とは何の脈絡も無いアゲハの幼虫
カラタチの木にたくさんいるアゲハの幼虫であります。
黒いのが育つと緑のになります。
木は鉢植えで小さなものであります。
全部が育つには葉っぱが足りず先に大きくなった奴以外はやがてお陀仏であります。
お陀仏・・・アゲハの幼虫はわずか数日を生き、次は何になるのでありましょうか❓
自分もそんなに遠く無いお迎えの日のことを考えるとたとえ芋虫でも殺生は避けたい訳でして、昨年のように勢いよく駆除はできないのであります。
嗚呼・・・早く徳を積まねば、と焦る今日この頃。
しかし、来し方を振り返れば時すでに遅し。
私の次は・・・まっ、いいでしょう。
面白かったです。
そして、
つき並み写真になっていって面白くなくなったということ。
その少年には、独学のすばらしさに目覚めてほしかったですね。
人さまのコメント欄で恐縮ですが、
きょうのラジオすっぴんから。
独学で始めて、
紆余曲折を経てオペラ歌手になったマリアセレンさんは
男のパートと女のパートと両方一人二役をされるのですが
そういうオペラの歌曲はこの世にはないので
自分のよさを演出できるようなオリジナルのオペラを作ったそうでした。
常道や定石から外れる面白さって、独学だからこそですよね。
雀撮りの少年はたぶん上手な写真と魅力的な写真の迷路にはまってやめてしまったのかと思います。
カメラに興味を持って撮り始めたけれども紙焼きされた写真は少年の気持ちを捉えなかったのでありましょう。
独学で道が開ける人は創造者、で、自分のように模倣さえまともにできない類は・・・その道に素質が無いのだな、としみじみ思います。
しかし、好きだから、さうしていると気持ちが良いので続ける・・・これが趣味なのだ、なんちゃって。