梅本坊は卍印。女性器から見て右側の有る無しの卍。ただ一つだけ右側の有無に「梅本」を置いています。
対面が菓子屋。「かし」。当人にとっては赤ちゃんの生存や仮死は切実な違いですが。とある支配者層には重要視されません。人間像が遺伝子を調べたり掛けあわせしたりする行為と同じです。
生存院は生存。正学院は声楽。聖楽。声や音を楽しんでます。ゆえに後ろに理音院が構えます。
梅本坊の卍。左側のあるを実感する「かし」を卍が囲っています。人間像の赤ちゃんをお菓子に見立てて卍で包んでいます。卍固め。万字で固めているのよ。
吉田屋は運送屋。見た目はシャッターのYKKap。アルミサッシやファスナーの大手メーカーですね。対面が布袋屋。鼓膜の子膜にいる布袋屋と対に成ります。射精した精液を通す自在がこちらです。吉田屋(運送屋)でファスナーの開け閉め。胸襟を開いてちゃんとした誓詞を聴いて女性は門を開けます。布袋屋の袋は百の精子精液を卵巣に運びます。
運送屋のお隣が桶屋。甬に通じて青銅の鐘。生動。聖堂。通るを有無のよ。あるを実感する左側は空白の「ま」で魔。実感できるので自制が叶います。
若松屋は川越市の焼き鳥屋さん。わたしの母がお世話になった事があります。焼き鳥の悪因は串刺し。膣内なのでちんちんの突き射し。よろず屋は万で萬。女性器の曼の「ある」。よろず屋は「何でも揃っている」江戸時代のデパートです。
道が通りまして因果が変わります。その道を行くと神戸橋に向かいまして東松山市の神戸神社に通じます。わたしが境内の土俵で神相撲に勝った場所です。なんせ一人相撲だし。
無声の誓いなし。無性の無精子で無精卵に成ります。九十九川に流さないで、都幾川の「時の川」に夢々の無精を流します。おたがいが好きあってスキンシップ。肌の舟を重ねます。よい思い出や嬉しいを表現します。その無精卵を食べた虚構自然も嬉しい気持ちを頂くのよ。反してくれるのは身軽な世界観です。