じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

成都からカトマンズへ

2014-11-30 13:50:41 | ネパール旅日記 2014
2014年 11月4日 月曜日 CA437便にてカトマンズへ

成都のホテルも快適だった。
スタッフは若く明るく快活で、どことなく日本なら東北の少し田舎ののんびりした街の人たちか? と、言う雰囲気も自分の感覚に良く馴染み、滞在中なんら緊張が無かった。

中国は飯が美味いと思った。
入国以来大したものも食べていないのだが、それでも、在り来たりのフードコートのファストフード的食事でさえも美味いのだ。

昨夜の夕食はホテルのレストランで食べた。
日替わりディナーのお得なセットがあったのだが簡体文字が読めず私はランチの案内かと見逃してしまい、単品の高い料理のメニューに目を見張っていた。

文字を読んでも解らないので写真で決め、豚肉の煮込みのような物を頼んでみた。


とろけるように煮込んだ三枚肉 微かな香味が中国でした

レストランに英語の出来る係の人は独りしか居なくて、しかも彼女はこの場の総指揮者で忙しい様子。
私独りを相手にしていられず直ぐに居なくなり注文を出せずに困っていた。
すると隣の席に座っていた数人の学生風の男性の一人が英語で話しかけて来た。
注文は彼らが他の係の人に伝えてくれ、事無きを得た。
その後彼とは何の会話も無かったが、日本人である事を意識させられる事は無く、困った旅行者に手を貸しただけと言う雰囲気であった。

おいおい、抗日・反日の中国人は何処へ消えたのだ? と、余りにも日本人と変わるところの無い中国人を見続け自分の意識がすっかり変わってしまったのを感じた。

さて、豚の三枚肉風の煮込みは、八角がほのかに利いて絶品でした。
肉の下に敷き詰めてあったのは塩気の薄い高菜漬けのような物で、これが脂っ気の多い肉との相性が良く、周りに添えてある餡の無い饅頭の皮だけのような物と一緒に食べると美味かった。

本当はビールも飲みたかったのだが、先に外のコンビニで安い中国製ビールを数本買い求めてあったのでここでは我慢して部屋で飲む事にした。

さて、カトマンズ行きの中国国際航空 CA438便でカトマンズへ向かったのだが、またもや小型のエアバス319型機に乗せられ、私は閃いた。

今まで乗って来た飛行機の飛行時間は総て4時間未満なのだ。
成る程、中国国際航空の基本は拠点空港で乗換えの中継をする事で長距離の大型機を使わない仕組みなのだな、と。
効率の良い小型機の便数を飛ばす事で一機当たりの搭乗率を上げているのだな、と。
そして、TV・機内誌・毛布・枕と、凡そ素人が目に付く物でも無駄と軽量化を図っているなと伺える仕組みは、だからこそこの価格で仙台からカトマンズまで運んでもらえるのかと納得する物だった。


青いホイルの中身は「チキンライス」と言われたが


鴨肉のローストの入ったサラダが美味いんだなぁ~

飛行機の中でランチが出る時間帯を迎えるので少し期待していた。
しかもこの便は国際線だし、と。

はたして私は、供された中国国際航空のランチをいただきつつ、またしても噂に聞くのとは全然違う、香辛菜とザーサイで食べるご飯と鴨肉のローストのサラダの美味さに感激していた。

美人だが少し冷たい感じの客室乗務員が「チキンライス」と説明したご飯は、私の思い込みと違って「鶏肉のうま煮あん掛けご飯」のような物だった。
しかし、それは良い方の食い違いであり、ケチャップ味のチキンライスよりも遥かに上品なご飯に香辛菜とザーサイを散らして食べた美味さに、私は諸手を揚げて降参したい気分であった。

まあ、実際に食べた人から、そこまで言う程の物かと言う御意見もありましょうが、今の私は「中国好きかも知れない」の方へベクトルが向いていますから・・・。

私は、他のアジアの国へ出掛けると殆どの場合日本人かと言われるのだが、近頃では中国人かと問われる事も多くなった。
しかし、中国では私は完全に「人民」だと思われていた。
何故ならば、ただの一度も日本語はもちろん英語で話しかけられる事も無かったのだから。
英語が堪能な人の居た上海の土産物屋でも、北京のラーメン屋でも、相手は何の疑いも躊躇いも無く中国語で話しかけて来た。

中国人が私を中国人だと思い込むと言う事は、私は中国人っぽいと言う事か?
それはそれで少し複雑な気持ちではあるが・・・とにかく似てるんだな、と。

10時40分に成都を出て、予定通りの12時20分にカトマンズに着いた。
時差が2時間15分あるので実際の飛行時間は3時間半程だった。

カトマンズの空港に異変があった。
昨年は到着してからビザを貰うのに、観光客がごった返す列に1時間以上も列ばなければならなかったのだが、今年は列が無いのだ。

到着便や時刻の関係なのかも知れないが、アライバルビザのフロアーには数名の人しか居なくて、列ぶ人など皆無だったのだ。

到着時刻の妙もあるのかも知れなかったが、昨年は総ての期日のビザが同じ列で処理されていたのが、期日毎に別れた上に、料金を支払うカウンターとビザを貰うカウンターが別になりとてもスムーズになっていた。

私は1ヶ月のビザのカウンターを見つけ40ドルを支払い、僅か5分足らずで入国審査まで終えた。

空港へは今度のクライミングの手配をお願いしたツアー会社の人が迎えに来ているはずだったが私の名前を書いたカードを持っている人は見当たらなかった。
私はトランクを引きずりながら出迎えの人達が列んでいる通路の向う側へ行き日本人名らしい名前のカードを持った人の前を歩いてみた。
すると、全く違う名前のカードを持った人から声が掛かった。
話してみると間違い無く自分が手配したツアー会社の人であった。
彼曰く、この後の便だと思っていたとの事で、今は違う人の出迎えに来ているのだとか。

うんうん、そんな事では動じないし怒らないし、ネパール感覚は昨年嫌と言う程学習しているから平気ですよと、日本語の堪能な彼に英語で言ってやった。

ツアー会社の彼は本来ピックアップするべき日本人を待つとの事で私は一人タクシーに乗ってホテルに向かった。

ホテルはタメル地区のほぼ中心部で昨年散々散策した場所にあった。


少し遅い昼飯 チキンカレーとエベレストビール 600円くらい

友好的な中国人に助けられ何の苦も無くカトマンズに着いたように思っていた私だったがやはり疲れていたのか、昼飯にビールを飲んだら眠くなった。
しかし、朝にタイガービールを軽くやり、飛行機内でも鴨肉をつまみに三本程いただき、そして今、と、考えてみれば朝から飲み通しではあった。

うん、明日からは登頂を終えルクラに戻るまでまた禁酒だからなと部屋に引き揚げシャワーを浴びて少し寝た。


 追記

カトマンズの安屋との温水シャワーは太陽熱か電気温水器で温めているのだが、どちらにも欠点があった。
太陽熱は、亜熱帯なのでそこそこ強いのだがカトマンズでも標高は1400mを超えていて陽が陰れば急速に冷え込む。
では電気温水器はと言うと、慢性的な電力不足から計画停電が為されているので温めたお湯を保温し続ける事が出来ずやはり日没とともに冷めてしまう。
では、日中ならある程度熱いお湯が出るのかと言うと、元々お湯に対する温度感覚が日本人とは掛け離れているネパール人の感覚で言うお湯はぬるいのだ。
ホテルの料金で言えば、価格表で50ドルと謳っていて割引して25ドルから30ドル程度のホテルになると24時間熱いお湯が出て、場合に因ってはバスタブに溜める事も期待出来る。
しかし、10ドル以下のホテルでは、ホットシャワーと謳っていても、とても冷たい水が出る水道よりは温かい、日本人に言わせると、あまり冷たく無い水程度の物でしか無い。
もしもカトマンズへ旅する事があって、夜間に冷え込む季節だとしたら、あまりケチなことを言ってホテルを選ぶと哀しい思いをするので、そこは少し奮発した方が良いでしょう。
若しくは、ネットで評判の良い安宿はお湯も出ますから、それらをまめに探すのが得策です。
格安トレッキング会社が手配したタメルの安宿は危ないと思って見た方が賢明でしょう。

つづく


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上海から成都へ

2014-11-30 10:45:57 | ネパール旅日記 2014

2014年 11月3日 日曜日 上海発 成都行き CA4597便に乗る

タバコ臭い部屋とかシーツは替えてあるのか? 等々、アレコレ気になったホテルでは在ったけれども、結局は快眠し、すっきりと起きた。

当初は経費節約の為に空港の椅子で仮眠も考えたが、寄る年波や本来の目的がヒマラヤのクライミングである事を鑑み、そこまでは体力温存健康保持の方向で行こうとホテル泊を選んだのは正しかったようだ。

9:35分発の飛行機なのだが不慣れな空港の事を考慮して7時にはホテルをチェックアウトした。
昨夜デポジットを要求され預けた200元をしっかりと回収しターミナルへ向かった。

どうしようか~・・・昨晩食事をしたフードコートで朝食をとるか? 
いや、これだけ大きな空港なのだから他にもっと在るはずと先へ行って見る事にした。

国内線への搭乗にも関わらず荷物検査の他にパスポートチェックもあって国際線と殆ど変わらなかった。
しかし、それらの手続きは至ってスムーズに行われ煩わしいとか、無用な事を形骸的に漫然とやっている感覚は無く、アジアで独裁政権が長く続いた国などで感じる嫌な雰囲気はなかった。

チェックインが済み搭乗口に向かう前に機内持ち込み荷物のエックス線検査があった。
私のザックの中のT型の物が気になるらしく、若い男性係官がカウンターの若い女性係官にチェックを命じた。

若い女性の係官は美形であった。
しかも、中々流暢な英語で話しかけて来る。
私は楽しくなり、無駄な事を話しながら、君はこれなんだと思う?と尋ねてみた。
するとエックス線のモニターを見ていた先程の係官が「シェイバー」と笑いながら答えた。
彼も英語は堪能だった。

私はわざと驚いた風に少し大袈裟に、自分もそうだと思うんだけれど、君もシェイバーだと思うんなら問題無いじゃないか?と、言ってみた。
すると彼は、規則があってね、と言うニュアンスのことを言って笑った。

私は調子に乗って、これはプラスティックのT字型のひげ剃りなんだが、プラスティックと金属までは判断出来ないのか?と尋ねてみた。
すると、解るんだが、細かい事は秘密だと言った。

私はザックからひげ剃りを取り出し再度エックス線に通し解放された。
ここでの数分間の会話の中には官憲的な威圧や日本人への特別な意識は微塵も感じられず、今まで通ったアジアの国の中で一番好感が持てた。
アジアの空港の多くで感じる、係官が持つ特権意識みたいなものが皆無だったのだ。

若くて美形の女性係官は荷物を収め直すのを手伝ってくれ、良い旅を、と、言ってくれた。

ヤバイ・・・中国のイメージがどんどんと良い方に変わって行く。
抗日・排日は何処にあるのだ。

広いターミナルビルを右往左往する事も無く的確な案内表示でスムーズに歩いて行けた。

それにしても広い。
ターミナルビルの天井の高さ、奥行き、幅、と、何処を見ても余裕だらけなのだ。
そして、他のアジアの国の例としては、供用を開始した瞬間が一番素晴らしく、後は時間とともに劣化して行くのみと思っているのだったが、上海の空港で感じるのは、維持管理や清掃が行き届いているなと言う事だった。


まるで日本の空港と変わらない飲食店


ご飯とビールで約2000円は高いと思うが

幾つかの飲食店をやり過ごし、そろそろ先が見えて来てここが最後かも知れないと思しき辺りで軽食屋風の飲食店に入った。
店の構えと雰囲気を超えたメニューに喜んだのも束の間、それらの価格に腰が引けた。

食べ物は何を頼んでも1000円以上もするのだった。
私は簡体文字のメニューに「チンジャォロース」と書かれているらしいもの頼みつつ、タイガービールの小瓶を注文した。

朝からビールでもないだろうと言う控えめな気持ちは何処にも無く、どうせ飛行機に乗って成都に行くだけだからと暢気な旅気分に入っていた。
それと言うのは、少し緊張と用心を持って臨んだ中国の空港のトランジットや格検査が余りにスムーズで、海外では結構敏感な私の警戒系態勢が解除されたからだった。

しかし、気を抜けないのが空港施設内の飲食である。
チンジャオロースを繁体文字で書くと「青椒肉絲」であり、緑の野菜の細切りとしてピーマンが入っているとばかり思っていたら緑は無くて人参の赤が出て来た。
中国の青椒肉絲は豚肉が本当であると言うのは辛うじて知っていたのでそこは良いのだが、シャキシャキとしたピーマンを期待していたので少しガッカリした。
しかし、食べてみれば、黒胡椒が程良く利いたスパイシーな味は中々の物で、何かがシャキシャキとした歯応えも醸し出していた。
正体はタケノコかと思ったが定かでは無い。

そして、一番用心しなくては成らないのが価格であった。
チンジャオロースが1300円、タイで80円程のタイガービールが700円程と、私の想像を遥かに超えていたのだ。

中国なんだから安いだろうと言う先入観から価格に対するギャプを感じるのだと言うのは否めないが、タイガービールの小瓶が700円は凄過ぎるだろうと半ば憤慨しつつも、冷えたビールは美味かった。

成都行きのゲートは一番奥だった。
搭乗開始30分前に行ってみると待ち合いの椅子は殆ど埋まっていた。

昨日の仙台~上海便には機内に電気釜の箱を持ち込んであたふたしていた中国人のおばさんが居て微笑ましかったが、ここで搭乗待ちをしている人達は仕事での移動なのか、日本の朝のビジネス便の発着時と同じ雰囲気だった。

中国国際航空 CA4592便 定刻より15分遅れて出発。

成都 流し見 1(成都の街の感想 1)

成都 流し見 2(成都の町の感想 2)

成都街の感想は・・・↑ 上記リンクに書いています。


     追記

待ち合いの椅子に座って微笑ましい母子の姿を見ていた。
3才くらいの女の子と母親の姿であった。
そのうち子供が愚図りだしたのだが母親は無視して取り合わなかった。
やがて子供が泣き出すと母親は大きな声で子供を叱った。
もとより何を言ったかは解らないのだが子供はぴたりと泣き止んで母にすがりついた。

その間、廻りの中国人は殆ど関心も持たず無視であった。
母親が大きな声を上げた時にも誰も目さえ向けなかった。
中国での叱り方として日常の事なのだろうかと思った。

その昔し、私が子供の頃の日本の母親もそうであった。
問答無用のどやし付けるような叱り方は普通であったが、今は言って聞かせるような諭し方が多いような気がする。

どうと言う事の無い風景なのだが、私にはこんなところも中国を現している事のように思え興味深かった。

つづく


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